現実は精巧にできた夢である

 

 朝から滅法暑い日である。エアコンを効かせても、部屋から一歩出ると熱風が身体中を襲う。ただでさえ食欲がないのにこう暑くては何も食べる気もしない。
とにかく水分補給だけはしなければ、と医者の顔を思い浮かべてパックのジュースを飲んだ。冷たいものが身体の中で、背筋をピンと伸ばすような爽快感を与えてくれた。
するとなんだか心が落ち着き、先日、「近くに来たので」、と言いながら見舞いに立ち寄ってくれた知人の話が思い出された。
ベッドにもどるとしきりに昔のことが鮮やかに浮かんでくる。

 少年の頃の近所のおじさん、おばさんや、お兄さん、お姉さんの顔が今でも歳をとらないで懐かしく浮かんでは消え、消えては再び現れ、声まで聞こえてくるみたいだった。
「人間なんてどうなるのか、心配したってどうなるものじゃないさ。歳をとれば、誰だって一つや二つどうにもならないことがおき、途方に暮れる時もある。その時がきたら、その時で考える以外にどうしようもないじゃないか。いまを気楽に考える、そうしようよ。」
財産家で、美人で理知的な嫁さんを持ち、二人の幸せな娘を持つ知人は明るくさわやかに振舞い、帰って行った。

 彼によると、東京に嫁いだ近所のお姉さんは今や70歳の中ごろになったはずだが、最近認知症となり、やっと捜して施設に入ったという。良家の子女であったが苦労を重ねた挙句待っていたのは、一人娘とまだ小さな孫娘に残した介護という大きな負担だけだった。
これも近所のおじさんのことだが、本人はもう亡くなったが息子はそろそろ定年の年になる。いまだに独身だがここしばらく、原因不明の病気で入院しているという。奥さんは“なぜ私だけがこんな目に・・・”となげいているという。

 ごく平凡な人生の裏に隠された、業(ごう)ともいえるような人間の有様が誰にも存在するという、しごく当たり前のことに改めて気付かされた。
そういえば知人もまた、恵まれない弟さんを抱えていた。事業に失敗し、二度目の妻にも去られ、癌を患い、兄を頼りに一人で生きているはずだ。偶然知人の工房を訪れた時、退院の挨拶に来ていた弟さんにお会いし、初めてその事実を聞かされた。もう5年も前のことになる。その後の消息を自分からは決して口にしない。そうだ、知人のお兄さんもまた、最近病で倒れ、病床にあると言っていた。

 「どうしようもなくなった時に、その時になったら考えればいい。いまの時を気楽に考えよう」、あの言葉は、知人が自分自身に語った言葉のような気がした。
知人はどう見ても不平不満など起きないような恵まれた生活に見えるが、他人には言えないような苦悩を内部に隠しているかもしれない。「人間なんてわからないものさ、見かけ上は幸せいっぱいでも、本当のところは誰にもわからない。早く死のうと、長く生きようと、幸せか不幸か誰にも分からないじゃないか」、そんなこともいっていた。

 どちらが言い出したのかはっきりしないが、その時に、つかこうへいさんの話題になった。
1968年生れであるから、われわれとほぼ同年代である。つい最近亡くなられたがお互いにラジオでその遺言を聞いていた。
アナウンサーが訃報と共に語ったその言葉が二人とも妙に心に重くひびいていたし、なぜか胸を打っていた。
遺言は次のようなものだった。

 

 
友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
思えば恥の多い人生でございました。
先に逝くものは、後に残る人を煩(わずら)わせてはならないと思っています。
私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させていただきます。
しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
今までの過分なご厚意、本当にありがとうございます。

           2010年 11日 つかこうへい

 

 劇作家、演出家として大学生時代から脚光を浴び、つかこうへいブームを巻き起こし、厳しい指導でも知られていた。
その作品に触れたり、味わったりすることは一切なかったが、その有名な名前だけは以前から知っていた。
ラッキーな知識人、そんなイメージを漠然と抱いていた。
しかし、つかさんの遺言は自分でかってに作り上げた有名人のイメージとは大きく異なっていた。
正月に準備していたその遺言には孤高の厳しさがあった。
いい知れぬ謙虚さに溢れていた。
同時に、ほんの短い文章の間に、この世とは? 人間とは? 人生とは? という奥深い問いかけが記されているような強い衝撃を受けた。

 名前の由来も初めて知った。
ラッキーな人生でも、成功者としての富や栄誉でもない、苦悩と戦い続けた孤独な男の横顔がそこには隠れていた。
在日韓国人二世として願い求めたものは、差別がない平等な社会であった。
つかさんも激しい差別に苦しんでいたのだ。
ペンネームはこれらの悲しさが消え去る日がいつか来るようにとのひそかな願いがこめられていた。
〈いつか公平〉・・な社会に、その願いがペンネームの〈つかこうへい〉になったという。漢字が一つもなく、すべて平仮名にしたのは、在日一世の母親にペンネームが読めるようにしたためだという。
散骨してほしいという願いからは、この世とは何なのかという、問いかけが聞えてくる。

 日本のゴッホともいわれる無名に近いまま亡くなった画家のことが頭をよぎった。
ゴッホは生涯2000点近い絵を描いたが生前売れたのはたった1枚だった。
日本のゴッホたる、長谷川http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0530/images/1px.gifりん(さんずいに燐のつくり)二郎(りんじろう)さんもまた同様、無名のまま  1988年、世を去った。
彼は謎めいた言葉を残している。

「現実は精巧にできた夢である」という言葉である。

知人の話が思い出される。つかこうへいさんの人生の問いかけが聞える。

〈この世の出来事にどっぷりつかり生きたとて、それがなんていうことがあろう。つかの間の夢ではないか。
現実なんてありはしないのさ。この世の出来事は仮の姿なのだ。
いかにも現実があるように出来ているだけさ。人生が長かろうと、短かろうと、永遠から比べたらほんの一瞬の出来事なのさ。
つかの間の仮の世の旅人、それが生きとし、生けるものの本当の姿なのさ。〉そんなふうに聞える。

 他人をそしり、自分だけは偉いもののように振舞い、正義を主張し、自分は安全な地帯に身をひそめようと必死になって自己弁護を繰り返す人間という生き物。差別の中で、苦しみもだえる生き物。生老病死という苦を抱えた生き物。

精巧にできた夢の中で、夢とは知らず、うごめくのが人間という生き物の仮の姿かもしれないと、頬笑みを絶やさなかった知人の顔を思い浮かべ、暫くの間思考の遊びに夢中になった。

 
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