うどんそなえて

 

第二次世界大戦が終わって、まだ10年もたっていなかった。

力強い復興の時であったが、世の中はまだまだ貧しく、食べてゆくにも大変な時代だった。

その頃、私は、小学校23年生くらいになっていたが、学校へ行くのにも、まだ下駄ばきだった。そんな子どもがクラスにも大勢いた。どこの家庭も、運動靴など、とても買えるほどゆとりもなかったからである。

教科書も、上に兄弟のいる子は〈おさがり〉と言って、姉や兄の古い教科書を、使えるものは貰って使うのがごく当たり前のことだった。自分の家も含めて、貧乏など、ごく当たり前の時代だったのである。

 

記憶をたどると、あれは、風邪をひいて学校を休んでいた時のことだった。1週間くらい休んだだろうか。狭い小さな家の中で、せんべい布団にくるまって寝ている我が子を見て、気の毒に思ったのだろう。母親が1冊の本を買ってきてくれた。今から考えると、とても本など買える余裕はない、貧しい暮らしの中でのことである。きっと、母親は自分の食事を抜くなど、それこそ清水の舞台から飛び降りる思いで、買ってくれたものだったに違いなかった。まさに、貴重品であった。本の名前は今でも鮮明に覚えている。「母をたずねて三千里」、である。マルコという少年の名前も心に焼き付いて離れない。生れてはじめて手にした自分の本である。宝物のように大事にした。本の面白さに惹かれ、次に読んだのが「フランダースの犬」だった。あれは、自分の本ではなかった。借りたのか、古本だったのか覚えていないが、少年ネロと老犬パトラッシュの悲しい結末に涙した記憶がある。何度も何度も繰り返し、繰り返し読んだものだった。その頃から、本が好きになったが、学校の図書室であるとか、図書館に行って借りてくる、などという才覚はなかった。勿論買うなどということは、とても無理だった。僅かに残った方法は、友達に借りるか、古本を誰か大人に貰うかぐらいしかなかった。

やがて成長し、本格的に読書を始めたのは、自分で働き、お小遣いの範囲内であるが、本を自由に買えるようになってからである。すぐに買ったのが「世界の名著」という文学や評論の全集であった。毎月のように発刊される箱入りの本は、難解で文字の表面をただ眺めるような読み方だった。ニーチェも、サルトルも、さっぱり判らなかった。

しかし、その後に買った「日本文学全集」は、芥川龍之介、井上靖、石川達三、亀井勝一郎など、カッチリした文体、背筋を伸ばして読むような文学の面白さを、次々に教えてくれた。仕事が終わり、家に帰って、箱から本を取り出し、ゆったりと読書に浸れるのは夢のようなことであった。

その頃、勤務先に職場を1ヶ月くらいで巡回する「移動貸出図書」があった。50冊くらいであろうか、毎月のようにちいさな本箱に、新しい本が並んでいた。

何気なしに読んだのが、山本周五郎の「樅の木は、残った」という長編小説であった。分厚い本は、悪役と教わってきた原田甲斐を忠臣として描いていた。それまで、全く知らなかった豊かな人間性を、人の悲しみを、ページの中に満ちてくる潮のようにあふれさせ、魅了した。

心の琴線を震わす文章は、いままで触れたことのない新しい世界を繰り広げていた。山本周五郎に夢中になった。

全集が出ると飛びつくようにして買い始めた。

「ながい坂」「雪の上の霜」「おさん」「彦左衛門外記」「赤ひげ診療譚」「さぶ」「よじょう」「花匂う」「柳橋物語」「正雪記」「裏の木戸は開いている」・・・

毎月の発刊日が待ち遠しかった。本屋に立ち寄ることが多くなると、ついつい他の本も欲しくなってくる。単行本は、とても買い切れない。安価な文庫本を買い始めた。好きな作家が増えていった。中でも、遠藤周作、灰谷健次郎、山岡荘八、曽野綾子、三浦綾子、有吉佐和子などに夢中になった。

電車通勤になると、往復の時間を読書にあてた。仕事は、出張も多かった。そんなときは必ず鞄に本を忍ばせ、乗車時間を読書にあてた。列車の待ち合わせ時間があれば、KIOSKの書籍コーナーがしばしの休憩場所となった。

出張の時は、降車駅に着くぎりぎりまで持参の本を読んでいるので、あわてて降りる時もある。特急列車で眼鏡を外したまま読書を続け、そのまま眼鏡をわすれてきたこともあった。そんな失敗をもしながらも、文庫本を読みつづけた。経済書より、小説のほうが自分の身の丈に合っているという、信念のようなものが身体の中に出来上がっていた。

 

そして、やがて訪れるであろう、晴耕雨読の生活にひそかに、憧れを抱いていた。自由な時間がきたら、また読みなおそうと思いながら買い集めた本は、いつしか本棚5本に一杯になっていた。

しかし、不思議なのは人間の心である。多忙から開放され、自由な時間が有り余るほどになったとたん、本を読むペースも、絶対時間も、急カーブを描いて少なくなっていった。

読み方も大きく変って行った。新しいものを見つけ、結論を性急に捜そうとする姿勢は、ぱったりと消えた。以前買った本をもう一度読み返すよりも、好きな本をじっくりと新たに選び、時間をかけて考えながら読み、余韻を楽しむような読書に変った。狭い家に本ばかりある。地震でも来たら本箱が倒れる心配もある。本は図書館で借りればいい、そんな割り切りも次第にできてきた。他に必要にも迫られたが、思い切って本を処分した。本箱も全部捨てた。捨てきれない本が僅かに残った。図書館を利用し始めたが、足はついつい、本屋に向かいがちである。BOOK OFFの格安本が、またぞろ、少しずつ増え始めた。

 

そんな時期に手にしたのが、句集「草木塔」である。それまで、詩や、俳句の味わい深さなどとは無縁であったが、種田山頭火という名前に何か強く惹かれるものがあった。

〈放浪の俳人〉、それだけしか知らなかったが、小さな、薄いその文庫本にどんどん引き込まれていった。

自由律という、五、七、五の韻を踏まず、季語もない俳句があることも初めて知った。山頭火は年譜によれば、本名、種田正一、明治15年、大地主の長男に生れる。10歳の時に母が自らの命をたち、これが生涯の心の深い襞となる。昭和15年、第二次世界大戦の足音が聞こえ始めたころ脳溢血により倒れ、翌日心臓麻痺により57歳にて死去とある。大地主の跡取りとして生れたが、人に騙され全財産を失い、無一物となり離婚。寺を持たない僧となり、俳句だけに生き、放浪の旅を続け、安住の地を持たないまま生涯を終えている。

波乱万丈の人生を送った人である。

 

人は生るるに一人、死ぬるに一人、所詮孤独から逃げられない存在かもしれない。自分という人間を知ることさえできないのが人間である。ましてや、人をどんなに愛し、どれほど理解し合おうとしても本当に他人を知ることなぞ出来ない。だが、一方で愛する人に少しでも近づき、顔色一つ、声音一つから相手の気持ちを理解しようと努力しようとするのも、また人間の自然な姿のように思える。いや、自然と言うより、本能に近いのかもしれない。人は一人では生きることができないからである。

それからもわかるように、どんなに山頭火にあこがれたとしても、その心の内を深く知ることなぞ、とても出来ないであろう。だが、山頭火が触れた自然、時代の雰囲気に少し近づけたら山頭火の俳句がもっと味わい深くなるのかもしれないと思った。

そんな思いを持ちながら読み進むと、小さな但し書き、ほんの短い付記等が勝手に動き出し、俳句に自由を与え、山頭火の人物像をどんどん拡大して作り上げてゆく。

 

『若うして、死をいそぎたまえる母上の、霊前に本書を供えまつる』

句集「草木塔」の冒頭にある、この一文は山頭火の魂の叫び、そして、生涯が母を求め続けた旅であったと思わせる、悲しい祈りのようにさえ聞えてくる。

草で編んだ笠一つに墨染の衣と杖。托鉢用の鉢と首から下げた頭陀袋が全財産の山頭火。あてもなくただ歩きつづけ、門口に立ち喜捨を乞い、木賃宿に泊まり、自炊をなし、薄い布団にくるまっては無常の風にふるえたことだろう。

大好きな句の一つに母をうたった次の句がある。

 

【うどんそなえて母よわたしもいただきまする】(山頭火)

 

想像力がたくましく働く。旅の空で托鉢した米を、金に変え、宿賃を払ってしまうと僅かに、夜は一杯のうどんしか食べることができなかったであろう。自炊の木賃宿には夕食の匂いがたち込め、人々のざわめきにあふれ、板張りの階段が、床が、ギシギシと悲鳴を上げている。

でも、山頭火のいる僅かな空間だけには、静寂が流れ、今日一日を生きた初老の僧が一人ぽつねんと座っている。一杯のうどんの半分を分け、膝の前に陰膳を据える。亡き母に供えるうどん。仏に、母に、祈り終えると半分のうどんをすする。〈母上、ご一緒にわたしもうどんを頂きます〉、そういって冷めてしまったうどんをすする山頭火がそこにいる。

 

山頭火は大地主であったため、同じ種田と言う姓をもつ地主と区別するために、「大種田」と呼ばれたという。広い田畑を持ち、大きな屋敷に住み、奉公人を何人にも抱え、何不自由ない生活をしていた。それが、なに一つ持たない身に変ってしまった。

しかし、没落してから詠んだ句からは、栄華を失ったことや、今の境遇を嘆く声はまったく聞こえてこない。孤独と自然の風景だけが揺らぐように句をよむ人の胸をうつ。

 

私たちは生きてゆくうえで、何らかの物を持たないでは、暮らしが成り立たない。魂に安らぎを与えるためには、物も、お金も、豊かである方が良いと考えるのがごく普通である。残念ながら、お金は便利であり、余分に持っていても邪魔にはならないと信じて切っている面がある。

豊かさに恵まれ、楽しく暮らしていたのに、もしも、何らかの事情で全てを失ったとしたら、その時に私たちならどうするのだろうか。俗に言う、「天国から地獄へ、まっ逆さまに落ちてゆく」心境になるであろう。

最後になにがしか残ったものがあるとすれば、その僅かな物に執着し、握りしめて決して離さないようにするかもしれない。

 

山頭火には、本当に何も残らなかった。無一物になった。

今日最後に残ったものは、一杯のうどんだけだった。そのうどん半分を母に供えて一日を終わろうとしている。母は誰にとっても、永遠の安住の地であると深く思う。

 

私が最初に手にした宝物は、「母をたずねて三千里」と言う本だった。それからずっと、小説ばかり手にしてきた。いままで、何冊と出会ってきただろう。自分が体験することのできない世界を、人生を沢山教えてもらった。また、それらを糧にさえしてきた日々が、どれほどあっただろう。だが、膨大な浜の真砂のような本の数に比べれば、手にした書物は、ほんの一握りにも満たない僅かなものである。山頭火のうどん一杯の〈実存〉の人生に比べるべくもない、〈陽炎〉のようなものなのかもしれない。

 

『しかし、まあいいではないか、本を読むからこそ私にも出会えたではないか。うどんを母に供えて、残りを二人で分けてすすろうではないか。人生は果てしない旅なんだから。私と一緒にさあ、旅に出てみよう。何もないが、俳句三昧の明日がまっている。墨染の衣を着なさい。でかけるぞ。』

山頭火の声がすぐ耳元で聞える錯覚にとらわれた。

 

いそいで、ひとり夕食の準備をした。そして陰膳を供えて、山頭火と同じようにうどんをすすった。すると、葱の匂いがあたりの静けさの中に吸い込まれていった。








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