優しさへの一歩

 

「おはようございます。今日一日よろしくお願いします」 明るく元気な声でお互い

におなじように、朝の挨拶を交わす。

職場の話ではない。

定年後を夫婦二人きりで過ごす、ごく普通の家庭の話である。

別に夫婦で約束したわけでも、誰かの真似をしているわけでもない。

どちらともなく言い出し、その日の始まりとするようになった。

寝坊をしたり、具合が悪くて起きれなかったり、朝用事に追われたりするとタイミン

グを失ったりして声を掛け合う事のできない日もある。

しかし、まず、顔を合わせる第一声は相手へのいたわりをこめた挨拶にしたいものだ

と思うようになった。

 

 「今日一日、今日一日だけね、明日のことは考えなくていいわ、今日一日を明るく

過ごそうね。これは二人だけの、ひ・み・つ、」

こんな言葉も返ってくる。

しびれがひどい時、痛みで足腰が運べそうにない朝は、顔を洗いながら「笑顔で、笑

顔で」「明るい声で挨拶を」と自分に言い聞かせながら鏡をのぞく。

とりとめもない会話が、朝食に暖かな風を運んでくる。

危篤に陥り、〈うまく助かっても意識がなく、寝たきりの状態です〉と、医師に言わ

れたのが奇跡的に回復し、後遺症はあるが起きての生活や、杖での歩行ができるよう

になった。

 

 「失ったものを数えるのではなく、あるもので満足しようね」

「なんとかなるさ、だね。なんとかなるわよ」

「今日一日、今日一日を生きればいいよ、これは二人だけの秘密の言葉にしましょう

ね」

「おまけ、おまけの人生をもらったの、大切にしましょうよ、何かすることがあるか

もしれないわ」

沈みがちな心にむかって、悲しみを背後に隠し、明るい声で、態度で接してくれる。

二人の一日が静かに始まる。

 

 「朝に道をきかば、夕べに死すとも可なり」

人生とは何か、何のために生きているのか、納得がゆく答えがすぐに見つかるなどと

は思っていない。
だが仮に、もし人は、“今日一日の命しかない“、と知ったならば

どうするのだろう。

自分の人生とは、何だったのか、何をしてきたのか、意味があったのか、人間って何

なのか?

そんな事を考えながら一日を終わろうとするのだろうか。

それとも、残された時間で何かをしようと考え行動に移るのだろうか。

いや、それもできずに自分の運命に涙し、ただ悲嘆にくれて一日を終わり、目を永遠

に閉じるのだろうか。

十人十色、人、様々な終わり方をするのかも知れない。

 

 だが、私たちには、後悔しないこと、が求められているようにも思う。

すなわち、【明日があるなんて幻影である】という覚悟である。

今夜のうちに命の終わりがくるかもしれない。

そう、覚悟を決め、潔い生き方が昔から求められているのだ。

「明日ありと、思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」である。

 

 昨夜、大雨が降った。

桜が全部散ってしまうほどであった。

だが、散ってしまうべき花がかろうじて僅かに残った。

そうだ、残った桜も今日一日、好天に恵まれて花を咲かせている。

明日は散ってしまうかもしれない。

また、たとえ明日花が残ったとしても間もなく散ってしまう運命にあるのだ。

何のために花をつけるのか、何故散ってしまうのか、桜は自分の運命を知ろうともし

なければ考えもしないだろう。

今日一日、精一杯に咲いている桜。

桜の花が、見事に咲いているのを見て人々は心に楽しさや、美しさ、喜び、はかなさ

等、様々な思いをいだくのだろう。

 

 自分も今日一日だけ、そう思えば怒りや、悲しみや、苦痛さえ乗り越え、明るく笑

ってどんな人をも、たとえ嫌いで顔も見たくないと思う人でさえ、愛の心で受け入れ

られるのではないか。

優しい気持ちにみたされた夕暮れを迎えることができるのではないかと思う。

大きな池の周りに桜の木をいっぱいに植えた公園は桜が満開であった。

近くの堤の桜トンネルも花が見事に咲いていた。

ほんの僅かの期間だけ花をつける桜。

今日一日、今日一日の美しさ、優しさ、をありがとう。

 

 『これは歌だ、小さな歌だ、僕にあるのはこれだけさ』
                  (バーナード・マラマッド)

 

唇に小さな、取るに足らない頬笑みと、歌をのせて、ゆっくりと歩き出そう。

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