深夜の幸せ配達便

 もう長い間、眠る前に睡眠導入剤(眠剤)の服用が習慣となり、耕太郎は薬が手放せなくなっていた。
最初は持病の腰痛から来る不眠の解消を医者に訴え、眠剤を処方してもらった事がきっかけだった。いまから思えば腰痛が不眠につながったわけではなく、些細な仕事上の悩みだったにもかかわらず、それを誰にも言えず、一人悶々と抱えていたことが原因だった。
 しかし、『この眠剤は長く飲んだからと言って問題が起きるわけではありませんから安心して服用してください』、という医者の言葉に安心し規則正しい睡眠を確保しようと、ズルズルと持病の薬と共に飲み続けた。定年退職後も、朝早く起き仕事に行く必要はなくなったにも関わらず、早寝早起きを習慣のように続けるために眠剤を飲み続けた。そんな時、不眠症で長い間苦しんだというある女流作家の随筆を目にした。

 「最後は開き直りみたいなものでした。眠れなければ朝まで自分と付き合えばいいのだ。眠ろうとしない、それが私なのだ。夜だから眠らなければいけないということはない。夜通し働いている人もいる。私は眠らない女なのだ。・・・そう考え方を変えて夜通し起きていることにしました。それからしばらくしてからでした。起きていることにつかれ、夜なかにうとうとするようになったのです。」

 【私は眠らない女】という言葉が妙に新鮮に耕太郎を刺激した。
この歳になっても夜は眠るものという常識から抜け出せず、一見、真面目そうな四角四面の世界から一歩も抜け出せない自分が可笑しくもあり、恥ずかしくもあった。
毎日、印鑑で押したように、早起きをし、朝食をとり、新聞を隅から隅まで読み、犬を散歩させ、12時とともに昼食をとり、妻の買い物に付き合い、趣味をこなし夕食をとり、テレビを見て勤勉に一日の日課をキチンと果たしたことに満足し、眠りに就く。
サラリーマン時代そのものの延長線でしかないそんな生活に、どっぷりつかっている自分を今更のように振り返ってみた。
勤勉な一日を維持するために眠剤を服用している自分を、もう一人の自分が眺めたらなんて滑稽な姿に見えるのだろう。
自分で可笑しくなって、くすりと、笑った。

「早起きが常識?」

「一日をこう過ごさなければならないなんて、決まりが必要なの?」

「昼間起きて夜寝る、これが常識なんて誰が決めたの?」

「そもそも常識なんてあるの?」

「自分が後生大事に抱えている常識なんて幻想ではないの?」

「夜勤で働く人から見たら、180度価値観は逆のはず、他人の目から見たら自分の常識なんて押し付けたり、正当化すること自体が非常識ではないの?」

耕太郎のなかでもう一人の自分がぐるぐると頭の中を駆け巡った。
【俺の常識、世間の非常識】、そう断言できるのではないかと思える自分中心のかってな毎日が、過去から現在に、そして明日へと、目の前に果てしなく広がっていた。

 眠剤の服用をやめてみよう。眠れなくてもいい。朝まで起きていたって次の日困る訳ではない。眠くなったらその時に寝ればいい。勤勉という自分勝手な常識を捨ててみようと思った。
眠剤の服用をやめ、しばらくは寝つきが悪くて悶々とした。
〈眠らない男〉を演じようとしたが、頭で考えるほど単純に割り切れるものでなく、〈羊を数えたり〉、〈眠らないことを当たり前にすることにとらわれたり〉、〈起き上がって読書をしたり〉とやっぱり常識的な眠ることに努力をしている自分がそこにはいた。
そのうち、夜なかには、いつの間にか寝付くようになった。 
その代わり、朝、早起きができなくなった。
だらだらといつまでも寝ている日がしばらく続いた。
だが眠剤の影響はそんな程度ですぐに解決できるものはないようだった。長年薬に頼った身体は盛んに薬を求めるように2〜3時間での浅い眠りとなって夜中にすぐに目が覚めるようになった。
一旦眼が覚めると再び寝付くまでが大変だった。白々と夜が明けるころ、いつのまにか眠り、昼食近くになって、のこのこと起き出したりした。
それでも、もう一度眠剤を飲むことは避けようと我慢をしつづけた。

 眠れぬ夜をどう過ごそうか。
ある日、真夜中に、目が覚めてじっと布団にくるまっている時、ふとラジオを聞いたら、と思いついた。
スイッチを入れ、耳を澄ませばやっと聞えるくらいの音量にして闇のなかで目を凝らした。草木も眠る丑三つ時」、にラジオを聴くなんて初めての経験であった。
こんな夜中にラジオを聴いている人たちがいる。
当たり前のことであるが自分も深夜の仲間に入れてもらったような気分となり、ラジオの音が新鮮に耳に響いた。

 24時間、ラジオは友達のように人々に幸せな時間を届けようとしている。眠らずにその努力をし続けているラジオ局の人たちがいる。
この深夜、ただひたすらに心を、人間の寒々とした孤独な魂を温めようと一分一秒も休まずに呼びかけている人々がそこには感じられた。【深夜の幸せ配達便】、そんな名前がぴったりするようだなと、耕太郎は思った。
 昼間とはガラっと内容も違っている。
密やかにしっとりと、心に浸みいるように声が運ばれてくる、そんなふうに聞えてならなかった。
同じようなにぎやかな内容でも、どことなく違っていると感じて仕方がない。そうだ、安易なおふざけ、だけは全くないな、と安らかな心地がした。
しかし、何とたくさんの番組があるのだろう。音楽が流れていることが多かったがクラシック、ポピュラー、歌謡曲、懐かしのメロディーと音楽番組だけでも何と幅広く楽しめるのだろう。
落語がある、漫才もある、漫談もやる。小説の朗読は語りかけるように暗闇のなかで息づいている。ニュースも、時事問題も、対談もある。

 どんな人たちが聞いているのか、想像力をたくましくしてもリスナーの顔があまり多くは浮かんでこなかった。きっと【深夜の幸せ配達便】を心待ちにしている人は仕事をしている人よりも、何らかの事情で闇のなかで、手探りで一人、幸せを捜している人々が多いのかもしれないと思った。
それぞれのラジオの向こうで、たった一人で、同じ番組を聞いている人がいる、そう思うだけで自分だけではない、見えない、声も聞こえない、どこの誰ともわからない友達がいるような、ほっとした気持ちもどこかに芽生えた。

 もう夜が明けるか、という頃だった。福祉の対談がゆっくりとした、低い声で聞えてきた。50年もの長い間、障がい者を雇用し、企業を経営してきた本当に小さな中小企業の経営者への対談だった。
寝たままラジオを聴いている耕太郎の背筋をピンと伸ばすような話が続いていた。
「今度は福祉で賞を頂いたのではありません。中小企業の経営に対して賞を頂いたのです。これは本当に名誉なことだと思っております。」
「私は77歳になります。今から50数年前、いやでしかたがなかったが後を継ぐ人がいないということで家業を継いだんです。その頃、養護学校の先生から、何とか卒業したこどもを一人でもいいから働かせてもらえないか、と熱心に依頼を受けたのです。」
「あまり熱心にお願いに来るので、とうとう一人引き受けたんです。それが障がい者雇用の始まりでした」
「いま従業員の70%が重度の知的障がい者です。
健常者は20数名、重度の知的障がい者が50名以上社員ということになります。
福祉関係では何度も様々な賞を頂きましたが、中小企業の経営という意味で賞を頂くのは今回が初めてです。」
「人間は誰でも幸せになりたいと思っているのです。養護学校の先生から、“この子供たちはあなたに雇ってもらえなければどこへも行き場がないのです。親はこどもたちの自立を知らぬままこの世と別れなければならないのです。”そう言われて幸せを与えられる職場を作ろうと努力し続けてきました。
そして今後も努力し続けるでしょう。」

「私は、人間の幸せとは究極は4つから成ると思っています。
1つは愛されること。2つ目はほめられること。3つ目は理解されること。4つ目が人の役に立つこと。だと思っています。最初の愛されること、は別に仕事をすることに限定されるわけではありません。
しかし、褒められること、理解されること、人の役に立つこと、は、仕事を通じて完成できることで、そこに働きがいが生ずるのだと思っています。重度の知的障がい者であっても、人間として生まれてきたこの喜びを、共有し合うことはできるはずです。また望んでいるはずです。」
静かな、ゆっくりした声がもうじき明けるであろう夜の扉をゆっくりと、優しく押し広げているような気がした。

「重度の知的障害者でも、教えた一つのことを一所懸命にやります。たとえば箱詰めを頼めば昼休みのチャイムが鳴っても働きつづけます。ほめれば喜んで更に一所懸命に仕事をやってくれます。」
「字も読めません。そんな方に仕事ができるのかと、よく聞かれます。でも健常者の社員には、私は常に言い続けているのです。
“その人の能力がないのではない。能力を我々が引き出せないのだ。”と。
工場を見ていただければ気がつくことが多いでしょうが、あらゆる工夫をしています。計器の代わりに容器一杯での測定、など誰にでも理解できる工夫をしています。」

 耕太郎は頭が冴え冴えとしていた。強いものが勝ち、努力をしたものに栄冠が与えられるなんて、とんでもない誤解だったのだ。
【人間に勝ちも負けもない。】生きていること、何かに自分の全てを注ぎ込むこと、最後の最後まで新鮮な息をしていることが大切なのだ。

【深夜の幸せ配達便】の運転手さんともいえる放送局の皆さんは、そのことを教えてくれているように思った。

〈小さなことだ、あまりにも小さすぎる。〉自分のこせこせした毎日が浮かんできた。

【常識とは、その人が住む世界だけに通用する紙切れみたいなもの。あちらの世界、こちらの世界では違う紙切れが大切にされている。時間とともに色褪せるのに後生大事に人は抱えていたがるものさ。】
耕太郎のなかで一つの声がした。
もうじき夜が明ける。今日こそ本当に【心が眠らない男】でいようと思った。




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