さんさん 傘寿


 その年齢になる前に亡くなった父には、やってあげることができなかった
傘寿(八十歳)を祝う年に 母がたどりついた。
姪たちや息子の受験も無事済んだことだし、みんなで集まって 
お祝いしようという事になった。
場所は、実家の隣町にある温泉旅館に決定。
「費用は任せてというと、かえって 気を使うだろうから ひとり○千円出してくれ」
と兄が言うので
「それじゃあ とてもまかなえないでしょうけど・・ まっ 長男の顔もたてなきゃならないだろうから おことばに甘えて」ということに(^_-)-☆パチッ

 当日までに、ビンゴの賞品を 頭数 買ってくることを 義姉 義妹に連絡。
多数決で、500円相当のものということになる。
長男の子供を遊びに来させ、ビンゴ用の100までの数字カードを作り準備ちゃくちゃく♪
娘や県外の大学生の甥も かけつけ、兄弟3人の家族16人が
集まることになった。
全員が顔をそろえるのは、両親の金婚式のお祝い旅行以来だったので
私たちも楽しみにしていたが、一番喜び 心待ちにしていたのは母。
電話の声が、父がいた頃のように 明るくはずみ、
(いろんなことを忘れっぽくなっているのに)
その日にちは、しっかり 覚えていた。


 当日、焼津組7人は一台の車に乗り、
動物しりとりなどなど 長男娘(小学1年)がいてくれるからこそ 楽しめる遊びで
笑いいっぱいの1時間15分ぐらいを過ごし 実家に到着。
前回の旅行の時は、早朝の駐車場で輪を作り
みんなの片手を重ねて、
「楽しんでくるぞっ!」
「 オーッ!」
「出発するぞっ! 」
「オーッ!」
と 近所迷惑なことを にぎやかに やったことを思い出した。
嬉しそうな父の笑顔があったことも。
 
今回は、全員 集まったところで、父のお墓参りに行き その後 いよいよ旅館へ〜〜
 
 旅館に着き、宴会場を見ると テーブルが2列になっていた。
誰かが 「みんなの顔が見えるほうがいいねぇ」と言うので
ロの字型に 並べなおし 温泉に入りたい人は 入り〜
席は、くじにしょうということになり 急遽 くじをささっと作って
席を決め。
まず 兄の挨拶 次に母のお礼やらなにやらの
(認知症とも思えないような!しっかりした)話。
乾杯の音頭を合図に、しばらく 食べたり 歓談したあと 
ビンゴは、娘と息子が司会で、和気あいあいと進められていった。
夫提供の音楽ギフト券の特別賞も なかなか好評♪
当たると中をあけ みんなに披露していくと
不思議なくらい その人その人にあったものが 当たるのだった。

 カラオケが始まったので、「歌おうよ」と母を誘ってみた。
もう 疲れたし・・・いやだよ・・・とゴロンと横になってしまい(+。+)アチャー。
弟が 最近 母をカラオケに連れていった話を聞いていた。
「テンポが合わないし 音も合わなくて ゼンゼン だめだった・・・
一曲 歌ったら、もういいよ〜とソファーに寝転んでしまうありさまだった」と。
都はるみの歌だったらしい。
もっと古い歌だったら きっと 歌えるのでは?と思っていた。
まだ 私が子供のころ、レコードがあり、よく母が聞いていた高峰美枝子の歌!
「お母さん 湖畔の宿なんて どう?」と言うと むくっと起き上がり
ニコッと笑い「懐かしいねぇ」だって(\(^O^)/ヤッター)

 とうとう 歌い始めた。
「ここに幸あり」「湖畔の宿」「純情二重奏」「からたちの花」・・
母が歌が上手なことは ちょっとばかり 家族の自慢だった。
台所仕事をしながら歌う母の後姿を見ながら晩酌する父が
「お母さんは ほんとに歌がうまいなあ」と 手離しでほめていたっけ。
のど自慢大会に出れば、優勝してくる腕前だった。
入れ歯を何回もなくした上、最近作った入れ歯があわないと歯を入れてないため
クシャンとなった顔が・・・マイクをもつと輝いて、
昔の(ほぼ)まんまのきれいな声が流れると
孫たちの目が驚きでテンになり、
いっしょに歌ってやらなければならないかと思って持っていたマイクを私は置き
聞き惚れ〜〜 一斉に拍手喝さい(*^^)//。・:*:・゚'★,。・:*:♪・゚'☆パチパチ
久々に たっぷり歌い、子供たちや孫たちの歌も 聞き 満足気なおばあちゃん。

よかった♪ よかった♪
この楽しかった傘寿の会の余韻で きっと しばらくは いきいきと
過ごせることだろう。
過ごしてほしい・・・

                               (2005年3月20日)
                                    4 月13日記
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