愛について

 

 ぽかぽかと暖かな陽気に包まれて想像の世界がひろがる。

所は南国。一年中陽の光があふれ、他人の目がなければ生まれたままの姿で暮

らしていても全く気にならない。

豊かに実る果物や、澄んだ海に泳ぐ魚たちにかこまれ、食料には困ることもな

いだろう。

雨露をしのぐ場所、眠る場所も心配ない。

人間が生きてゆくうえで基本的に必要な、衣、食、住の心配をする必要がない

恵まれた環境。

 

 たった一人。

世界中どこを見渡してもこの小さな天国といえる島には自分一人しかいない。

何の悩みも存在しない。

何も心配することもない。

競争は一切ないし、他人と比べることなんかもない。

自由に、勝手気ままに、思う通りに生きて行ける世界。

これ程の恵まれた、自由な世界がまたとあるだろうか。

 

 幸せな世界、―――― でも何かが足りない。物足りない心がゆれうごく。

そう、心の中は満ち足りているはずなのにポッカリと穴があいたように足りな

いものがある。

誰の心の中にでも忍び込んでくる疑問。

何の為に・、何の為に・・、何の為に・・・、と。

自分が必要とされることはないのかと。

 

 大都会、ビルの谷間でうごめく人々。

騒音と不夜城のように眠りを知らない町の中で絶えず動き続ける人たち。

昼も夜もなく時が流れ、時に追いかけ回されて片時も休む暇もない。

人々は心温まる会話も、人間らしいふれあいも、豊かなつながりもなく、小さ

な時から教え込まれ、覚えさせられた“正義”をただ追求することに余念がな

い。

 

“より早く、より高く、より多く、その手中に握ること”これこそ勝利者であ

ると。

物が豊かになればそれだけ満足感は増し、幸せになると信じて。

 

 だから、誠実に、脇目もふらず、時を選ばず、努力し続けること、それが人

間に与えられたまっとうな生き方だと信じて。

急ぎ足で歩きまわる群集の中に自分も遅れまいとしてその身を投ずる。

肩を触れ合うほどの混雑のなかで、心をかくし、時に陽気さを装い、声を掛け

合い、微笑みを交わし通り過ぎてゆく。

 

  寒々と身体の中を風が吹いてゆく。

群衆の中の孤独、人の混雑した中にいながら生きている何かが足りない。

ひとりぼっち、そんな声がひそやかにどこからか聞こえてくる。

 

 人は一人では生きてゆけない。一人だけ豊かになっても幸せになれない。

人の幸せは物の量だけでは計れない。

また、幸せがなくては生きているという実感もない。

幸せはどうしたら手に入れられるのであろうか。

貧しくて、物がまったくなくて、食べるもの、着るものがなくても幸せだった

人たちも大勢いる。

いや、幸せな一生だったろうと私たちに想像させる人たちがいる。

一休禅師、マザーテレサ、聖フランシスコ、コルベ神父、その人たちにつき従

って自分を捧げつくした人々他、歴史に名を残した人、社会の片隅でほとんど

知られることなく去っていった様々な人々が。

 

 本当の幸せとはこころが満ち足りて平安な状態にあることをいう。

お金や物は、なるほど平安な状態を与えてくれるように見える。

だから、人は物質的なものを人よりもより多くと求めるのかもしれない。

しかし、お金や物に替えられない幸せがあることも人々は知っている。

物質的なものはあくまでも平安な状態を与えてくれる仮の手段かもしれないと

うすうす感づいてはいるが現実社会にどっぷりとつかった私たちには、拝金

的なおもいから抜け出せないのもまた事実である。

どんなに物が豊かであっても心が満たされなければ幸せには決してなれない。

どんなに多くの人と暮らしていても孤独の殻に閉じこもっていたら、幸せとは

ほど遠い世界に放り出されていることも知っている。

決して声に出さない、顔に出さない、他人に見せない心の奥底で、声にならな

い声がうめいている。

幸せになりたい、幸せがほしい、と。

物ではない幸せとはどうしたら手に入るのだろうと。

 

 もう半世紀も前のことだった。函館と青森を結ぶ青函連絡船、洞爺丸が台風の

為沈没し
1200名もの人々が亡くなった。

この時洞爺丸に二人のキリスト教宣教師が乗船していて嵐の海へ投げ出された。

嵐の海に漂っている時、救命胴衣をつけないで遭難した人を見つけると自ら

の救命胴衣を与え自分たちは波間にきえていったという。

その、生き方に誰しも胸をうたれる。

人は人とのつながりの中で、初めて生き生きと生き、生きる意義をみいだす。

幸せな人生だったなーーと人々の胸の中に思いを残してゆく。

 

 愛のうちに生きれば幸せな人生がおくれる。

平安な状態に満ち足りた人生がたとえ瞬間であってもその人に幸福感を与え、

もっと多く、長く、他の人々に幸せを与え続けられる。

愛とは惜しみなく自分の全てを喜んで捧げるものだから。

 

 「友の為にその命を捨てる。これより大きな愛はない。」聖書は愛にいきる

ことを説く。

誰もがマザーテレサや、コルベ神父のように生きられるわけではない。

しかし、自らの横にたたずむたった一人の人を自らの全てを賭けて愛し、守る

ことができたら、最も幸せな人生を生きたことにならないだろうか。

自らの家族へ輪を広げそして見知らぬ人々にまで微笑みで愛を伝える。

もしかしたら、こんな生き方が人間に課せられた使命なのかもしれない。

愛こそ人を生かす根源ではないだろうか。

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