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ルカによる福音書13945

  そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

 

 

 

『クリスマスの知らせ』  

 

マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。

 

本日のルカ福音書1章のみことばに、こう書かれています。

マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。

 

これは、私たちが、少し想像力をたくましくさせないといけないところです。

何について、想像力をたくましくさせるか。

胎内の子がおどったさまか。それも、確かに想像力が働きます。元気のいい男の子だったのかな、なんて。

 

でも、それ以上に興味をそそるのは、マリアの挨拶です。

 

彼女は何を言ったのでしょうか。

聖書には書かれていません。こういうふうに言った、とは、何も書かれていない。

 

それどころか、今日の個所は、マリアのセリフはひとつも書かれていないのです。

 

クリスマスの主役は、ある意味で、マリアでしょう。

今日も藤枝礼拝堂では、礼拝の後、ページェント(聖誕劇)がある。日曜日に礼拝に来て、エンジェルタイムを過ごしている子どもたちが、秋ごろから、少しずつ練習してお披露目します。今年は、新型インフルエンザの流行もあって、なかなかみんなが顔をそろえる機会も少なくて、先生方も苦労したようですが、なんとか、たどり着きました。

 

ページェントをやる時も、主役はマリアです。

ページェントをやるよ、となったとき、マリア役は誰かな、と真っ先に考えます。それが決まれば、あとは、どうにかなります。

クリスマスの主役、間違いなく、マリアです。

 

でも、実際に聖書を読むと、そうでもない。マリアは、そんなにセリフもない。今日の個所では、一言もない。

マリア挨拶をした、とあるけれども、その内容は書かれていない。

 

でも、その挨拶の言葉を聞いたとき、エリサベトの胎内の子供はおどりました。

そして、エリサベト自身も、気持ちが高ぶりました。その挨拶を受けて、聖霊に満たされたと書かれています。

 

セリフのないマリアですが、もう一度彼女にスポットを当ててみますと、彼女は、急いでここにやってきています。

彼女の家はナザレにあり、今、エリサベトのいるユダの町山里に来ました。

34日はかかる道のりと言われます。いくらマリアが若くてもたいへんだったでしょう。

けれども、それほどの大変な思いをしてでも、マリアはここに来たかった。エリサベトのもとに来たかった。

何のためか。挨拶するために。

 

何の挨拶だったのでしょうか。

 

実は、これに先立って、マリア自身も、挨拶を受けています。

先週の礼拝で学んだところです。今日の個所の、すぐ前のところを先週は学びました。

それは、天使ガブリエルがやって来て、おめでとう、恵まれた方。あなたは身ごもって男の子を生む。その子をイエスと名付けなさい。という有名な場面です。

ページェントでも、欠かせないセリフです。

 

聖書ではこう書かれていました。

「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。

 

マリアへの挨拶の場面でした。

それは、マリアが、戸惑い、考え込んでしまうほどの挨拶でした。

 

しかし、初めは戸惑いましたが、マリアは、このみ告げを、神からの聖なるみ告げとして、受け入れました。

じたばたすることをやめ、それが神のみ心であるならば、と受け入れました。

 

その時、この知らせは、彼女にとって、天からの祝福の知らせとなりました。神さまと自分とを、強く結びつけるものとなりました。それが、天からの挨拶でした。

 

その挨拶の意味を知って、マリアは、急いで、ユダの山里に行きます。

天使の御告げの中で紹介されたエリサベトに会うためでした。

 

彼女もまた、六か月前に、男の子を宿した。不妊の女と言われていたのに、子を宿した・・・それもまた、神さまのお働き。

 

いま、この地上で、神さまのみ心が、あなたと、エリサベトのふたりの身に起こった。あなたがたは、これを担っていくために、選ばれたのだ。という挨拶を受けて、マリアは、エリサベトのもとに行きました。3日かかったか、4日かかったか、わかりません。超特急で到着したように、聖書には書かれています。

 

そして、マリアはエリサベトに挨拶しました。単なる儀礼的な挨拶ではなく、祝福を告げる挨拶の言葉だったはずです。いや、祝福そのものだったはずです。マリア自身が、天使から受けたような、神さまからの、天からの、祝福を告げる挨拶だったはずです。

 

彼女は何と言ったのだろうか。おなかの中の胎児がおどるほどの、また、エリサベトが、歓喜のうちに、声高らかに、感謝と、讃美を口にするほどの挨拶

 

聖書がそれを、きちんと書きとめなかったのは、わたしには、ひとつのメッセージに聞こえます。

 

マリアがエリサベトに何と言ったのか。

それは、今日、あなたが、隣にいる人に向かって、何を言うか。どんな挨拶をするか。それを考えたらいいのだ、と聖書は、告げているかのように、聞こえるのです。

 

あなたの口から出るその言葉で、それを聞いた人が、おどるような、歓喜に満ちるような挨拶があるとしたら、それは何か。

どんな時でも、どんな人にでも、それが、祝福になるような挨拶とは、どんな言葉か。

 

いや、言葉だけではなく、言葉にはならない、そのような心とは、どんな心か。

考えなさい、そして、神さまご自身は、あなたにいつもどんな挨拶をしておられるのか、振り返って御覧なさい、と呼びかけている。

 

いろいろな言葉が浮かんでくると思います。

そして、それは、言葉ということだけではないでしょう。雄弁な人、気のきいたことを言える人がいい、というわけではない。

 

どんな思いを抱いているか、どんな思いをもって生きているか。

神さまと自分との関係、そこに、どんな思いをもっているか、・・・それが、肝要です。

 

その答えとなる言葉が、エリサベトの一言にありました。

主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いなことでしょう。

 

ここに、最大の祝福があります。これが、本当の祝福です。これがあってこそ、クリスマスの喜びは、祝うことができます。

 

主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いなことでしょう。

 

私たちの思いを、私たちの挨拶を、真実に、豊かなものにするのは、これであります。

 

主のおっしゃったことを信じる生き方。神の言葉を、純粋に信じる生き方。そのような心持ち。

そのような心から出てくる挨拶は、祝福となって、隣人の耳に響きます。

 

心から、主を信じて生きるならば、その人の心には、希望が満ちあふれるからです。希望をもって生きている人の言葉は、その挨拶は、希望を与えます。

主を信じて生きているならば、心に、愛が宿ります。愛が宿っている人の挨拶の言葉は、人を包みます。人を支えます。

主を信じて生きている人の言葉は、人と神様を結びつけます。

 

信仰をもって生きている皆さんの言葉は、挨拶は、そういう力をもっています。

 

マリアがエリサベトに告げた、あの日の挨拶と同じように、それを受けた人、それを聞いた人が、おどるような、力を得るような、神さまと結び付くような力をもつ。

私たちも、そういう言葉をもって、そういう心をもって、生きていくことができるのです。主のおっしゃることは、必ず実現すると信じて生きるならば!

 

あの日、マリアとエリサベトは、ユダの山里で、会って、挨拶を交わして、祝福の言葉を述べあって、そして、神さまを讃美しました。ほめたたえました。

 

今、私たちは、ここに来て、この礼拝堂に来て、たがいに挨拶を交わし、祝福を祈りあっています。神の家族として、受け入れ合い、赦し合い、祝福あるようにと祈り合っています。そして、一緒に、高らかに讃美しています。

 

あの日、ふたりの女性が出会ったユダの山里、イエス・キリストのお生まれを信じて、喜びあったあの山里は、いま、ここにあります。

神さまからの約束を受け取り、信じて、たたえあったユダの山里が、いまも、ここにあるのです。ここに私たちは、招かれて来ているのです。

 

私たちはここで、神のみ子のお生まれを信じ、喜び、祝福を受けて、その祝福を携えて、生きていきます。

たとえ、34日かかる道のりであろうとも、苦難の待つ毎日であろうとも、希望を胸に生きていくのです。

 

イエス・キリストは、2000年の昔、マリアの胎に宿りました。

その知らせを受けたマリアは、これを、天からの祝福の挨拶として、信じました。

そして、祝福の挨拶を届ける人にされて行きました。

 

その喜びの知らせは、時を越えて、すべての人に届けられています。

今、私たちのもとにも、天の知らせ、クリスマスの知らせは、届いています。

この独り子を、わたしは、世に遣わす。天から遣わす。あなたのもとへ、あなたの胸に、希望と、愛と、信仰の灯をともすために、わたしは、独り子を遣わす。この知らせを信じる者は、幸いである!

 

マリアは、エリサベトのもとへ、ナザレから、ユダの山里まで行きました。その距離をものともせずに、行きました。

でも、神さまは、天から、この地上へ、いや、天から、あなたのもとへ、来られました。その距離など、ものともせずに、急いで来られました。あなたを救うために。

 

救いの御子、イエス・キリストはお生まれになりました。

あなたを救うために生まれました。

 

クリスマスおめでとう。

お互いに、心から、この挨拶を交わし合いたいものです。

 

 

                                20091220日 礼拝にて

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