観劇して 感激?


 「出かけて
リフレッシュ」というコーナーにしたものの、出かけてもリフレッシュできたと感じられない時もある。
 1泊では、昨年の10月には、飛騨高山や郡上八幡へ 暮れには鎌倉や 御前崎にも行った。
宿泊すると、その旅館が楽しかったと思える大事な要素だったりする。
10月に泊まったところは、宮さまが泊まられたこともあるという由緒ある大きな旅館だったが、旧館のほうだったので かび臭かった〜〜
 鎌倉は、お料理は最高級だったが 夫のいびきに加え 空調の音が大きく 調節がうまくいかなくて 暖か過ぎて気持ちが悪かった。
 御前崎は、出かける朝の新聞に、レジオネラ菌に感染し亡くなったという記事が載っていたのだ。県内のあちこちの温泉に行っていたので、どこで感染したのか不明というじゃありませんか!
そんなこんなで、書く気力もいまいちのまま、ずるずるになり今にいたる。


 昨日 東京の帝国劇場へ 母と一緒に森光子主演の「春は爛漫」の観劇に行った。
このことも 書くのを伸ばし伸ばしにしていると、同じどつぼにはまりそうなので、エイ ヤーッとばかりに 書いておくことにした。


 母は、胃のほとんどがない。数年前に手術したのだ。少しずつ何回にも分けて食べているし、時々 横になりたいと思うようだ。
そういう人を、連れていって大丈夫か・・ちょっと不安だったが、まあ なんとか無事に行ってこれた。階段で1回 こけそうになりどきっとしたが。

 朝 車で駅まで 息子に送ってもらった。
「楽しみ?」と息子。
「うん 楽しみだよ〜わかる?」
「わかるよお」
「えっ なんでわかるの?」
「だって・・そういうオーラが いっぱい出てるもん」ですって!
やっぱり 伝わるんだなあと大笑いした。
 東京駅で 新幹線から山手線への乗り換えが スムースにできるか不安ではあった。
「右も左もわかりませんって言って 駅員さんに教えてもらうさ」と言いながら「大丈夫かなぁ・・」と心配してくれる。

 母は、3年前に 父が亡くなってから 急に年をとった。
げらげら楽しそうに笑うことも、少なくなっている。
会うたびに 電話で話すたびに、「お父さんが こんなに早く亡くなるとは思わなかった」と言っては、病院でのことを話し 涙を流すのが いつものパターンだ。
 最近 もしや ぼけが始まったのでは?と感じることもたびたびある。
観劇中も、反対側にいた母と同じ位の年のおばあちゃんは、時々声をたてて笑いながら 真剣に見ていたが、母は一度も 笑わなかった。
 シーンと静まっている時、「ねえ ○○ちゃんが、うちに来ると 物がなくなるんだよ。手癖が悪いんだよ。」と言ったり、「あれあれ 大勢出てきて〜」なんて 家でテレビを見ている時の調子で、いちいちひとりごとのように言う。「シーッ」と何回か 言わなければならなかった。
芝居の世界の中に浸って 楽しんでいる隣の席のおばあちゃんとは違う。
静かだなと思って覗き込むと、疲れたのか・・ 眠いのか・・ 目をつぶっていることもあった。


 あとで「どうだった?」と聞くと「良かったよ、あんたとこうして来れて いい思い出ができた」と言っていたが、芝居を楽しんだというより、娘といっしょに出かけたことを 楽しんだといったほうがいいかもしれない。
 
 つい最近まで、母の愛情をほとんど 感じることができなかったし、(愛情がなかったわけではないと思うが、これは 表現するのがヘタだったということと私の受け止め方も悪かったのかもしれない)とても強気な人なので 恐くて 逆らうようなことは思っていても口には出来ず 言いたいことも いつも飲み込んでいたが、今では もう老い先短い人に 言っても仕方ないし、やっぱり気分を害するようなことは、言わないように気をつけている。
 弟は、近くにいて よく家のことをやってくれると私は 感謝しているのだが、仕事が忙しくて 家に行かれなかった時(2週間ぐらいだと思う)「お父さんの遺書に、お母さんを大切にするようにと書いてあったでしょ!」と母は、文句を言ったのだそうだ。
 「言ってやったんだよ!」と私に言うので、その時ばかりはあきれて「なんてこと言うの〜あれほど よく やってくれる息子は珍しいよ。めったにいないよ」と言ったものだ。
 子供みたいだと思うことが多いけれど、プライドは厳然として持っている。


 遠くは無理だということが、今回よくわかった。 でも 近くなら 出かけられそうだ。
今度はどこへ 連れ出そうかな〜♪ 手をつなぐと 母は嬉しそうにしているから、 こちらまで嬉しくなる。
父が亡くなる前
(3姉妹)

                                  
                                  2003  4.25
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