スマイルおじさん

 

 仕事から離れて、悠々自適の生活に入り10年弱、そんな年まわりのはずだ。地方の小さな会社に定年まで勤め退職すると趣味の生活に入り毎日を多忙にすごしている。子供二人は既に独立し、奥さんも年金生活に入り自分の定年は老人二人ののんびりとしたものが約束されていた。
とにかく笑顔の絶えない人柄である。
いつ会っても、どんな用事でも、満面これ笑みという顔で話しかけてくる。
話が好きで何かと話題を見つけ、楽しそうに、愉快に、時には口の端にこぼれそうな笑いの泉の印をつけながら身体全体で表現する。
音楽が好きで自分でも楽器を演奏し人前で臆することなく披露する。これがまたなかなかのものである。アンコールこそないが何かの集まりがあると演奏を周りも期待し、本人も喜んで“そうですか、それでは一曲やりましょうか、何の曲がいいですかね、それでは今日はこの曲はどうですか”などと笑いをたたえながら話はじめ用意してあった楽器を取り出すとしばらく楽しい時間を過ごしてもらおうと一所懸命演奏する。

 サービス精神も旺盛なのである。身体を動かすことも若いころから好きだった。
「ソフトボールを企画しましたから○月○日、○○公園にお集まりください」とか「ハイキングに出かけましょう。お年寄りから子供達まで皆で楽しめます。お弁当を持って○時に集合してください。」などと、チラシを作り自分でPR役までつとめ一手に行事の裏方となっている。
今でも相変らず年何回かの世話役を自分から、かってでている。
その笑顔をたやさない人柄からつけられた名前が「スマイルおじさん」である。


 
笑顔と言えば会社員時代に、非常に人の心を大切にし、時折見せる笑顔が会う人の気持ちを優しくさせる上司がいた。他社との激しい競争に明け暮れ、売上ノルマの重圧に耐え、甘えなど許されない営業部門の責任者であった彼に、笑顔で接する余裕なぞめったになかった。不思議だった。何故、人はこうも優しくなれるのだろうと思った。
ある公団の総裁までつとめた人を父に持ち、お坊ちゃん達が集まる私大を出て、何不自由ない暮らしの中で育ち、そんな家系に相応しい奥さんをもらい、単身赴任ではあったが若くして出世して重要ポストについていた。
ご多分に洩れず、サラリーマン時代は朝早くから夜遅くまでよく働いた。
少し時間ができると同僚とコミュニケーションを図るなどの理屈を並べよく飲みに行った。大衆酒場とか、いきつけの一杯飲み屋で愉快な酒を飲み、時には真面目な顔をして議論もした。
そんな折、同じ東京から転勤してきた先輩が話したのが、上司の通り一遍の家庭のことだった。何気なく聞いたその事実は心の奥にひっそりと残った。
幸せに見える家庭にも如何ともしがたい、人の力ではどうしようもない運命的なものに左右されていることを考えさせられずにはおられなかった。
何故、あんなにも優しく人の心を大切にするのか、理由の一端が分かったような気がした。砂糖のほんの僅かな甘みが判る人は、塩味を沢山味わった人にしかできない。悲しみや苦しみを経験すればするほど人はそれだけ優しくなれるのだ。幸せしか知らなくては、人の痛みも涙の辛い味も知ることはできない。

 スマイルおじさんもきっと口にこそ出さないが、辛いこと、悲しいことを人一倍経験してきたのかも知れない。あの笑顔の奥に隠された深い憂いは並大抵ではないかもしれない。勿論、天性の明るい性格がそうさせている、と言い切ってしまうこともできる。
事実、外側からはそう思わせるしか見えないように常に振舞っているのだから。

 ひるがえって、もう一人の自分に、“あなたはどんなふうに見えるように生きているの?”と問われた時、自分に向って自分自身のことをはたして何と答えられるだろうか。
また、どう生きたいと答えるのだろう。
自分のさまざまな心の複雑な襞を覆い、にこにこと、笑顔で、どんな時でも明るく過ごしている、と言い切れるだろうか、それとも、感情のおもむくままの人生だろうか。

スマイル、響きもさわやかな言葉である。


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