女寅さん


 

フーテンの寅さんこと轟寅次郎の映画は一昔前、お正月の一大イベントであり、楽しみの一つになり国民的映画と言ってよいほどに人々に愛された。お祭り、縁日などに露店が並び口上よろしくいろいろな物が売られる。

「大したもんだよ、カエルのしょんべん、みあげたもんだよ、屋根やのふんどし(田へしたものだよ、蛙の小便、見上げたものだよ、屋根屋の褌)」など、生きのいい口上と共に客に商品の能書きを聞かせ、その気にさせて買い物をさせる。

寅さんが露店で啖呵をきり、威勢よく商売をするのを啖呵売(たんかばい)というのだと映画で知った。露店は小さなころからたくさん見てきたし、楽しんでも来た。今でも縁日は楽しみの一つである。でも、寅さんのように口上よろしく、思わずその気になって財布の紐をゆるめてしまうような、芸人のような露天商には出会ったことがなく、映画や本の世界だと思っていた。

 江戸、明治、昭和初期ころまでは日本中でみられたかも知れないが、現代の社会では話でしか通じない昔の物語だろうと思っていた。
ところが、ところがである。いたのである。
まるで、舞台も登場人物も、寅さん映画がよみがえったような、懐かしさと楽しさと、夢のような世界があったのだ。

毎月21日に京都東寺に弘法さんと言う市がたつ。ずっと前から話を聞いていたが見に行くのが伸び伸びになっていた。20日、用事で京都に来たので一泊して翌日初めて息子に案内してもらい夫婦で訪れた。

 北大門から入ると境内は露店がびっしりと並び狭い通りをたくさんの人が押し掛けるように行ったり来たりしていた。田舎では、味わうことのできない賑やかさと、京都ならではの品揃えと珍しさが、言うに言えない雰囲気を作り出していた。着物の古着が大切に和紙に包まれ、着物だけを扱っている露店などみたこともなかった店が並んでいる。
なんだか、昔の縁日に紛れ込んだような不思議な感じである。京都1,300年の歴史がつくりだした古い都の情緒がそのままで残っているような心がふるえるような楽しさだ。古いお寺の石畳や、建物が残り、通路で時折、坊さんともすれ違うときもある。露店からは、京都弁が聞こえる。何もかも夢のような世界だった。

 講堂や金堂、五重塔や露店の食べ物も楽しんで入った方角と反対側の南大門を出ようとするときであつた。もう、数歩で門を出ようとするときに足が止まった。

左側に南大門の壁を背におばさんが和服に履く高級そうな草履を売っていた。
数百足の草履を並べ
60歳代くらいだろうか、和服に割烹着、白足袋に草履をはいてさかんにしゃべっている。

 「おばさんの話、聞いててごらん寅さんみたいよ」そっと言われて話に聞きいった。京都弁と言うより関西弁のようだった。正面には30代後半くらいの女の人と、10歳くらいの娘さんをつれた親子連れと思われる二人が並んでたっていた。おばさんは草履と布製のバックを両手に持ち、この草履にはこのバックが似合うという意味のことを盛んにしゃべっている。たえず動きながらとめどなく話し、しゃべっている。

 お客さんは財布からお金を出し渡そうとするのだがなかなかおばさんは受取ろうとせずまだ次から次へと話を始める。お客さんがお金を持ち、手をのばして払おうとするがまたしゃべり始めるとじっと見ていた私達の方へ近づいてきた。
 
それをしおどきにその場を私達は離れた。ただ聞いているだけで買わないのが何となく悪いような気がしたからだ。
しかし、あの寅さんが女の人の形をとって出てきたような不思議な光景だった。
広い大きなお寺の境内での素敵な一場だった。生涯に二度と巡り合うことのない露天商との出会いだった、そんな気がした。

人は、人の前を横切るとき、何等かの形で傷をつけてゆく。
寅さんは人々にどんな傷をつけていったのであろう。
笑いと、感動の涙ばかりが思い出される。

しかし、いみじくも友人が言った言葉が忘れられない。
「寅さんや、寅さんを見ている方は楽しいだろうな。僕も寅さんはたくさん見たもの。だけども、もし身内に寅さんがいたら大変だろうな、きっとたまらないだろうと思うよ。さくら、おいちゃん、おばちゃん、の事思うととても笑ってはいられないね」

私達もきっと似たような部分を持ち生きているのだろうと思う。
私達も毎日毎日他人を横切って歩いている。

どんな傷を残しているのだろう。
深手を負わせているなどと想像すらしていないのも普通の人間である。

寅さん映画にあるかも知れない隠された部分をもう一度考えてみることも必要かもしれない。
 笑いよりも、奥に より多く悲しみや、苦しみが人知れず秘められているであろう人間という不思議な存在についてーーーーーーを。

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