只管打坐(しかんたざ)

 

 『僕の前に道はない、僕の後に道は続く・・・・・』
若い日に、世の中を深く知ることもなく、今日をただ一所懸命に駆けていた時に出会った高村光太郎の詩の一節である。未知への若者らしい不安と、漠然とした期待とに揺れ動く心に、何か判らないが背中を押してくれる力を感じさせてくれる、不思議な詩であった。

 あの頃は、誰もがそうであったように、ただ生きることに必死な時代であった。銀のスプーンを咥えて生れてきたのでもなく、紫の衣に包まれていたのでもなかった。
棟割り長屋の片隅で、貧しいもの同士が肩寄せ合って暮らしてゆく、そんな毎日の生活であった。

 子どもの頃は、戦後のひどく貧しい時代であった。

麦飯が当たり前で、白米のご飯など滅多に見たこともなかった。
うどん粉を練って煮込んだだけの醤油汁のすいとんや、サツマイモを食事の代りにすることなどざらだった。そんな粗末な夕食でも親は子どもと一緒に食べることはなかった。子どもには今夜の食べ物が、どれほどの苦労によって親が手に入れたかを何も知らさずに、とにかく腹いっぱい食べさせてから、親は残った分だけをそっと隠れるようにして食べていた。終戦後の混乱期は多かれ少なかれ、これが庶民の暮らしだった。

 “食”がこんな具合であったので、“衣”は、〈おして知るべし〉の有様であった。ズボンの膝は抜け、シャツの肘は破れ、足袋や靴下は穴が開いていた。継ぎはぎがきちんとしてあれば、立派なほうだった。“住”も雨漏りなどごく普通だった。雨の日は、家の中に雨漏りを受ける盥や、鍋が置かれ、これを避けるようにせんべい布団が敷かれた。

 【はたらけどはたらけど我が暮らし楽にならざりじっと手をみる】石川啄木の世界はまさに両親達の世界にもつながる、苦の生活史であったと言える。
だが、底辺に暮らす庶民にとってはこの苦労も、どこの家も皆似たような環境にあったので、少年期に、自分たちだけが貧しい、という惨めさは知らずに通り過ぎた。
笑いがいつも絶えない、そんな環境だった記憶だけが今でも残る。顧みれば世間知らずな、狭い世界の中で平気で泳いでいたものである。それで、通用する時代でもあったのである。

 「人間は何も持たずに生れ、何も持たずにこの世を去ってゆく。無一物になろうとも何を心配し、恐れることがあろうか。初めから何も持たないのだ。失うものなど何一つないではないか。」、こんな考え方が素直にこころに入ってくるのも少年期の生い立ちが影響しているのかもしれない。

 少しずつ分別が付いてくると、世間が少し広がる。人並みの生活がどんなものであるか判ってくる。豊かさが幸せのバロメーターであるとする世間の常識に歩調を合わせ、あくせくとした生活にどっぷりと身を浸す。
今まで経験したことのない世間の荒波にこぎ出してゆく。
何が待ち構えているのか、どこへ向かうのか、何もわからない。若い日に新しく飛び込んでゆく世界は、一方では不安の波風に揺れた。光太郎の“道はない”と言う言葉は、新鮮でもあり、心の代弁者でもあった。
青年には、力強さとともに、独特の感傷も芽生える。「自分とは何者か、人間とは何か、なんのために生きているのか」、疑問の渦の中に身を置き、人知れず悩んだりもする。
神を見出すのもこの頃かもしれない。
道なき道を歩き続けなければならない運命に人は誰も立ち向かわねばならなくなるのである。自分の、家族の生活を守るのに必死になりながらも、心を紛らわす楽しさを見つけ、気晴らしに身をゆだねたりする。

 しかし、どんなに多忙に追われていても、喜びに溢れていようとも悲しみに打ちひしがれていても、ふと誰の胸にも顔を見せるものがある。かき消そうともがいても、たちあがる霧のように漠然と心をふさぐものがある。

【これでいいのだろうか。本当のことって何だろう。豊かさが幸せなのだろうか。自分とは誰なのだろう】、もう一人の自分がいて、もう一人の自分に話しかけてくるのである。

 しだいに人の世に触れることが多くなると、もう少しだけ広げて周りを見渡すことを試みたりする。そして、自分なりの勝手な世界を想像するようになる。

たとえば、こんなふうに世界が頭の中でうごきだす。

 『西洋の思想の中心をなすものは【神の臨在】である。創造主である神がまず、すべてに超越して存在する。被創造物であるこの世のありとあらゆるものは神の創られた見えない秩序に従い生きる。人間もまた例外ではない。この見えない秩序を見える形で判断してきたのが〈教会の権威〉である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、然りである。神に敵対するものは、許されない。〈教会の権威〉が作り出す神同士の敵対である宗教戦争は今も続く。しかし、〈教会の権威〉と言っても、すべてが正しい神の意志ではなく、人間が判断するものである限り過ちも数多く存在したことも事実である。十字軍は聖地奪還を旗印にした殺戮であった。地動説を唱えたガリレオは宗教裁判にかけられ、毒杯をあおいでこの世を去った。“それでも地球は動いている、という有名な言葉を残して。また、進化論も多くの論争を巻き起こし教会の攻撃を受けた。だが一方で、間違いのない神の意志そのものであると信じ続けられる教えがある。愛を説くその教えは人間に崇高な生き方を指し示し、数十億の人々に生きる真理を与え続け、今もなお【神の臨在】とその教えに従うことで人間の存在意義を教え導いている。神なくしてはこの世は存在しないと固く信じ、生れ、去ってゆく夥しい人々にこの世で生きる光を与え続けているのである。

 これに対し、東洋の思想の中心となるものは、徹底した【自己の探究】である。
 仏教でいう仏とは【目覚めた人】という意味であり、真理を見出したのはお釈迦様しかいない。すなわち、人を含めた全存在、真理そのものに【目覚めた人】がお釈迦様である。
   仏まで到達しないが、仏の次に目覚めたものを菩薩と言う。自ら真理に近づく修行に精進すると、自分以外の人々にも配慮し、喜びを分かち合い人を幸せにしたいと願う段階にいたる。この段階にまで悟ったのが菩薩であるという。人間が目指すのはこの菩薩である。禅宗の厳しい修行はこの菩薩の真理を目指してのたゆまぬ自己の探究である。【修行により自己を究明してゆくことは、自らを明かりとすることであり、自らが灯りであるという事実に気づくことである。】自らが灯りである、と気づくとは【宇宙の大生命がそれぞれの存在としてあらわれては消えて、また元の大宇宙に帰る人間と言う存在を知り、宇宙の大生命が人間だれしもに平等に通っているのだということを知るということである】。人は仏を知らない時は、誰しもその渇きを満たそうとして、富を求め、力を求め、あらゆる愚行に走り、不毛の戦争に突入し殺戮に走ろうとする。だが、宇宙の大生命が平等に通っていることを知れば、小さな自己に凝り固まっている自分を捨て、執着を捨て、借り物であるこの世での一切の想い煩いから抜け出すことができる。
仏教が宗教戦争を正当化せず、あらゆる宗教に寛容なのはここにあるという。

 東洋思想、禅の世界には、神は存在しない。創造主はいない。世界は誰が作り、人間は何のために誰が創ったのかを一切語らない。【人間とは何か】を問いつづける宗教である。生まれる前、死後、そして生まれ変わりなどをことさら強調することもない。輪廻転生は後から仏教にとりいれられた思想で当初はなかったという。眠ったままでいる人間が、本来の人間に目覚めるために修行三昧をし、悟り得ようとする禅の世界。この真理の探究は並大抵ではない。インドの僧、達磨大師は中国に渡り9年の間岩壁に向かい坐り続け、悟りを開いた。

 今に至るまで、【人間とは何か】を自ら捜し求め続けているのが禅僧だと言える。
【目覚めた人】に少しでも近づくために、ただひたすらに坐り続ける。只管打坐(しかんたざ)と呼び、雑念を捨て、真理を求めて座り続ける。
まるでこんなふうに教えているように聞こえる。

「あなたは、眠ったままだ。

 だから、迷い、欲望に捉われ、愚かな行為に陥る。

目覚めなさい。

そうすれば、すべての執着から抜け出せる。

 真理へ到達する。

真理へ到達する“道”は教えることができるが、“真理”そのもの

を誰も教えることはできない。

真理は不立文字といい、書いたり、伝えたりできないものである。

 自分でそれを見つけなさい。それしか方法がないのです。

一生を働き、汗し、家族を養ってきたと同じように、その情熱のす

べてを、〈人間とは何か〉、の真理を見つけるために注ぎなさい。


どうすればそれができるか

ただ坐りなさい

一切の思いを捨て、ただひたすらに坐り続けなさい。」

こう語り続けているように聞こえるのだがどうであろうか。
家族も持たず、財産も、地位も、名誉も求めず、ただ真理を得るためにだけ、に生涯をかける人たちが今もいる。只管打坐を続ける修行僧がいる。』

真理がなになのか、ただ一つのものはまだ見つけることができない。西洋の思想のように、神があらかじめ供えてくれた道を歩んでゆくのも一つの真理かもしれない。
禅と同じように、自分の前に道はないと考え、自分自身の力で切り開いてゆくのが真理かもしれない。
いずれにしろ、人間を超えた偉大なるもの、それを神と呼ぶか、仏と呼ぶか、無と呼ぶか、人様々かもしれない。高村光太郎はそれを父と呼んだのではないだろうか。

 「道程」の詩は次のように詠まれた。

〈僕の前に道はない、僕の後に道は続く 

ああ、自然よ父よ、

僕をひとり立ちにさせた広大な父よ、

僕から眼を離さないで守ることをせよ

常に父の気魄を僕に満たせよ

この遠い道程のため、

この遠い道程のため〉(高村光太郎)

“遠い道程”の行きつくところは何が待っているのであろうか。
真理がみつかるのであろうか。何も持たず生れてきた私たちは、例外なくだれもが何を持たずに去ってゆく。“何もない”、幼い頃はそれが当たり前であったではないか。
背負いきれない多くの荷物を持ちすぎた。この辺でできるかぎり降ろしてゆこうとも思う。
清貧をすべてとする禅僧のように、一汁一菜に感謝し、“何も持たないが、すべてに満ち足りている”という生活を得たいものである。

 只管打坐という針の穴ほどにかすかな道を潜り抜けようとする人々が、混迷と、物質的繁栄に狂奔するこの世に背をむけて、無言で歩いてゆく。

「あなたも目覚めた人になりたいのなら、ついてくるがいい」と、無言の背中で語りかけながら。

 
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