説教のミニ解説   [2]最新  2017年8月12日/13日~
 

   「賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油をいれて

持っていた。」

                 マタイによる福音書25章4節

  

今日の「十人のおとめ」のたとえは、終末に備えるキリスト者として歩む時、

気をつけておきたい「心の準備」や「思慮深さ」を教えてくれます。

花婿の到着が予想以上に遅かったので皆眠気がさして眠り込んでしまったと

いう状況。花婿の到着は夜中になってしまったのですから、無理もありません。

そこで問題になったのが、「油の用意」です。

「油」は何の比喩なのでしょう。聖書はいつも「油」で、「聖霊」を象徴的に、

示します。聖霊の油を絶えず準備し(信仰によっていただき)、また信仰生活の心

を聖霊の油で潤して歩みましょう。


                              【2017年11月18日/19日】                                    
 

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、

あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。

第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさ

い。』」

          マタイによる福音書22章37~39節

 

 ファリサイ派の学者たちはモーセ律法を分析して、248の積極的

命令と365の禁止命令、合計613の戒めがあると教えていました。

そして、あまりにたくさんあって、どれを優先するかで混乱も起きてい

たのです。「どの戒めが一番大切か」は学問的にも実際的にも非常に重要

な問いでした。

一般の社会でも「ルール」がありますが、その精神が失われては意味

が無くなってしまいます。

信仰の姿のポイントを、ここでイエス様は、こともなげに答えられ

ます。その答えは難しくないのです。神への愛・人への愛。そして、そ

れはイエス様への愛に根ざし教えられ導かれるものです。

                                      【2017年11月11日/12日】

 

「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち

二人が地上で心を1つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえて

くださる。」

 マタイによる福音書18章19節

 

  今日の聖書のことばは、「祈り」と結び付いています。わたしたちが地上でつなぐこと

が、天でつなぐことになるためには、人間中心の思いが支配するのでなく、キリストの

支配を求めることが大事です。わたしたちの行為が天にいます神様へとつながるように

祈りましょう。

 イエスさまご自身も、ゲッセマネの園で祈られました「わたしの心でなく、御心が行

われますように。」と。


                         【2017年9月30日/10月1日】

 

「もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹の事を

喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなた

がたの天の父の御心ではない。」

 マタイによる福音書18章14節

 

  イエスさまはご自分をよい羊飼いになぞらえて、「彼は自分の羊の名を呼んで

連れ出す」と言います。イエス・キリストは、一匹の羊を百匹の中の百分に一と

してではなく、一匹一匹の羊の名、すなわちその特長、役割、大切さにおいて、

ご存じです。同じように主なる神も、羊一匹一匹の名を命の書に記しておられます。

それが滅びると言うことは、父の御心ではないのです。

                                            【2017年9月23日/24日】
 

「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」 シモン・ペテロが

「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。

 マタイによる福音書16章15~16節

 

  フィリポ・カイサリアでのペテロの告白は、今までイエスさまをメシアと、思って

いなかった人が、段々と教えられ、ついにメシアと信じるに至ったことを示したと言う

より、むしろ、はじめはキリストを信じていた群衆が、ファリサイ派・サドカイ派の

煽動で信仰を捨てた中で、残った弟子たちがなお依然として、はやり「あなたこそキリ

ストです。」と告白した姿です。

私たちの、信仰告白も、今日の礼拝で告白されるように、くり返し、くり返し、日々

の中で、自分の信仰を確認しつつ、主に告白します。

                                            【2017年9月16日/17日】
 

「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」  

 マタイによる福音書15章28節

 

  「カナン」とは、イスラエル民族がエジプトからパレスチナにやってくる前に

そこに住んでいたパレスチナ先住民のことですが、その一部は、北の「ティルス」や

「シドン」の方まで分布していました。今日の日課で、イエス様が出会った女性が、そ

の地方の一人だったのです。彼女は「主よ、ダビデの子よ」といかにもユダヤの宗教を

知っているかのような呼び方です。しかしどれくらいの知識・信仰があるのか、わかり

ません。

イエス様の伝道は、この時、24節の「イスラエルの失われた羊」のように選民再建

とも言えますが、今日の異邦人である女性との出会いはその壁が破られたと言えます。イ

エス様の救いを信じて退かない女性。その信仰の大きさ・忍耐・謙遜に、いやしの業がな

されます。世界のすべての民の救い主の顕現です。

                                     【2017年9月9日/10日】  

「そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、

パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。

弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。」

           マタイによる福音書14章19~20章

 

  今日の日課は、荒野で、たくさんの人々を養ったイエスさまの奇跡です。

このイエス・キリストに従う者は以下のようにも示されます。(聖書より)

「荒野の中でも恵みを得」(エレミヤ31:2)

「涙の谷を過ぎてもそこを多くの泉のある所とし」(詩編84:6)

「貧しいようであるが、多くの人を富ませ、

何も持たないよであるが、すべてのものを持っている。」

(Ⅱコリント手紙6:10)

キリストは、私たちの十分な牧者です。

                                          【2017年8月日26/27日】  

 今日の聖書:マタイによる福音書13章44~52章

 

  今日の日課の、三つのたとえ話はどれも「天国は・・・のようにたとえられる。」

 と語り出されています。初めの二つは、宝を探し当てる歓びが示されています。

 現代でも都市の工事中に、思わぬ所から小判がザクザク出てきて、その所有権をめ

 ぐる争いが起こったりすると言いますが、昔のユダヤでは、土地を買い取った発見

 者の手中に入るのが常だったようです。一番目のたとえ話は、そのようにした人の

 話ですね。正当に畑を買い取ったのです。

  畑を買い取ることが出来た。天国はお金で買えませんが、天国の見出される畑、

 救いの得られる畑なら、努力すれば得られる、というお話になっています。

  私たちも、信仰生活で知っています。主の与える私たちの畑は、信仰生活、聖書

 の学び、祈り。猛暑の中でも、教会と自宅で神との交わりの時を持ちましょう。

                                            【2017年8月19日/20日】  
 

「天の国は次のようにたとえられる。」

                マタイによる福音書13章24章

 

  マタイによる福音書13章は、天国のたとえ話をぎっしり詰め込んだ章です。

 25節の「毒麦」で表される植物は、鶏などの餌として与える穀物のことで、麦

 に似たその穀物は、育つ間は見分けできず、穂になって初めて、黒い色で見分け

 がつきます。だから、刈り入れまで待とうと言うことです。

  「からし種」と呼ぶ物は、日本ではアブラナ科のカラシナの種ですが、ユダヤの

 「からし種」は、大きければ3~4メートルにもなる木です。ルカによる福音者

 の13:19では、「庭にまく」と言われていますから、庭にまくどの草花よりも

 大きくなるという種子の状況を示しています。

                                     【2017年8月12日/13日】