説教集 目次へ 
 

ヨハネによる福音書1114

 

  初めに(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

  言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは、父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

 




『闇を照らす光』

 

クリスマスおめでとうございます。

2009年も暮れようとするこの時期、今年も、クリスマスの夜を迎えました。例年通り、たいへん大勢の皆さんと、この島田礼拝堂でクリスマスの礼拝を守ることができますことを、感謝いたします。

 

クリスマスの礼拝は、しばしばこうして夜に守られます。それは、神の独り子、イエス・キリストのお生まれが、夜だったからにほかなりません。

うら若いマリア。当時、女性は、13歳から15歳くらいで婚約、結婚していたと言われますから、イエス・キリストの母となったマリアは、今でいえば、女子中学生くらいだったということになりましょう。

平均寿命が、80歳、90歳になろうとしている今、そして、晩婚化の進んでいる現代と、聖書の時代では、大違いですね。同じ1415歳の女性と言っても、今の女の子たちと、当時のマリアたちでは、ずいぶん物事の考え方なども違っていたことでしょう。

 

いずれにしても、そのマリアと夫ヨセフの間に、泊めてもらえる宿屋も見つからず、馬小屋で生まれたのが、ひとりの赤子でありました。

 

静まり返った夜でした。

これもまた、今とは大違いであろうと思われるのが、夜の暗さであります。

いま、私たちの世界は、夜と言っても、昼間のように明るく電灯やネオンがキラキラ輝いているところがあります。

この島田礼拝堂があるあたりは、まだ、静かで、夜の時間を夜の時間として味わえるところですが、場所によっては、昼間よりも明るいところもあります。

 

当然ながら、聖書の時代、夜は、真っ暗でした。明かりなど、ほとんどなかったと思われます。

しかし、私たちは知っております。暗ければ、暗いほど、はっきりと見えるものがある。それは、夜空を彩る星です。

星の光は、周りが暗ければ暗いほど、鮮やかに輝きます。

ネオンがキラキラする都会の真ん中では、星は、ほとんど見えません。

でも、暗いところなら、星はよく見える。だから、今でも、たとえば、自然のままの山に登って、夜空を見上げると、わー、きれいだな、と思わず叫びたくなるような星空を眺めることができます。

 

ときどき、映画や小説で、タイムマシーンに乗って、未来や過去に行って来るというストーリーを見かけますが、わたしは、もしも、タイムマシーンに乗ることができたら、ぜひ過去に行ってみたいと思うことがあります。

 

聖書の時代に行ってみたい。

彼らは、どんな空を見ていたのだろうか。昼の空も、青空の色が違ったかもしれない。そして、夜の空は、どんな星空だったのだろう。

どんな夜空を見上げながら、み言葉を綴り、またみ言葉を読んでいたのだろうと、思うのです。

 

マリアとヨセフが、神の御子、私たちの救い主イエス・キリストを、出産したのも夜でした。

そして、そのことを思いめぐらしながら、ヨハネという人は、特殊な書き方で、これを記しました。それが、さきほど、岡村神学生に読んでいただいた、ヨハネ福音書第一章のみ言葉でした。

 

この福音書を記したヨハネは、イエスとか、キリストとかいう名前をどこにも用いることなく、クリスマスの物語を書きました。

彼は、この序文の中で、イエス・キリストのことを、ただと書きました。「言の葉」の葉っぱの部分を取り除いて、という字だけを残して、と日本語の聖書では書かれています。どう訳してよいか、迷いながら、きっとこういうふうにしたのでしょう。

 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

 

こういう書き出しです。美しい言葉です。

言葉には限界があります。自分の気持ちを、きちんと伝えようとしても、十分に伝えきれないような、あふれる思いというのがあります。

 

見えざる神さまを、その真実を、そして、その独り子イエス・キリストを語りつくすのに、どんな言葉をもってしても足りない。足りるわけがない。でも伝えないわけにはいかない。どうしたらよいか。どんな言葉を使ったらよいか。

一所懸命考えた。おそらく、この出だしの言葉が出来上がるまでに、何時間、いや、何日も、何週間も、考え抜いた。ああでもない、こうでもない、と。

その中で、これなら何とか、いいのではないか。十分とはいえないまでも、神の輝きを、この世に示すのに、この文章なら、精一杯つたえられる、と踏んだのでしょう。そうして生まれた言葉が、ここにあります。

 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

 

そして、ヨハネは、これを書き綴っていく中で、この、こののうちに、命があり、その命が、光であったと記していきます。

 

言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

 

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

 

マリアとヨセフのもとで、イエスがお生まれになったのが、今からおよそ2000年前。そして、このヨハネ福音書が書かれたのがおよそ1900年前。

いったい、その時代、彼らは、どんな星空を眺めていたのでしょう。どんな夜の時間を過ごしていたのでしょう。

 

ヨハネは記しました。

光は暗闇の中で輝いている。

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

真っ暗な夜の中で、イエス・キリストのお生まれが、となって、を引き裂いた。

が覆う世界を、このが、照らし始めた。その瞬間を、彼は、こういう言葉で伝えようとしました。

 

そして、特に、クリスマスの瞬間のことを、彼はこう書きました。

  言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは、父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

 

私たちの教会も、栄光教会という名前でありますが、神のみ子が、私たちの間にお生まれになったこと、それは、であった、栄光であった。・・・それは、どんな栄光かと言えば、恵みと真理に満ちた栄光であった、とあります。

 

世の中にもいろいろな栄光があります。があります。

でも、世の中の光には、どこか闇があります。その光を手に入れるために、光の舞台に上がるために、ずいぶん闇のわざを陰で行ってきた、という類のものがあります。

世には、完全な光はありません。

 

それは、私たちひとりひとりの心と同じです。

皆さんの心の中には、闇がないでしょうか・・・。あるはずです。

一点の曇りも、闇もない、という人は存在しません。

 

悲しみという闇、裏切りという闇、憎しみという闇、不安という闇・・・。

数え上げればきりがない。

光より、闇に覆われているのが私たちです。

 

まったく、世の中が悪い、なんて世の中や、時代を責める資格は誰にもないのです。

闇は、私たち一人一人の内にあるのです。

 

その世の中に、この世の闇に、人の心の闇に、天からのが差し込んだ。

それは、栄光。神の栄光

恵みに満ちた栄光。闇の入り込む余地もない栄光

それは、真理に満ちた栄光。偽りのない、暗闇のない栄光。完全なる栄光

 

イエス・キリストは、そのを携えて、世に来られました。

ちょうど、いま、ひとりひとりが、小さなろうそくの光をもっているように、ひとりひとりの心の闇を照らすために、イエス・キリストはお生まれになりました。

 

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。とヨハネは記しました。この宿られたという言い方は、実は、もっと具体的に言うと、テントを張った、という意味です。旧約聖書の時代から、天幕を張る、なんて言い方をしていました。

流浪の民だったユダヤ人は、旅の途中、テントを張る。天幕を張る。その中央に、神さまが宿る天幕、神の天幕を張りました。私たちの真ん中に、いつも、神さまが、いてくださるというしるしでした。

 

やがて、定住する土地をもつと、今度は、神殿を構えました。エルサレムに立派な神殿を構えました。そして、神さまは、ここにおられるというシンボルとして、巡礼される場所となります。

 

そして、イエス・キリストのお生まれによって、私たちは、もう見える天幕を求める必要がなくなりました。イエス・キリストが、あなたの心の中に天幕を張って、住んでくださる。いつも、あなたと共にいてくださる。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。

この言葉は、そのことを、私たちに伝えております。

 

この恵みに満ちた約束が届けられたのが、クリスマスです。

それは、2000年前の話ではありません。

今、あなたの心に光をともすために、イエス様は来てくださる。宿ってくださるのです。

 

イエス・キリストは、お生まれになりました。

今日、あなたのために、お生まれになりました。

 

いただいた光を胸に、希望と愛と信仰の光を胸に、新しい日々を生きて行きましょう。

 

 

                         20091225日 島田礼拝堂キャンドル礼拝にて 

 
 
日本福音ルーテル栄光教会 表紙へ