五月晴れ

 

 夏日を思わせるような暑い日になった。
太陽はぬけるような青い空を明るい陽の光でどこまでも照らし、地上にこぼれ落ちる光は緑の若葉を柔らかく包み込む。川は満々と水をたたえ、駆け足で流れてゆく。

 土手に繁り始めた葦は少し強めの風を受け、お辞儀を繰り返し、流れる水とともに5月のさわやかな午後を楽しんでいる。
さっきまで聞こえていた草刈機のエンジンの音は消え、人が作り出した音は一切しない。

 田を、川面を、庭を駆け抜ける風だけが田舎の静かな暮らしをつむいでいる。
こんなに落ち着いた昼下がりを身体全体で感じとったことがあっただろうか。座卓を前に晴れ渡った空を見上げると、川を通り過ぎた涼しげな風が部屋の中一杯に広がった。

 リハビリ病院のことを思い出した。
あの頃は、ベッドの上が全てのような毎日だった。
遠方で突然倒れ、運び込まれた病院からようやく地元へ転院して、二週間ほどしかたっていなかった。
患者への安全上の配慮からベッドには簡単な柵があって自由に車椅子への移動は許されていなかった。
車椅子への乗り移りや、ベッドへもどるとき時ですら一人ではできず介護を必要とした。
ブザーを押し看護の方に来ていただいて、ベッドから車椅子へ初めて移れるのである。

 自立を促すため、できるだけ起きていること、食事はベッドから離れ車椅子の状態でいただくこと、トイレも車椅子用のトイレで介護をしていただき用を足すことが必要だった。
一定の期間、どんな人でも入院中はこれらの介護が大前提であり、病状により安全となった段階で療法士、看護師、立会いの下、実演し、やっと一人だちが許可される仕組みになっていた。

 法律があり、最長で約半年間までしか入院できないと聞かされていたが、自分でベッドと車椅子を自由に移動が許されている人は半分もいなかったように感じた。

 「早く人の手を煩わせることを少なくしたい。自分のことは自分でできるようになりたい」、と思う日々だった。
右半身の痺れ、痛みはひどいものだったし、寝返りもうてなかった。
午前と午後のリハビリの時間、それに食事とトイレ以外の時間は、仰向けに寝ている以外にどうすることもできなかった。

 そうだ、その頃空はこんなにも高く、陽の光は眩しく、風はさわやかだったのだ。
草の匂いを嗅ぐこともなく、水音を友にすることもできず、自然に感謝する機会すらなかった。
危篤に陥ってからやっと一カ月と少しの時間が流れたに過ぎない、あわただしい日々があっただけだったのだ。

 今、有り余るほどの時間に囲まれて、静かに自然を見つめ、語らい、来し方、行く末を深く思うゆとりの中にいる。

 ふいに思う。
《この世をいったい誰が作ったのだろう、何の為に作ったのだろう、どんな思いで見つめ続けているのだろうか》、と――― 
《創造主がおられるなら、この世界を、自然を、歴史の流れを、そして人間を、どんな意図で動かしておられるのだろう》、と。

 じっと考えると、だんだんこの世の主人公は人間では決してない、というあの確かなおもいにとらわれてゆく。
大きな、大きな、時間と空間の流れの中に宇宙があり、地球があり、自然がある。
人間の存在とは、それらの中に組み込まれた、小さな被造物に過ぎないと、謙虚になって、もっとよく深く考え、身をゆだねてみる必要があるのかも知れない。

 意図して創られた存在である人間は、いまや命までもその手に握ろうとするなど、限りなく自由を与えられ、宇宙を包み込む思考を持ち、まるで創造物の主人のように振舞っている。
丁度客席が暗く、舞台からは誰もいないように感ずる客席に向かって、明るい限られた舞台という空間の中で、それとは知らず、一所懸命に泣き、笑い、愛し、憎み、そして喜び、悲しむ演技をしている役者。
人間とはこの役者さんにたとえることができるかもしれない。
とすると、創造主は客席に黙ってすわっていることになる。
スポットライトをあび、その光で目が眩んでいる役者さんたる人間を、創造主は客席からどんな思いで見つめているのだろう。

 5月のさわやかな空の下で、空想もまた、明るく、高く、突き抜けるように全てを超えて羽ばたいてゆく。

「ちっぽけな悩みを脱ぎすてなさい。

青空のように自由な心をもちなさい。

顔をあげてまっすぐに陽の光をあびなさい。

人間ってもっと広い心と明るい心をあのさわやかな風のように、

自由に吹きわたるようにと創られたのだから。

自然と共にいきるように」と。

 自然を友とし、自然に感謝し、自然の恵みに生かされていることを喜んで歌い、微笑むようにと、鳥がゆっくりと飛翔しながら語りかけてゆく。


草刈機の音が再び鳴り出した。明るい日差しが水に輝いている。

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