歳月がながれて

 

 今朝はよく晴れ、風もなく穏やかな陽が田舎の田や川、そして草村にもいっぱいにさしこんでいる。
倒れてから2度目の春がめぐってきた。

 勤務の都合上、ちょうど祝日は出勤にあたっていた。
その翌日のお昼頃のことだった。

職場で電話を持ったまま、体が崩れ、意識が遠のき、そのまま倒れこんだ。
床にあおむけに寝たまま、ネクタイを緩めてもらったようだった。
救急隊員があわただしく動き回っていたような記憶が残っている。
サイレンを鳴らす救急車、同僚のAさんが同乗していてくれたことはなぜか鮮明に覚えている。

 そして、約1週間後、自宅のある市の病院へ転院するという前日のことだった。
余病を併発。危篤状態に陥った。
意識不明がしばらく続いたという。
断片的な記憶がいくつかある。
真っ暗な部屋、クリスマス電球のような小さな光がカチカチと音をたて、ついたり、消えたり、点滅をくりかえしていた。
自分はどこにいるのだろう?不思議でならなかった。
真白な、夢を見ていたような記憶も鮮明に残っている。
あたり一面、どこもかしこも真白だった。目の前にノートが出てきた。
ノートをめくると真白になった。

ノートの周りもなくなり、ただ真白な世界だけがあった。

 また、ある時は暗い部屋のようだった。
夜中だったのだろうが、枕もとにカーテンがあった。カーテンの向こう側には、ぼんやりと灯がついていた。
誰かがいる。
一人は確かに息子のようだ。声が聞こえるみたいだ。
もう一人は黙っている。気配は女の人のようでもある。
実際には首を動かして、枕もとを見ることもできなかったであろうから、幻影か、気配からの想像がもたらした意識下の出来事だったのだろう。
今でも、心の奥に深く沈澱している。

 あれから、退院し、自宅療養生活になったが、生活も思考も180度変わった。絶えず動き回っている日々は、ゆったりと、流れる時を見つめている毎日に変わった。
主体的に生きる日から、一緒に歩んできた大切な人と共に、むしろ頼って、委ねて、生かされる日へと移った。
思索への費やす時間が長くなった。
散歩を日課とする時が流れる。
本が待っている。

人間の生活とは、本来時間に縛られず、時間とともにゆっくりと、もしかしたら時間を忘れて生きることこそ本質に近いのかもしれない。

 今まで抱えていた価値観についても変化してきているようにも思う。
ささいなことが、いとおしく思われてならない。
人間は、より偉大なことを求めようと、もがくことが多い。だが、そうではなく、毎日の小さな出来事にこそ意味があり、目的があるような気もする。
弱い、小さな人間がなす過ち、そこに涙するのが生きていることそのもの、人間そのもの、であり、そこに価値や、意義を見出せるような心境の変化も生まれてきた。
たとえば、勤務していたある施設のこどもたちは、私たちが庇護してあげるこども達ではなく、私たちと、共に生き、共に泣き、共に笑い、歩む、等身大のこども達だったと今更のように肌で感ずる。
自分が弱さを担ったからこそ、言葉だけでなく皮膚感覚で同じ目線に立てるようになったのかもしれない。

 重荷を背負った子供たちには、大人が思うような、見栄や、世間の垢にまみれた、自分を優等生に見せようとする、欲や、得はないように映る。
ただ一人、自分が生きてゆく、今日を食べてゆく、それだけが見えているかのようである。
時に不平をいい、不満いっぱいの心で食事をし、ふてくされて眠るこども達。
怒り、なだめ、真剣に一人の大切な人間として、一緒に考え、悩むのが人間らしい姿だと、叫んでいるようにもおもえる。

 しかし、頭で判っていても、なかなか行動に移しにくいのも、人間なのだ。
だが、もしも再び人様のお役にたつ仕事につけたなら、一緒に汗を流す生活ができたなら、自分の分をわきまえるのはもちろんだが、真に、仕える人、となりたいものである。
黙々と与えられた仕事を一所懸命に体中で喜んで、やらせていただくことができるように少しは変ったかもしれないのだから。
普段の生活も、いつでも、どんなことでも笑顔を絶やすことなくいようと思う。
孤独に沈んでいる仲間に、人から見放された人たちに、誰も相手にしないこどもに、寄り添う機会があったなら、昔の自分がたたずんでいることを見出せるかもしれない。

 時に、歳月の流れは人を豊かに変えてくれる不思議な力となって、静かに訪れる事がある。人の想いを超えた、大きなそんな恵みにあずかりたいものである。

「友のためにその命を捨てる。これよりも大きな愛はない」(新約聖書)

友とは、いつでも自分を投影した、もう一人の自分、かもしれないのだから。

 
友の部屋」目次 前ページ 次ページ トップページ