「ある生き方」

 

秋の日の午後、山間の細い道に自分の影だけがゆらめく。

谷川に沿ってポツリポツリと、古い民家が静かにたたずんでいる。

平日、人っ子一人出会わない。すれ違う車もない。

 

斜面につくられた茶畑。

手入れもされないまま放置され、不揃いにのび、これから来る冬をまっている。

 

過疎の村、時間が忘れたかのようにそっとあとを追いかけてくる。

 

音を探しても、どこにもない。水も、風も、木の葉の触れ合う音さえも、黙って語ることをしない。あるのは静寂だけ。

 

道路沿いの小さな古い民家の庭先に、木彫りの人形が所狭しと置いてある。

雨に打たれ、ひび割れ黒ずんだもの、まだま新しい彫ったばかりのもの、本物と見間違えるほどの西部劇スタイルの男。マリア様もあれば観音様もいる。

関取の彫刻は躍動感にあふれ見事な出来栄えである。

 

偶然出会った男と同行の友人との話がはずむ。

7年前にこの地に移り住んだという。彫刻はチェーンソーだけでやる新しい芸術。

アメリカで大会もあり参加もすると語った。

版画も彫刻もやるというので作品を見せてもらう。

あまりの見事な出来栄えに舌を巻く。

 

芸術家としては全くの無名。

50歳になるか、ならないかで離婚。

それまでの生活の糧である保険事業をあっさり辞め、未知の分野のチェンソーの彫刻へ足を踏み入れる。

版画は趣味でやっていただけだというが、プロで通用しそうだ。

4年ほど他の市にある住宅地の自分の家でやっていたが、騒音を気にしてこの地へ移住。

しかし、借家の古い家は湿気がひどく、住みにくいので自力で200mほど先へ新築している。

白壁の別荘風の素敵な外観。

一人で家を建てる話は聞いてはいたが、当人を目の前にして実物を見るのははじめてである。

チェンソー教室、たまに行う展示会、依頼品の彫刻作成、年金、生活にはまったく困らないと自分から笑顔で話してくれた。

 

並はずれた才能。

一人での気ままな生活

夢中になれる技術と生き方を手にした男が持つ、悠久な時間の流れがそこにはあった。

 

息子は先の市議会議員選挙で昔の市で6位当選を果たしたと誇らしげに話していた。

まだ30歳代の前半である。

 

何が平凡な家庭を捨てさせ、家族を守ることよりも自分の新しい生き方をえらばせたのか。

ぬるま湯から飛び出させ寒風のなかに身を置くことを選んだのか。

50歳代といえば、子供も学業半ば。

生活の責任に、悩んだのかもしれない。

 

種田山頭火と重なって人生が見える。

“秋となった 雑草にすわる”

“歩きつづける 彼岸花咲きつづける”

 

妻も子も、何もかも捨てて、自分だけの人生に全てを賭ける。

孤独を愛し、自分一人の世界にのみ楽しみを、喜びをみいだす。

自然が友であり、語り部である。

 

凡人にはできない決断であり、勇気であり、生き方の選択である。

 

1946年生まれの、ある一つの生き方にであった秋の日の午後。

”食べるぶんはいただいた 雨となり“

 

外側からほんの少しふれただけであったが同年代の夢のような生活に触れたひとときであった。

                              

 

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