野の花

 「明日のことまで 思い悩むな!」と神は 言われる。
その日の苦労は、その日だけで十分である、
明日のことは、明日 思い悩めばいいのだ・・・と。

 「
野の花」を見よ。
明日は、抜かれてしまうかもしれない野の草でさえ
神は、美しく装ってくださっている。
まして、あなたがたには、なおさらではないか。
 あなたがたに必要なものは、
すべて 与えてくださる。
 なによりも まず、神の国と神の義を
求めなさい。・・・・と聖書には、書いてある。


 「野の花だより」の 「野の花」は、ここから拝借した。

 生きていくことは、楽しいことや 嬉しいことばかりではない。
つらいことや 悲しいことも、たくさんある。
子供がいれば、その子供のつらさや悲しみも、自分自身のことと同じか
それ以上に 心の痛みを感じる。

自分自身のことでは、不惑の年を十(とう)に過ぎても、
神を信じる者となっても、勿論 悩むことはある。
「私は、これでいいのか・・・こうしていて本当にいいのか・・・」
と、時に 落ち込む。
 家庭の中で、家事を家族がわけあってすることは、
現状を見ると、とてもできそうにはなくて、私が家事をしている。
気のすむようにやろうとすれば、時間はかかる。
時間をかけて、やっても だれもほめてくれるわけでもなく、
外での仕事のように、給料がはいるわけでもない。
だからといって 家事は、おろそかにはできないものだと思う。
特に 子育ては、母親の役割をプロに任せられるはずがないと思ってきた。

 仕事は人の賞賛を得るために やるものでもないだろう。
と思いつつも、認められたいと思う自分がいる。
 家族の生活を経済的に支える仕事は、夫が一手に引き受けてくれたが、
共働きの家庭を見ると、もっと がんばれば 私にもできたかもしれないと
心の奥の奥でつぶやいてしまう自分。
 
 思い悩むことは、自然なことで、だれにもあることだが、
その日のことだけでなく 明日のことも、その次の日のことも
思い悩んでしまいがち。
 一日ごとに切り替えることができるように、一日はあるのかも・・
神の国と神の義を求めれば 求めるほど、苦労と感じることは
減っていくのだろう。
「必要なものは すべて 与えられている」
と感謝できる一日を 積み重ねていくことができたらいいのだけれど。
                      

                           2002  11.19

                             
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