試練 その後

 息子の誕生日がくると 事故のことを思い出す。
あの日、夜中に電話を受けてから 涙が出っぱなしだった。
どんなに 痛かっただろう。
今この時も 痛いだろう。
大学生になって 8ヶ月弱。まだよくわからない土地で 意識が戻ったとき 誰も家族はいなくて、どんなに不安だろう。


 親の目から見ると なかなかのハンサム。
笑うと歯並びのいい真っ白い歯が印象的
な息子。
あの歯は もうないんだ・・・顔には傷・・・
これから 恋もする年齢なのに。
朝 起きてきた3男に「お兄ちゃん フランケンシュタインみたいになっちゃった・・」と
夫が言っている声が 遠くから聞こえてきた。
かわいそうで、ぬぐってもぬぐっても涙がこぼれた。


 それから2週間 息子のアパートから病院に通う日々が 続くことになった。
最初にICUで 息子に会ったとき、「頼みたいことがある」と息子が言うのだ。
なにかと思ったら「明日からしばらく バイトは休ませてもらうけれど、直ったらまたやらせて欲しいとバイト先に言っておいて」ですと。
そのときは、2日間は油断できないと言われていたときだったので、退院後のことを考えているということが とても嬉しかったものだ。


 
救急病院から 広島大学病院の歯科のほうに転院したのは2日後。
診断のあと 医師が 
「相当な衝撃だったんですね。口の中の小さい骨は粉々になってました。歯も数本 どこかにいってしまったようだし」と驚いて言われた。

 食事はミキサーで どろどろにして食べる・・というよりストローで飲んだ。
吸おうとしても 口がしまらないので 空気がもれ 音ばかり大きくて なかなか入らなくて苦労していた。「虫になった気分〜」なんて言って 心配する私を 笑わせていたっけ。

 症状が落ち着いてきたころ、事故のことを書き 県出版文化会の家庭教育雑誌に投稿し、新人賞をいただいた。(「初めての大きな試練」) 祝賀会に招いていただいただけでなく、トロフィーや賞金をいただき恐縮した。市の文芸誌にも 今度は10枚で投稿。入選だった。
ころんでも ただでは起きない〜と夫には笑われたが、そのころ 思うことのほとんどがケガをした息子のことだったので、書いたことは 自然なことだったと思う。
 その現場では、何回も事故が起きていたと写真左奥のコンビ二の店員さんが言っていた。
裁判をおこしたい気持ちはあったが、遠いことや夫が多忙だったことと なによりも命が助かったので そうすることは止め 書くことでストレスを発散していたのだ。

 私が帰ってきて 何日後かに退院し、大学に通いながら通院すること1年と3ヶ月。
一応治療が終わった。
顔の傷は、年々目立たなくはなっている。
「もっときれいにしたいと思ったら いつでも治療できるんだよ」という私に
「もう この顔 見慣れたからいいよ」という息子。
前歯は、ブリッジなので噛み切ろうとすると痛むらしく、 おせんべいやとうもろこしなどは、品良く 手で割ったり 取ったりして食べている。
カツの時などには、なにげに息子のものは 小さめに切って出す私である。



静岡新聞 1999年 2月26日掲載
                                      
「子供達」目次 前ページ 次ページ トップページ