百万本のバラを貴方に(その1)



 「幸せは目的でなく、結果としてついてくるものである」、なるほどそうかもしれません。幸せはどこにも売ってはいませんし飾ってもありません。
幸せとは絶対的な心の持ち方であって相対的なものではないと言ってもよいかもしれません。

こんなお話があります。

20人ほどの人が住む小さな村がありました。皆が心に思っていました。
〈幸せになりたいな〉、〈幸福を手に入れたいな〉と。
でも、〈本当の幸せ〉ってどんなものか誰にも判りませんでした。
そこで皆で幸せがどこにあるのか、どんなものなのか、売っているものなのか、買うなら一体幾らくらいするのか、とにかく捜しに行くことにしました。
でも貧しい村ですから、食べるだけで精一杯の人、毎日毎日生きていくだけで精一杯の人がほとんどです。
とても幸せを捜すことにだけ一所懸命になる余裕はありません。

でもやっぱり誰もが、判らないけど〈幸せ〉がほしいのです。
代表を選んで捜しにいこう、残りの者は生活を守ろう。
そう決めると、子育ては終わったけれども、壮年のまだ貴重な働き手である3人のお父さん達に、幸せ探しの旅に出てもらうことにしました。
若者よりも多くの経験を積み、知恵に富んだお父さんたちのほうが、本当の幸せというものを見つけてくれるのには適切ではないか、と考えたのです。
旅先で困らないようにと皆で、出来る限りのお金も持たせました。
貴重な働き手を送りだした村はもっと貧しくなりましたが〈幸せがきっと見つかり、直ぐに皆の手に入るかもしれない〉、そう思うと希望がわいてきました。

 3人は、村を出てしばらく一緒に歩いていましたが、広い大きな分かれ道にさしかかりました。
〈幸せ〉が見つかったら真っ先に村へ持ち帰ろう。そう約束をするとそれぞれ別な道へ歩いてゆきました。

3年たち、5年たち、10年たちました。村ではこの間にも様々なことが起こりました。
日照りもありました。洪水に田畑が流される時もありました。豊かに作物が実った喜びの時もありました。いまはもう、送りだした3人の無事だけを祈りながら、ただ毎日毎日働きつづけました。

〈人生良い時もあれば悪い時もある〉、それがあたりまえかもしれない。誰もそう考えるようになりました。村も少しだけ明るくなってきたみたいです。

暮らしもなんとか成り立つようになりました。
そして更に10年の月日が流れました。
7人ほどになってしまった村も、子供が大人になり赤ちゃんも生まれ村人も増えました。

 21年目の春、一人の老人が笑顔で村にやってきました。
老人はあの3人のお父さんの一人でした。
村人は大変喜んで無事な帰りを祝い、心から長い旅のご苦労に感謝するのでした。
そして老人の話にじっと聞き入りました。

〈とうとう幸せを見つけました〉、そういうと老人は小さな箱を大事そうに取り出すと皆の前に差し出しました。
箱の中には見たこともない、きらめく宝石が沢山入っていました。

〈幸せとは富である。豊かな生活を手に入れること、これが幸せというものである〉
老人は最後の力を振り絞るように、雄弁に語りだしました。

 いくつもの村や町をたずね、とうとう王様の住むおおきな町へたどりついたこと、沢山の物が溢れ、大勢の人で町は賑わっていました。
幸せってなんなのか、ここなら売っているのかもしれないと、捜して歩き回ったことなど。そして、市場で忙しく働く人々、にこやかな顔つきで毎日を過ごしている人、きらびやかに着飾っている人々、いつも豪華な食卓が待っている人々、大きな邸宅に住んでいる人々など数限りない人々と語り合ったこと。

そしてどうやら、幸せのすべてではないが外見的には富と権力が〈幸せ〉と呼ばれるものではないかと考えたこと。

そこで、富を手にするために村人から預かったお金を基に商売を始め、寝る間も惜しんで働きとおし、大商人と言われるまでになったこと。

自分も歳をとり村へ帰るにあたり、全ての財産を処分し宝石にかえ、皆に持ち帰ったこと、などを話しました。

老人は満足そうに話し終えると、東洋のものだという墨で書かれた紙を広げると、ここにはこのように書いてある、と村人に披露するのでした。

    「たのしみは 妻子(めこ)むつまじくうちつどい 
              かしらならべて ものをくうとき」
(橘曙覧)

 

    「この世をば わが世とぞ おもう もちづきの
                欠けたることの なしと思えば」
(藤原道長)

春爛漫の花に埋まるようにして老人は惜しまれてこの世を去ってゆきました。

 

 その翌年、2番目のお父さんが質素な身なりではありましたが、明るく皆に挨拶をし、一つの鳥かごを大事そうに抱えて帰ってきました。

やはり年をとりすっかり老人になっていました。

〈幸せは遠くの町にあるのではなく、この自分の住む村にあるのです〉
老人は皆に祝福され歓迎を受けながらこう答えました。

〈私は幸せが何なのか見つけました。〉
でも残念ながらそれは形になって皆さんの前に持って帰れるようなものではありませんでした。
私はいくつもの町をめぐり「知恵者」と呼ばれる人や、「人生の師」と言われる偉い先生方を訪ね、幸せとは何かを勉強し、なんとかして手に入れようとしました。
本もたくさん読みました。そこで得た知識が本当かどうか、自分で試すことを繰り返してきました。
お金持ちになることが幸せだという人がいました。ですから、物もたくさん買ってみました。お金持とも友達にもなりました。
偉くなることが幸せだという人がいました。偉い人にも仕えてみました。
でもお金持ちはお金持ちなりに、偉い人は偉い人なりに悩みは山ほどありました。
お金や権力だけで解決できないこともたくさんあることも知りました。
遊んで暮らすことも、ただ満腹をして、寝て起きるだけの生活も、みんな空しいものだと知ったのです。
どこかに必ずいるだろうと信じ、捜し続けた「幸福の青い鳥」は目に見える形ではどこにもいなかったのです。

 本当の青い鳥は目に見えない形で自由に、すぐ近くで、時には、遥か彼方で、羽ばたいていたのです。
そう、心の中にね。

だから、いつも忘れないように、見えないものを見える形で、置いておく、これが大切なことかもしれません。
そういうと、空の鳥かごを優しくなでました。
鳥かごには金のプレートに書かれたゲーテ先生の言葉が嵌めこまれていました。

 

「いつも、遠くへばかり行こうとするのか? 
見よ、よきものは身近にあるのを。
ただ、幸福のつかみ方を学べば良いのだ。
幸福はいつも目の前にあるのだ」
                     (ゲーテ)

 

2番目に帰った老人は、最初に帰った老人の眠るお墓へ行くと長い間、黙って坐っているのでした。          
                  
                   (その1 終わり。その
2へ続く)       
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