あなたは幸せですか?

 

耳元で優しい声が聞える。

『あなたは、今、幸せですか?』

『どんな時に、幸せだと感じますか?』

『どんな幸せを欲しいと思いますか?』

あなたに、こんな声が密やかに聞えてきたら、何と答えますか?

人は誰も幸せを求めて生きています。

〈俺には関係ねぇよ!〉そんな強がりを言っても、心の奥底で魂が叫んでいるのかもしれません。

〈俺だって、人並みの幸せがあってもいいじゃねぇの〜〉、って。

 

「幸せな生活。」・・戦後生まれに私たちには、お手本がありました。

誰でも自由に生き、発言し、平等に権利を持ち、市民としての義務を果たし、夢を追いかけて豊かな社会の一員になれるという民主主義が最も発達した国、アメリカでした。

幸せ、とは豊かさに囲まれた、光あふれる明るさに包まれたものだと、教わってきました。

幸せは、氏素性にも、金持ちも貧乏人にも関係なく、均等に与えられる機会を生かし、努力と、勤勉によって勝ち取ることのできるものであり、豊かな生活がその果実であると、信じて我武者羅に皆で駆けてきました。

 

アメリカンドリーム、とても手が届かない雲の上の出来事であり、豊かさと成功の象徴ですが、この言葉は、耳に快く響き、何よりも平等に機会が与えられている、そのこと自体に大きな希望がありました。

〈努力と勤勉〉、これこそが生きる目標のように、戦後生まれの世代には繰り返し刻み付けられた二文字でした。

 

食うや食わずの生活から抜け出し、文化生活といわれる2DKや、3DKの住生活を手に入れました。

“もっと、もっと”という欲求は、当時普及率がそれほど高くなかった電化製品の、〈三種の神器〉に目がむけられました。憧れだった、白黒テレビも、洗濯機も、冷蔵庫も、どこの家庭にもはいるようになりました。そして、一億総中流の時代に突入しました。極端な上流階級にも属さず、貧しい階級もあまりない〈皆が中流〉の豊かさを享受できる時代になりました。物質的な満足の追求はさらに新たな欲望へと進み、3C時代と呼ばれ人々を刺激し続けました。

カラーテレビ、カー、クーラーがもてはやされ、努力さえすれば、誰でも手に入る世の中になったのです。

それからも、世の中は、ますます進み、生まれたときから貧しさを知らず、働くことだけが目標のような「働き中毒」の若い人たちも滅多に見られない時代になりました。

【衣食足りて礼節を知る】、もう昔から比べれば物質的には十分に満ち足りているはずです。でも、欲望にかぎりがありません。ひとつの満足は次の欲望を生み出し、際限のない道へと踏み込み、迷いの泥沼に足をとられてゆきます。

 

『思うこと ひとつかなえばまたひとつ かなわぬことのあるが世の中。』

人間の性でしょうか。昔から少しも変わらない有様だといえるかもしれません。

 

何も私たちの国だけが、こうなのではありません。

アメリカンドリームは、〈努力と勤勉〉が生み出すもの、人間の善意の冠のようにおもっていました。

もちろん、それが大部分でしたでしょうが影の部分があることも、改めて知りました。

白人の生命、自由、幸福の権利の追及は、インディアン強制移住法や黒人の犠牲の上に成り立った一部の人たちの特定な平等な権利であったことをいまさらのように痛感しました。

その延長線上にある現代、強者が弱者を踏み台にして、幸せを手中にする傾向は、ますますその度合いが強くなっているようです。

急速に発展し国民総生産が世界第2位に躍り上がるように勢いを増す、ある国も例外ではないようです。

また、カースト制度が人の一生を左右してしまう国でも、ごく一部の人々にだけ自由は輝いているように見えます。

終わりのない欲望の追求は、まるで新しい神を生み出したように映ります。

「拝金主義」と呼ばれる価値観です。

「この世の中を支配しているものはお金である」という観念です。

人の幸せはお金の多寡によるのだ、という物質万能主義の論理です。

お金に心を奪われ、お金の前に跪き、お金さえあれば幸せになれるという新しい神を生み出したのです。

世界の主流はこの拝金主義が洪水のように渦巻き、大きなうねりとなっているようです。

 

でも、どうもおかしい、という小さな流れもあちこちに見え隠れしています。

団塊の時代と呼ばれる人たちがいます。〈努力と勤勉〉、が身体中に染み付いた人々は、一所懸命働き、安定した生活を手に要れ、老後を迎えました。

豊かさを何とか手に入れましたが、求めてきた真の幸福が現在の物質で満たされただろうか、と小首をかしげています。

“心の時代”と言われてから久しいけれど、何が心なのか、その本質もつかみかねているようです。

 

世界の国々の豊かさを計る物差しに、国内総生産(GDP)がよく用いられます。

物が豊かになれば国民の満足度も大きくなるだろうと言う、一つの指標です。

ところが、世界でたった一つ、「国民幸福度」を指標にしている国があります。

国民全体の幸福度を示す尺度として、金銭的、物質的豊かさを用いるのではなく、精神的豊かさ、つまり幸福を目指すべきだという考え方です。

そして、幸福度で示された国民の満足感は90%にもおよぶそうです。

南アジアの小国、ブータンです。

1972年ブータン国王、ジグミ・シンゲ・ワンチョクによって国民幸福度は提唱されました。西隣がネパール、北部はチベットです。ヒマラヤ山脈に抱かれた秘境の国、そういったほうがわかりやすいかもしれません。国土は九州くらいの大きさです。国民総生産は日本の二十分の一、約5000ドル位しかありません。チベット仏教を国教にしている国で、人口は僅かに、60万人程度です。

山岳民族の暮らしを守り、近代的な生活は見られません。

“隔絶された社会の中で、他と比べることを知らないから「幸せ」だと、信じていられるのだ”、そういってしまえば実もふたもありませんがひとつの生き方であることは事実でしょう。

文明を拒否し、自然の中で、自給自足を目指す人々の群れも確実に存在するのですから。

そう、アーミッシュの人々のように。

 

物質的な満足の中で、幸せが見つかるかもしれない、と駆けてきた人々。

生まれたときから、物質的な貧しさを知らないままに成長してきた人々。

何かわからない渇きを持って、しかし急ぎ足で歩き続ける人々。

私たちもまた、その群集の一員に過ぎないかも知れないのです。

 

幸せの形は「こうであるべきだ、とか、これですよ」、とか決まったものがあるわけではありませんね。この頃になって、つくづくと、そう思います。

 

中島みゆきさんに「幸せ」という歌があります。

すごく、魅力的な歌ですがこんな歌詞の一部があります。

 

『〜〜♪

 幸せになる道は2つある。

   1つ目は、願いごとうまく叶うこと

     もう1つは、願いごとなんかすててしまうこと

 せんないね、せんないね、どちらもぜいたくね

   せんないね、せんないね、これからどうしよう

     幸せになりたいね              』

 

声が聞こえませんか?

『あなたは、今、幸せですか?』

『どんな時に、幸せだと感じますか?』

『どんな幸せを欲しいと思いますか?』

 

【あなたは、今、幸せですか?】・・“もちろん幸せだよ”、と即座に答えられるあなたで常におられますようとお祈りしております。 

 

『他人を幸福にするのは、香水をふりかけるようなものだ。 ふりかけるとき、自分にも数滴はかかる。』 (ユダヤの格言より)

友の部屋」目次 トップページ