春風怒涛の日もあった!     蒔かれた種が育ち


 誰にも思春期は、訪れるものなのだ。
それなのに私は、ウチの子たちは、特別困らせたりすることはないような気がしていた。なぜか?・・・・・それは、一番上の子である娘は、私の子供のころと比べてみると精神的にかなり大人のように感じていた。
 幼稚園の年長のとき、ある日幼稚園から帰ってきた娘が、こんなことを私に話してくれた。
 〜〜〜きょうね、えのぐでみんな てがよごれちゃったんだよ。
でね、おべんとうのまえに てをあらおうとしたら おしあいへしあいになって けんかになっちゃったの。
でもね、わたしが「ほんとうにつよいひとは やさしいんだよ!」っていったら いばっていたひとも「ならぼう ならぼう」っていって ならんだの〜〜〜

 その少し前に、「オズの魔法使い」というミュージカルを子供たちと一緒に観た。その中で 弱弱しいかかしさんを そう言って励ます場面があったのだ。
 本当に強い人は、いばらない、ましてや腕力のある人でもない。
やさしい人なのだ!
大人だって、わかってない人もいるのに、5歳の子の心には しっかり種がまかれていた。私が5歳のころは、チビザル同然〜そんなこと 考えもしなかったと思う。
 幼児の世界は、体の大きい子、運動能力が優れている子が遊びの中で、優位にたつことが自然な時代なのだ。


 たった一回 子供たちに聞いたことがある。
「お父さんとお母さんと どっちが好き?」(なんという愚問!)
ちょっとだけどきどきしながら、なんて答えるだろう・・と思っていると
娘は、「どっちも 好き!」と、新米パパとママを傷つけないように気遣ってくれるのだった。
 まさか こんなにやさしく思いやりのあるこの娘の口から「くそばばあ」などという、ショッキングなことばが、はきだされようとは!
 まったく、青天の霹靂! 驚き桃の木山椒の木!地球がひっくり返ってしまったかのような衝撃だった。

 変わっていったのは、中学に入ってからだった。
ふたつの小学校が一緒になった中学に入学し、まず環境の変化は大きかった。
3クラスが9クラスになり、部活が始まり、3年になれば受験が待ち構えている。
 その中で、自分自身を見つめたり、教師や親の姿の後ろにある社会全体を見て大人の世界の醜さや矛盾を思い 悩むことも多かったと思う。

 中学1年のときのことだ。学校から帰ってきた娘が言った。
〜〜〜A君の夢は××高校に入ることなんだってぇ。
「高校を出たら どうするの?」って聞いたら「有名な大学に入るっ」だって!
大学を出たら、大きな会社に入って、お金を沢山もうけたいんだってさ。
「で、どうするの?」って聞いたら、黙っちゃった・・〜〜〜
人の幸せは、そういうことではつかめないだろうと感じていた娘だった。


 目の前にせまっている選択の時、とりあえず持っている力にあった高校に行ってもらいたいと親は思っていた。
それが、このあたりでは有名な進学校の××高校だったのだが。
 A君と同じような考え方で選んだように思われたくない、
学校でその人の価値を決めるかのように、ランクわけされるなんて、おかしいじゃないの?
 ××高校をめざしている子たちは がり勉ばかり・・友達はひとりも行かない・・・
がり勉家って、テストの点のことだけしか考えてない!
 選択のときになって、なんだかんだと言い始め、しまいには「△△高校には、友達も行くから△△高校にしたい、制服もかわいいし・・・」と言い出した。

 今になって反省しつつ思う、もっともっと話を聞いてあげればよかったと。
そのころの私は、娘が話しだすと、なんとか説得しようモードに入ってしまっていた。
 小学校に数年勤めていたので、小学生のことはよくわかっているつもりだったが、中学生以降の子供の成長のことは、まったく分かっていなかったんだと思う。
 私は、親が望んだ高校に入ることが親を喜ばせることだからと、高校を単純に選んだ。そんな体験など なんの役にもたたないどころか、話せば子供を怒らせ、馬鹿にされるだけだった。


 友達関係を大切にし、がり勉をしていたわけではないのに、成績がいいと、がり勉していると思われることを嫌った。
テスト前でも、こちらがはらはらするくらい、友達の家に、わざとのように泊まりに行ったりして、遊んでいた。
 どんどんどんどん、このまま悪の道!に入っていってしまったら、どうしよう・・・と心配になり、注意することになるのだが、そこでまた、衝突が起こってしまう。
もっと、信頼し見守ることができれば、よかったのに・・。
 最初の子供のときって、親も初体験で やたらと心配になってしまうのだ。
その心配を子供にぶつけると、はねかえり、子供はますます遠ざかっていく。

 結局、××高校へ行ったのだが、部活に全力投球の日々が続き〜高校3年の後半ごろになって、ようやく勉強を少しずつするようになっていった。
将来の夢が、はっきりしてきたのだ!
 その職業につくためには、どの学部に行ったらいいか、
その学部がある大学はどこか自分で全部調べ、
「受けさせて欲しい」と親に頭を下げ、
願書を出し、
ひとりで試験に行き、
合格し、
そして 家を離れていった。
最初の引越しのときだけ、手伝ったが なんでもひとりでやってしまう人に成長した。

 高校3年のとき、大学の模擬テストをいくつか受ける中で、自分が行きたい学部ではないが、それに近い学部がある大学の、受験生の順位を調べてみたことがあった。
何千人も受けた中で、なんと2番!
 そんな超有名な難関大学でも、行こうと思えば行けるのに、「やっぱり そこに行っても資格は とれないから・・」と、動かされることはなかった。
今でも、「偏差値がどこの大学が高くて どこが低いのかわからない・・」と笑う。

 大学生となったばかりの年の母の日に
「大学に行かせてくれて ありがとう、がんばって勉強するから」というメッセージとともに、カーネーションが届いた時は涙 涙・・。
 大学では、これまででこんなに勉強したことがないと本人がいうほどの勉強をし、理学療法士となった。
 そして、今も感心するほどの勉強を続け、障害を持っている方たちのために働いている。
 その研究に裏付けられた技術もだが、そのやさしさは人間としてすばらしいと思う。親の口から 言うのもおかしいが。
 幼い心に蒔かれた種〜強い人ってどういう人?・・・・という種が芽を出し育って 花開き、本当の強い大人になった。
 このような、人のために役立つ人を世の中に送り出すことができて まずは ほっとしている。まだ あとが控えているのだが!

 学歴など関係ないといいつつ、学歴社会の中で育ち 就職し、さまざまな思いを持ったために、実はおおいに気にしていた、未熟な母親に反発する気持ちは、今になればよくわかる。内にこもらず、親にぶつけてきたことは、良かったことだったと思う。
 春風怒涛のときと思っていた日々は、親を成長させてくれた感謝すべき日々だった・・・・・・これも 今になって思えることだが。


                                2002  10.23

   
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