末っ子のプチ家出

 ただ今、思春期真っ只中、反抗期の三男。まだ寒さが残る、春さきの風の強い夜だった。家の中でも、春風が吹き荒れていた。
 
 「あんたのこときらいだから 今夜は かえらねえ」ひらがなが目立つかきおきを残し、リュックを背に(何が 入ってたんだろう?)玄関をバタンと閉め、出て行った。

 
 小遣いのことで、私と言い争いになったのだ。「今夜は」と限定つきのところが、家大好きで、ほんとは私のことだって、大はつかないかもしれないが、そこそこ好きな(と 思う)ヒロらしい。
 

 一晩位、コンビ二めぐりか、友達の家にでも行かせてもらって過ごすだろう、野宿は ちょっと寒いだろうなあ・・・とにかく明日には帰ってくるだろうと追わず探さずで待つことにした。
 
 3時間ほどたった、9時少し前のことだった。外でガタンと妙な音がした。もしや?と雨戸をあけると、くの字に曲がった物干し竿を手に、困ったような顔をしているヒロの姿が、暗闇の中にうかんだ。
 
 物干し竿を使って、ベランダから自分の部屋に入ろうとしたのだ。玄関は、今夜は一晩あけておくつもりであけてあったのに・・。

 
 家に入ってからも、また言い合いになった。感情を、激しい言葉でぶつけるヒロに「そんな感じ方をするようになったことは、お母さんの育て方にも問題があったんだと思う。反省してるよ。」とつい涙声で、いつになく謙虚に言うと早々とすて寝をしてしまった。


 しばらくすると、いろいろと考えたのだろう、襖をそろそろとあけ膝をおり、「お母さんごめん。今夜のことは忘れて・・」とあやまってきた。そういうことなんだ。ついつい 余分なことまで言ってしまうのだ。冷静になって考えれば なぜ あんなことまで言ってしまったんだろうと思うようなことまで・・。
 言うように 今夜のことすべてを忘れてやろうと思ったものだ。 

 
 私もこの年齢のころ、親に対する反抗心は勿論あったが、言いたいことを言ったら、こっぴどく叱られるだけでなく、親から見離されると感じていた。
 だから、心の中ではたとえののしっていても、口には出さなかった。
 ためられた思いは、いつまでたってもなかなか消化することができなく、大人になってもそのまま残り、始末に困ったものだ。

 
 そんな私と違い、上の3人の子たちも、その時期には、しっかり反抗してきた。私が、親に感じることができなかった「どんなに反抗しても、親は変わらず自分のことを愛してくれる」という安心感があるのだろうと思っている。
 

 反抗期も 成長の一過程なのだ。
 幼い頃は「僕は家から通うように、焼津大学(?)に行くよ」と、上の子たちが次々と家を離れていき寂しそうにしている私を慰めるかのように言っていた末っ子も、巣立ちの日が近い。     

                   
                2002. 4.25
       
レトロはんてん

 風の冷たい日も、おんぶばんてんをすっぽりはおって外に出ると、背中から子供のぬくもりが伝わってきて寒さが苦にならない。
 
 今 小学生の3人の子供達が赤ちゃんのころは、義母からもらったおしゃれなママコートがあったので日の目を見なかったこのはんてんだが育児用品をほとんど処分してしまった後に授かった、3男の時になって、大活躍している
 
 20代の時には少し抵抗があり、ほとんど使わなかったし、若いお母さんにあげても喜んでもらえそうにない気がしてそのまましまっておいたのだった。私達兄弟が赤ちゃんの時使われたという透き通るような藍色の地のはんてん
 今ではとても気にいっていて、街へ出かける時も、参観日にもはおっていく。今は亡き祖母や母の温かさまで伝わってくるようで、何とも幸せな気分になる。
 今思うと懐かしいが、嫁しゅうとめの争いの絶えない2人だった。
 しかし、「赤ちゃんだった私達をおんぶしている時は、平和だったのではないか」と思ったりする。
 
 はんてんにくるまれて外に出ると、1歳になったばかりの3男が背中で、電線に止まっているカラスを見ては「カー」と言ったり、バスが通るのを見て「バッ」などと、覚えたての言葉を言って、嬉しそうにしている。
 最近20代の友人が、ジーパンにはんてん姿の私を見て「ステキ!」と言ってくれた。世はレトロブーム!ますます 気をよくして愛用している。

1988年 2月 9日 毎日新聞「女の気持ち」欄 掲載
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