呑気な間借人

 つい最近のことであるが、自宅の電話が鳴った。もう40年近い付き合いになる友人の奥さんからだった。
”専用のお部屋を用意したから、使ってくださいね。それと、お部屋の名前を考えておいてね“との事であった。
バーチャルルーム、つまり架空の部屋、パソコン上の専用ルームのことである。
 友人からは、今年になり、多忙な第一線を離れ、時間もでき、メールのゆとりもできたから、という連絡をもらっていた。
お誘いに乗って、メールを始めていた。

 私にとって、現役のサラリーマン時代は文書を作るのも一つの大切な仕事だった。
お客様との連絡から、社内の稟議書、会議資料、会議議事録、戦略書、企画書、仕事の指示書、生産連絡、出荷連絡、など膨大な書類に囲まれ時間との格闘があった。
簡潔に、適格に、感情に流されず、あるがまま、を正確に書いて伝え、読んで理解することが必要とされた。
言い換えれば、文書作成マシン、文書解読マシンであることが重要であった。
私情とは無縁の冷徹な心を必要としていた。
いかに早く、どれだけ精緻に、誤謬を少なく伝えられるかが大切な資質であるという世界に全身を浸し、何十年も暮らしてきた。

 現役を離れ、180度価値観が異なる日々が待っていた。
早いことは最善ではない。時間や距離の正確さも大して重要なことではない。
忙しく毎日を過ごすことにさして意味があるようにも思えない。
ゆっくり、のんびり、見過ごしてきた季節や、生き方に思いをはせるようになってきた。
しかしその心も考え方も、時間の流れと共に変化する。
木々が新芽に春を告げ、青々と葉を茂らせ周囲に涼しさを与える夏となり、秋は黄色や赤に色づき、やがて寒い冬に散ってゆくように心のありようも随分とくるくる移り変わってゆく。

 以前自分でブログを作り雑文を書いていたが、左手だけのあまりの難しさと、内容の稚拙さと、だらしなさやらがごっちゃになって挫折しそのままになっていた。
自分でブログに向かっていたころとは違う視点で何か書いてみようか、と思い始めた。
誰に読んでもらうわけでもない、自分のほんの小さな足跡が残り、振り返ることがもしもあった時には、影のように残るかもしれない。
手で書きためたいくつかの文章もあった。
パソコンに向かう時間が流れた。
しかし左手だけでのパソコン操作は時間の掛る事おびただしい。
書いているうちに前後が判らなくなるほど時間もかかる。

 ある時自分の文章を読んでくれる方が現れた。自分の心の軌跡のつもりで書いていたが感想など送ってくれるのが嬉しくって勝手に送り始め通信が始まっていた。
閉じ籠りに近い毎日に小さな変化が現れた。
 友人の奥さんからの電話はそんなころだった。ホームペ−ジに間借りさせてくれるということだった。
部屋の名前も、過去に書いた文書も大家さんが皆一人でやってくれた。
間借り人は賃借料も払わずただ呑気にしているだけの暇人である。
しかし、改めて自分の文章を読み返してみると恥ずかしくなってくる。
サラリーマン時代の用件のみ簡潔に、とはサヨナラしたようには思えるが今度は意味不明になってきた。
下手な文章は随筆とは呼べそうもない。
勝手気ままに書いた雑文、駄文、文字の行列に近い。
このまま、平気な顔で間借りしていていいのだろうか。

 まあいいか、借りたままで掃除もしない、埃だらけになるかもしれないがしばし許していただこうか。
なるべくお借りした部屋は奇麗に使わしてもらうつもりですが、どうぞ大家さん、目に余ったら追い出してください。たまには掃除をしなさい、と注意もしてください。

 いま、呑気な間借り人は開いてもらったいくつかの小さな窓に顔をつけて、外を眺めては季節の移ろいを感じ取ろうとしています。
この部屋をのぞかれた方にも私なりの季節をお届けしようかと思っています。

それではこの次に、この窓で。

【呑気な間借り人より】


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