遠い記憶

 花冷えのする一日だった。天気予報では春の訪れが早く、桜の開花日も今年は早いのではないかと予想されていた。しかし、冬にもどったような寒さが再び来るとつぼみを固く閉じたまま開花は平年並みにずれ込んでいった。
それでも、季節は確実にめぐってくる。
あちこちで桜前線の北上を伝えるようになってきた。
二人きりの夜は、ゆっくりと時間がすぎてゆく。
気温もあまり上がらず肌寒い一日はなぜか昔のことを思い出させる。
暖房をしながら部屋の中で、桜の花が咲いている地元の池のほとりのこと、川堤の桜トンネルのことを話しているうちに子どもの頃を思い出していた。

「そうだ、明日から浅間神社のお祭りかもしれないね」、どちらともなく懐かしい生まれ育った地方の大祭のことが口をついて出てきた。
結婚を機に生れ育った地方都市から、ベットタウン化しつつあったこの市へ移り住み人生の半分以上を過ごしてきたが、子どもの頃のお祭りが懐かしく思い出されてくる。
あの頃は桜が満開の神社の裏山はお花見も賑やかだった。
「もう、お祭りを見に行くこともないだろうな」、そんな言葉を何気なく交わした。

 病で一人外出もできなくなった身では、近くではあるが電車に乗ってゆくことも難しいだろう。ましてや大祭である。人混みの中を長い時間歩くなど到底無理である。
“昔の思い出に捉われているのは、年をとり老人となった証拠である”
まだ、老人と言うには早すぎるのに、若さを保とうとすることに執着することが少なくなってしまったかな、と思った。

 次の日、「お父さん、用事が出来たから車で出かけるわよ。」、妻の明るい声に背中を押され、すっかり板に付いた“金魚のフン”となって何処へゆくかも聞かずに車に乗り込んだ。
外は相変らず寒く、一枚余分に上着が必要な天気だった。
だが、外の空気を吸えるのはなによりの元気の妙薬である。車の中での、とりとめのない会話もこころを軽くしてくれる。

 人間は社会的動物である。孤独で自分を見つめるだけでは生きてゆけない。たとえ傷つくことが多かろうとも、他人と触れあうことで自己の存在を知り成長させ、人間たりうるのである。〈ドラキュラは人の生き血を吸って生きた悪魔である。が、もしかしたら生身の人間と絶えず接触し、他人の命と触れあわずには生きることができない人間の本質を、作家は吸血鬼と言う姿を借りて言いたかったのかもしれない〉、などと勝手な想像をしながらまわりの景色を、人の匂いの不思議さを楽しんでいた。

 用事がすんで、妻の実家に寄った。もう両親は他界していたが実家には妻の姉夫婦がいる。
車の中で「お祭りを見にゆこう」と、誘ってもらっていたがいつの間にか姉妹での話は決まっており3人で久しぶりのお祭りに出かけた。

 人混みでの心配もあったが、二度と見ることのできないかもしれない祭りをもう一度見ることのできる魅力のほうが勝った。

 浅間神社は古い歴史がある。その勧進は平安時代に遡るという。本殿は国の重要文化財であり、江戸時代後期に建てられた漆塗り、極彩色が施された壮麗なものである。1804年から60年の年月と約10万両の巨費を投じて建てられたという。子どものころもこんなに立派なものだったろうかと今更ながらびっくりした。神社建築では出雲大社よりも高い25mで日本一だという。

 思ったより人出は少なかった。土曜日で大祭の初日に当たっていたのでものすごく混みあっているかと心配だったが、時折肩を触れ合うような場面にでく会わしたが、概してあまり混雑は感じられなかった。

 境内は様変わりしたように感じられた。
なによりも「こんなにも狭かったのだろうか」と不思議な気持ちがした。

子どもの頃のことが思い出された。境内は屋台が所狭しと並んでいた。人波は次から次へと押し寄せてきた。見世物小屋もあった。池にロープを張り、ブリキ製の飛行機や地球ゴマがあちらの岸からこちらの岸へと渡っていた。境内は、るつぼのように、お祭りでむせかえっていた。賑やかで、胸がときめく華やかさに溢れたもの、それが子どもの頃のお祭りの想いでであった。

 こんなに狭い場所に見世物小屋が本当にあったのだろうか。所狭しと並んでいた露店はこんなにも細い通路を挟んでいたのだろうか。地球ゴマや飛行機が渡っていた池は本当にこんなに小さかったの、と戸惑いさえ感じられる。
確かに子どもの目線は低かった。身体も小さかった。子どもの頃あそんだ広場や、公園が大人になって狭く感じられることは良くあることである。大祭に彩られた神社が大人の目で見たら小さなものになっていることは当然かもしれない。

 お伽噺の世界が、色褪せて見えるように現実の扉がギシギシと夢の無くなった音を立てていた。
参道を歩いてみよう、そう思い大鳥居の道へ出た。2300mはあるだろうか、子どもの頃は実に長い道に感じた商店街であった。露店がびっしりと並び行きかう人でごった返していた。だが、やはり新しい時代の波はここにも著しい変化をもたらしていた。商店街は歯ぬけも目立っていた。空き地となり駐車場になっているところもある。マンションもたっている。露店はめっきり減っている。遠い記憶を呼び戻そうとして露店を見て歩いた。

 どんな店が並んでいただろう。少なくなった店からは昔の面影がすぐに出てこなかったが、それでも心の隅に少しずつ形となって浮かんできた。薄荷パイプは小遣いでなんとか買えるお祭りの定番のような品だった。金魚すくいにはどこも人だかりがしていた。子供だましのような手品を売る店はほんの小さなテーブル一つが全世界だった。指先からキャップが現れたり消えたりいつまで見ていても飽きなかった。おもちゃの店はブリキ細工や紙風船を、そして人形をいっぱいに並べていた。綿菓子を作る機械の音はゴーゴーとなっていた。プラスチックのお面は人気者であった、がとても買えるような額ではなかった。コップの中に水を入れ、その中に咲く花があり水中花とよんでいたっけ。ニッケや、飴、まんじゅう、ラムネ菓子、たこやき、タイ焼き、その頃庶民の口に入る物の店の前には魅力的な臭いと、喧騒が揺らいでいた。たくさんの子どもに取り囲まれるように露店がひしめきあっていた。幾ばくかの小遣いを握りしめ露店を見て歩いた日が思い出された。

 ごく普通に歩けば10分もかからない距離を不自由となった身体を引き摺るようにゆっくりと歩いた。
突然前方で拡声器の声がした。恒例の「大御所花見行列」が来ると言う。徳川家康が駿府城に隠居し桜の花見をしたということを模して盛大な行列が市内の繁華街を通り浅間神社にもどってくる。ちょうどその帰りの行列に出会った。黒山のような人だかりで子どもの頃は何が何だか分からなかった記憶がある。大御所には映画スターが扮するが今年は筧利明さんが出演だと宣伝していた。

ほどなく行列が通過した。愛嬌をふりまく筧さんに家内が一所懸命に手を振っていた。

 意外な一面を見た思いだった。おもわず頬笑みがこぼれた。
普段は影のように目立たないことの多い人である。
あれは独身時代だった。冬の寒い日、10数人がだるまストーブの周りに集まって談笑していた。暖かなストーブのまわりは、話の好きな元気な若者が自然に席を占める。大人しい人はその外側に身を置きがちな若者たちの集団である。賑やかな輪の外に黙ってたたずんでいた人がいた。遠い記憶にある家内は、あれからいつまでも変わらなかった。今でも、変っていないように思えてならない。
大祭への誘いも、突然の出来事でなく一晩考えに考えての控えめの誘いだったように思える。二度と見ることができないかもしれない祭りをなんとか見せておいてやろうと思い用事を作ったのではないだろうか。筧さんに手を振るうしろ姿をじっと見ていた。

 “年々歳々花相似たり歳々年々人おなじからず。”
今年も桜は満開となった。やがて散りまた再び春がめぐり花をつける。
人は年と共に変化し、やがては永遠に去ってゆく。しかし、すぎ去った過去はいつまでも心の奥底にひっそりと、美しく残る。
辛いことも、悲しかったことも、時という妙薬が楽しい思い出だけに変えてしまう人生と言う不思議さ。

 
友の部屋」目次 前ページ 次ページ トップページ