祈り

 伯母(亡き父の姉)は 明治45年生まれ。
この夏 92歳になった。
ふたりの娘たちは、結婚をし、一緒に暮らすこともできたのだけれど、
まだ 元気なうちに ケアハウス
(http://homepage3.nifty.com/shalom-yokohama/)
に入ったのは、伯母の選択だった。

 見舞いに行きたいね 行きたいねと 言いつつ、4年の時が過ぎてしまっていた。
その間に、ケアハウスから 隣の特養ホームに 移ったことを聞いていた。
前回、父と一緒に行った時は、まだ 歩けて、 積もるおしゃべりに 
花を咲かせたものだったが。
弟と母の3人で、ようやく 一昨日 訪れた。
この4年の歳月は、元々 丈夫ではない伯母にとっては
過酷で 重いものだったのだろう。
もう 自分の力では、起き上がることもできなくなってしまっていた。


 貧乏学生だった弟は、その頃 東京に住んでいた伯母の手料理を
よく ごちそうになったのだそうだ。
私も 学生の時、スキーでひどい捻挫をしてしまい、越後湯沢から 帰る途中
伯母の家で しばらく静養させてもらったことがあった。
手先が器用で、洋服でも なんでも ささっと 手作りし、
刺繍や造花など 手芸が得意で、作っては 人にあげるのが 好きだった。
娘とペアのスカートを作ってもらったり、刺繍の額などの作品を もらったりしたものだ。
お料理も とても上手だった。
角切りの チーズを入れた煮物を、初めて食べた時、
なんて おいしいんだろうと思ったことを覚えている。
山盛りの ほかほかのコロッケを サクッと食べると 
白いじゃがいもの中の、緑の葉ものがきれいで 感動だった。

 クリスチャンで世話好きの伯母は、近所の子供たちを 集めて 
長いこと 教会学校をしていた。
クリスマスの祝会の時に配る カード作りのお手伝いをしたことがあったっけ・・・
いつも いろんな人たちが 出入りしていたけど、家の中は 小奇麗にされていた。
台所の調理台のステンレスが ピカピカ 輝いていたのを 
特に 自分の家の台所が 汚い時、思い出すことがある。

 耳のそばで 話せば、なんとか聴こえるようで、私たちのことは
しっかり わかっていた・・・と思う。
肺が悪いので、声を出すと、疲れてしまうため、
あまりしやべらず、小さな声しか 出なくなっていた。

 弟が「家を建てたんだよ」と言うと
にこっとして 「良かったねぇ!」
この言葉は、伯母の口癖のひとつでもあった。
「子供たちにも 恵まれて 幸せに暮らしているよ」と言う弟の目は、涙でにじんでいた。
「(神様は)必要なものは 満たしてくださる・・・」と伯母は
安心したように、遠くを見た。

 私が、キリスト教の洗礼を受けたあと、まだ 元気に跳びはねていた伯母は
「くんちゃんと家族のことは、水曜日に必ず 祈るんだよ〜月曜日は だれだれ・・・火曜日は・・」
と そっと 言ってくれたことがあった。
動けなくなり、ほとんど一日中 ベッドで横になりながら
きっと 伯母は 毎日忙しく(!) 多くの人たちの幸せを 祈ってくれているに違いない。
「いつも 祈ってくれていて ありがとう♪
私も 伯母さんが 平安な気持ちで いられるように、祈っているね!」
と私が言うと、わずかに微笑んで 優しい眼差しを こちらに向けた。


 いよいよ 帰ろうとした時、
伯母はやせた 細い手を、顔の前で 組み、
「神様・・・・どうぞ 無事に帰れますように お守りください・・・・・」
と か細い声を 絞るように出して 祈ってくれた。

 帰り道 
「伯母さんが いつも 祈ってくれているなあと感じるものがあった。
ああいう 伯母さんがいてくれて ほんとに 幸せだよなぁ・・・」
と 言う弟のことばに、しみじみ うなづきながら
無事に 帰ってくることができた。


        
実は、伯母もくんちゃん。
                     2004年 7月20日
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