小さな秋

日本一の磨崖仏が地元のひなびた観光地、「不動峡」にある。

市街地から車で
20分ほど山奥に走れば清流がほとばしり、岩がむき出しの沢に比較的大き

めの社が建てられ、対岸の屹立した岩肌に不動様が見える。休日になれば少しは人も訪れ

るであろうが平日は閑散として滅多に人と出会うこともない。川沿いの小さな駐車場にあ

る観光客用売店も固く店を閉じたままで、落ち葉がたまっている。

紅葉の季節になればまわりの山も、磨崖仏に絡みつく蔦も色づき、自然の衣替えがはじま

る。

狭い山道をもう少し登る。「水車村」と名付けられた古い民家が3棟、川の向こうに、へ

ばりつくように建っている。大きな昔ながらの水車があるのだろうが、こちらからは民家

の入口しか見えない。対岸の民家へ渡る吊り橋が、山村の独特の風景を醸しだす。

ひとにぎりほどのコスモスが咲いている。秋の陽だまりにはコスモスが、よく似合う。

 

コスモスの花をみながら遠い日を思い出した。

もう10数年も前のことだった。日にちも今頃だったろうか。

休耕田に、何10万本のコスモスが植えられそれは見事だ、という話を妻がどこからかきい

てきた。

夫婦二人だけの毎日であり、土曜日は別に何かをしなければという用事もなかった。

思いたったが吉日、とばかりに、かなり遠いが、地図を頼りに車をはしらせた。

迷いながら行きついた先には、広いコスモス畑が広がっていた。

丁度、花は満開の時期を迎えていた。

農道は車で込み合い、停めるところを探すのもたいへんな人出だった。

大輪の花ばかりのコスモスだった。

畑の中に入ると花は大人の背丈ほどもあり、迷路に迷い込んだように先が見えない。

コスモス畑の中ほどにやぐらを組み、展望台が作られ、そこに登って人々は花を眺めたり

写真を撮ったりしていた。初めて見る規模の大きさに圧倒された。

一面のコスモス畑、そんな表現もあながち誇大とは思えないほどだった。

臨時の売店も出ていた。風もなく、温かな日差しは紛れもない秋の盛りを思わせていた。

もう1週間前でも、後でも、これ程の感激を作り出せるようには思えない、あまりに良いタ

イミングに恵まれたように思えた。

「天(あま)が下のすべての事には季節(とき)があり、すべてのわざには時がある。

生るるに時があり、死ぬるに時があり、

植えるに時があり、植えたものを抜くのに時があり、

殺すに時があり、いやすに時があり、

こわすに時があり、建てるに時があり、

泣くには時があり、笑うに時がある。」(伝道の書)

若い時には,気にも留めなかった些細なことに、だんだんと心を向けるようになった。

季節をいち早く、感ずる心が少しずつ生まれてきたようなきもする。

 

1台がやっと通れる道をいけるところまで行こう、と水車村からさらに山奥に向かって、

のろのろと走ってきたが、いよいよ終点。ちょっと広めの場所に出た。

「これより先、車の通行はできません」。半畳ほどの大きさの看板が立っていた。

山に囲まれた谷合の夕暮れは早い。秋の午後の気温も瞬く間に下がってゆく。

道端の小さな花に目をやる。まばらに咲く米粒ほどの青い花。名もない花と呼んでいた草

にも名前がある。正式な名前は何と言うんだろう、本当の名前で呼び、話しかけたくなっ

た。

“さびしくないかい? 寒くないかい? 山の鳥や、虫や、動物たちと、どんな話をする

の? いつ生まれたの? 風は何の話をしながら通り過ぎてゆくの? 雲は何時も笑って

いるの? そうだ、雨に日はどんなことを考えながら過ごすのかしら? “

いっぱい、いっぱい、話をすることがありそうだ。

終点には地蔵堂がある。まだ比較的新しく建てられたらしい祠に、赤い涎かけをした一体

の地蔵菩薩がまつられていた。

こんな山奥に誰がお参りに来るんだろう、香花はまだまだみずみずしく、まわりもきれい

に掃き清められている。途中の集落からはとても徒歩ではこれない距離である。

地蔵参りはおばあさん、と固定観念があり、車の運転は無理、と思い込んでいるがそんな

ことはきっとないのかもしれない。

 

“秋きぬと 眼には さやかに 見えねども 風のおとにぞ おどりかりぬる。”

1,100年も昔の雅な世界に身を置いた、高貴な身分の人がよんだ歌、古今集の中の一首。

季節を詠んだ和歌、と理解してきたが、季節とは自然だけでなく、人の世の習いにも通ず

るのではないか。そんなふうに、この瞬間の、この季節を、真っ白な、刷いたような雲と

もに想いうかべた。

 

人生にもやがて秋がやってくる。柔らかに、しなやかに芽吹く、若木のような春という青

年期は、過去という思い出に大切に包まれて、遠くにたたずんでいる。

壮年期、心も体も充実し、夏の暑さ、日照りも苦にせず、ただ駆け足をつづける。

いつか夏が終わり、足早に駆けてゆく速度もやがて鈍り、ゆっくりと歩く時が来る、と判

ってはいるが、季節の変わり目に気づかず、慌ただしい時間が流れてゆく。

ふと佇む。体力や気力の衰えを感ずるときがある。じっと物思いにふける時がある。

ひそかな秋の訪れがあったことを思い出す。

“小さな秋、小さな秋、小さな秋みつけたーーーーー”サトーハチローさんがひげ面をこ

ちらに向け笑っている顔を思いえがいた。

 

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