生前葬

 

 保険の外交員さんが年に1回定期的に巡回してくる。
置いて行ったパンフレットには、大きな字で「85歳まで、継続加入可能」とあり、少ない掛け金で入院、通院、手術などの給付金額が並んでいる。
まるで掛金の何倍、何十倍もの給付金額が老人になっても支払われるような錯覚におちいりそうだ。
一昔前は働き盛りの自分の死後、残された家族の行く末を案じて、生活費の一部になれば、との思いで、現役世代の生命保険が前面に押し出されていたように思う。したがつて、高齢者の新たな死亡保険の加入など保険会社がみすみす損をするだけである保険加入は、論外であった。
ところが、急速に進んだ老齢化は新たな需要を掘り起こし、新しい仕組みが考えだされ、高齢者を取り込む保険へと形を変えつつあるかのようだ。
若い頃にいくつもの生命保険に入り、無理をして支払いを続けたが、現役を離れる頃にはその役目を終え、負担も死亡時の受取金もほんの微々たるものになった。
葬儀費用が賄へればーーーーそんな割り切りもするようになった。


 
若さにまかせ、人生を急ぎ足で駆け抜け、重い荷物、余分な荷物を次々と背負い走り続けた道も、折り返し点を過ぎた年代になった。
もう、ゆったりと戻る道へさしかかり、何一つ持ってゆくことのできない荷物を少しずつ、おろしてゆこう。
裸で、かしこに帰らなければならない私たちだ。
明るく、元気なうちに、軽い、さっぱりした姿に、さわやかな心で準備をしよう。

 空っぽの自分にもどったとき、あとは最後の、最後に残される一つの儀式。本人は何もできないのが葬儀、これだけは家族や皆さんにお願いせざるを得ない。最も、ごくまれだが生前にこの儀式を済ませてしまう人がいるそうだ。
もう、随分前のことだが、とある有名スターが実際にやり、週刊誌などで話題をよんだことがあった。
普通葬儀では本人は、弔辞も、心のこもったお別れの言葉も聞くことができない。また、集まってくれた友人、知人にお礼の一言もいうことができない。
それならば生前に葬儀を済ませてしまおうというわけである。
潔い、と言えばこれ程潔いことはないかもしれない。
涙も感じないかもしれない。
笑顔がこぼれ、明るい音楽が似合う楽しい雰囲気になりそうな気もする。
想像するに、生前葬は別れというよりも、区切りをつける節目の会、のようにお互いに理性だけでは割り切れない、お尻のむずがゆさを感ずるような気もする。

 昔武士が戦場へ赴くときに、家臣や、家族と水盃をかわし、生きて再び会えないかもしれない悲しみや、決別を雄々しく、凛々しく表現をした。
それは、別れの儀式として日本人の心に定着したものとなった。そこには、生きての再会を待つ大きな望みが一方で残され、希望への道が、光が続く道でもあった。

 あの有名スターはその後どうされているのであろう。生前葬を済まされ日々どんな気持ちで、人々と生きているのだろうか。
亡くなった、との話は聞かないが、お元気だという話も出てこない。
あの日を境に表舞台に一切出ないようにされていたのかもしれない。
人間は、いつの日かこの世とのお別れをしなければならない。
願わくは、自分で意思がはっきりと表現できるうちに身軽になっておきたいものだと思う。

 臨済宗、中興の祖といわれる白隠禅師、は自らの生き方を洒脱な絵に描き残している。
褌一つの老僧が大股で、にこやかに歩いているなんともユーモラスな絵である。「すたすた坊主」という題がついていた。
さわやかに、着物さえも脱ぎすて、裸になって、何も持たず、拘らず、老境をすたすたと歩いてゆく、白隠禅師の人生そのものである。

 人は触れるものに似る、という。
私たちはどんなものに触れ、何に心を傾けてきたのだろう。
何も求めず、何事にもとらわれず、褌一つのすたすた坊主に触れ、そんな心境を求めたいとも誰もが思うのかもしれない。
着ているものを一枚残らず明るく脱ぎすてるように、生前葬も考えようによっては身軽になれる一つの方法かもしれない。
しかし、その後、他に生前葬を実施したという人の話も聞かなければ、話題にもならなくなった。

 世の中がより忙しくなったのかもしれない。
それとも、人の心のゆとりが失われてゆく時代なのか、とも思う。
自分のゆとりはどこにあるのか、ちょっとばかり考えてしまうのは、僕だけだろうか。
【もっと光を】とは、ゲーテの臨終の言葉である。
忙しい現代人には、もはやこの言葉さえ空虚かもしれない。
【もっとゆとりを】と、今のうちに学んでおかねばならないかもしれない、
〈駆け足の時代〉になったのかもしれない。

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