無意識の愛

 

 昭夫は、如何にも“土産物”といった感じの、その湯呑みを買おうか、どうしようか
と随分と迷った。

ひなびた温泉宿のあるこんな山奥の土産物屋だからこそ、古いものが、昔のまま残っていたのかもしれない。
いまどきは、土産物にしても、形も、絵柄にしても随分と洗練された物が置いてある。そんな中にあって、忘れ去られたまま並べられてある、そんなふうにその湯呑みはポツンと隅にあった。
手にとってまじまじと眺めた。
いかにも一昔前に流行った時代遅れの匂いがする。
素朴な筆致の黒々とした文字、それに赤く色づいた柿の実が一つ、描かれていた。

『仲良きことは、美しき哉  武者小路実篤』、

 見慣れた言葉が昭夫の記憶を懐かしく、呼び覚ました。
口げんか一つしたことのない実子との夫婦の日々が、浮かんでは消えていった。
結局のところ、本当に“仲が良い”というのは夫婦の間にだけ存在する、
“見返りを何も求めず、ただ自分を捨てて相手に全てを捧げる”、
という無償の愛だけではないか、とこの頃特に思うようになった。
大先輩が語った現役時代の話しを思い出した。

 あれは、阪神淡路大震災の時のことだった。
脂の乗り切った、仕事をバリバリ出来る年代となり、中間管理職となったばかりで体力的にも精神的にも充実している時である。
昭夫は総合食品メーカーの主力工場に勤務し配送部門の責任者を任されていた。
朝、通勤時にJRの電光掲示板で地震により新幹線が止まったというニュースを知ったが、工場で商品を出荷する準備をしている昼ごろには被害が相当に大きいという報道ばかりが次々と入ってきた。
大阪支店はどうなっているのだろう。工場は情報収集に躍起となっていた。
結局、判ったのはごく大まかなことだけだった。
大阪支店の社員や建物に大きな被害はなかったものの、委託している配送センターは道路が寸断され、建物の倒壊は免れたが、商品はそのままでは売り物にならないようであった。
また、お取り引き先にもかなりの被害があるようである。
飲み水の供給も直ぐに考えなければならないほど混乱をしていた。
食品メーカーとしては、まず社会的責任として商品を一刻も早くお客様にお届けすることが責務である。とにかく現地で直接対応することが最も重要であった。
昭夫は大阪支店の直ぐそばのホテルを確保すると、当時まだ珍しかった携帯電話を持ち、地震発生から数日後には大阪に出張した。
多くの人が亡くなり、夥しい家屋の倒壊にあったという大阪の被害は甚大であった。
どうにかこうにか、当面の物流部門の混乱から抜け出すのに一週間ほどを要した。

 明日は工場に帰任するという前日、昭夫は支店長と数人の社員と一緒に遅い昼食をとっていた。
中国人が経営するというラーメン屋の二階で、名物だというフカヒレラーメンを食べながら支店長が地震の時に、自宅で起きた様子を話しだした。
白髪で痩身、野武士を思わせるその風貌、歯に衣を着せぬ物言い、独特のイントネーションで語る正論には他人に反論をさせない鋭さがある。
もう直ぐ定年を迎えるはずだが支店長どころかもっと、もっと偉くなれる人だった。
人づてに聞いたところによると、誰もが認める超一流国立大学の法学部出身だが、若い頃組合活動で活躍し、第二組合を作り会社側と鋭く対立し勇名をはせたという。
成る程、そう言われてみれば芯の強さ、気迫など平凡でないものを身に帯びていた。

 「猿渡君、僕はね人間のなんたるかを改めて実感したね」、と支店長は昭夫の顔を真直ぐに見ると話し始めた。
古風に見える支店長だが、自分のことを“俺”とか“自分”とか言わずに意外にも“僕”と表現した。
「グラグラっと来たとき、僕らはまだ寝ていたんだ。
いやあ、あの時の揺れは凄かったな。
後から他の部屋も見たんだが、小物は落ちているし、茶碗は割れるし、初めて経験する大きな地震だったな。
あの揺れで目が覚めたんだ。
突然のことで冷静な行動なんてとれるわけがない。
しかも、揺れで目が覚めた訳だから、地震だと思っても逃げようとするか、布団をかぶるくらいしか行動としてはとれないんじゃないかな。
しかしね、猿渡君僕はその時どうしたと思う。」
支店長はにやりと笑った。
「僕はね、布団をはねのけると、隣に寝ている家内の上にいきなり覆いかぶさったんだ。
何としても守らなくっちゃ、って思ったんだろうな。
自分でも後でびっくりしたね。でも、もっとびっくりしたのは家内だったろうな。
グラグラっと揺れたかと思ったら、目が覚め、突然何か大きなものが自分の上に落ちてきたんだ。

 お陰で僕らの絆は更に深まったね。勿論、あとで家内には感謝されたよ。
普段、〈君はぼくにとって大切な人だよ〉、って言っているのがそのまま行動に表れたんだからね。
人間にとって大切なものは何か、そんなものは頭で幾ら考えても駄目なんだ。
瞬間的に、まるで本能のように反応する心が豊かな人間性を醸し出すかどうか、ということだけなんだってつくづく思ったよ。
しかし、良かったよ。自分一人逃げ出したりしていたら今頃何を言われていたかわからんからね。」支店長は静かに笑った。

 一年前まで支店長の前任地は札幌だった。
札幌では単身赴任だったはずだが、大阪では夫婦で赴任していたのをはじめて知った。あの冷たい鋼のような支店長の性格からちょっと想像できない優しさの一面のだった。
初老に差しかかった夫婦の仲睦まじさ、を素敵だな、という思いで昭夫は聞いていた。

 実子のことが思い出された。定年で会社を辞めて直ぐに昭夫は大病を患った。
自宅療養になってからも、自分一人では布団すら掛けなおす事も困難であった。
夜中にトイレに起きる辛さを和らげるため、寝たり起きたりの楽なベッドに寝ることにした。
そして、隣の布団で寝る実子を起こさぬよう、静かに起き出し、静かに戻るように心掛けた。
それでも真夜中、部屋の戸の明け立てする音で目が覚めるのか、ベッドに入ると必ず実子は起き、昭夫の布団を掛けなおし、自分の布団へ戻ると再び眠りに就く。起き上がってベッドまで来て、一言、二言声をかけてくれることすら再三であった。
しかし、夜中の介助に感謝の言葉を口にすると、まったく夜中のことは覚えていないという。
「あなたの面倒をみるのは、あたしの残された仕事」、といつでも実子は微笑んで答えた。

 【残された仕事】、という意味合いがこんな形で本当になるとは、夢にも思っていなかった。
一人きりになってしまったさびしさが募ってたまらなかった。
いま体調がなんとか戻ってきたので、思い切って保養のつもりで温泉に来てみたが、どうにも実子を失った寂しさは消えなかった。
昭夫は湯呑みを元の位置に置くと土産物屋を出た。
『仲良きことは、美しき哉』、ではないな、『仲良しだったことは、美しき哉』だな、そう呟きながら歩き始めた。

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