まどろみの中で

 

 辞世の句はなぜか人の心を打つものが多い。最後の最後に僅か31文字で人の世での自らを総括するという厳粛さがあるからだろうか、誰もが深い想いに惹きつけられる。

“つゆとさきつゆときえにしわがみかな 
            なにわのこともゆめのまたゆめ”

天下人となった太閤秀吉の残したあまりにも有名な辞世の句である。
百姓の子として生まれ、誰ならぶ者もない関白太政大臣にまで上り詰め、栄華を手に入れた秀吉。軽妙洒脱で機知に富んでいたと伝えられるその性格は、深く人の世を見とおしていたからこその想いからだったろうか。
波乱に満ちた、他に比べるものもない輝かしい61年の人生。
あらゆる人々を羨ましがらずに置かないその栄光に包まれた生涯を、〈朝に結び、日が昇ればたちまちに消えてしまう露のように儚いものであった〉と詠い、天下人を浪速という言葉で言い表し〈人生は夢のようにおぼろげで、瞬時に消え去ってゆくものであった〉とまでに、透徹して詠んだのである。

 【人生は夢のように儚いものである】、という考え方は多くの人によって語られ伝えられてきた。特に【栄耀栄華はむなしく、それを求めることは夢の中にある実体のないまどろみの人生を求めると同じである】、と私たちは教えられてきた。だからこそ、逆説的ではあるが、人生の勝利者である太閤秀吉の残した辞世の句は、多くの日本人の心から離れないのかもしれない。
まだ、青二才で嘴が黄色かったころ中国故事に惹かれ、読みかじっていたころであった。
「一炊の夢」と言う話に出会った。そして、その話だけはこの年になってもなぜかおぼろげに残り記憶から消え去ることはない。

 『唐の時代のことである。
呂翁という道士がいた。呂翁が旅の宿で休んでいると、廬生と言うみすぼらしい身なりの若者がやってきた。若者は自らの貧しさをなげいた。中国では道士とも呼ばれる仙人が、不思議な術を使う話が数多い。
“呂翁が廬生の話を聞いている時、傍らでは粟粥を煮ていた。”
不平不満を話しているうち、廬生は眠くなり呂翁から枕を借りると寝てしまった。枕は陶器でできており両端に穴が開いていた。不思議なことが起こった。寝ているうちにその穴がどんどん大きくなったのである。そこで、廬生が穴に入ると立派な家があった。廬生はその家で学び、超難関の官吏の登用試験に合格し、名家の娘を妻とし、天子に重用され高い位につく。だがトントン拍子の出世を宰相に嫉まれ、二度までも左遷の憂き目にあう。その都度、呼び戻される幸運に恵まれ、ついには宰相の地位に就き、善政を長い間行った。ついには位人臣を極め得意の絶頂期を迎える。しかし、その時今度は、無実の罪を着せられ、謀反人とされて、殺されようとする。
その時に、廬生は妻子にこう嘆息する。

「私の昔の家には、僅かばかりだが良い畑があった。百姓をしてさえおれば、飢えと寒さからは逃れたのだ。何を好んで禄を追い求めるようなことを必死になってしてしまったのか。その結果がこのざまだ。貧しかったころが思い出される。今になってはどうにもならない。」

 一緒に捕えられた者は皆殺されたが、廬生だけは命を助けられ、流刑となった。
数年して天子はそれが冤罪であったことを知り、廬生を呼び戻し高い地位につけ、子どもたちを高官とし、深い恩寵を与えた。廬生の一族は栄華を極めた。
廬生は死ぬまで辞職を許されないほどに重用された。

 欠伸をして眼を覚ますと、廬生は元の旅の宿に寝ていた。
そばに呂翁道士が坐っている。
廬生が眠る前に宿の主人が煮ていた粟粥はまだ出来上がっていない。
何もかも眠る前と同じだった。すべては元のままである。

“栄耀栄華も、粟粥が煮あがるまでに満たない、ほんの短い時間の夢である。”

廬生は呂翁に言った。
「ああ、夢だったのか」
呂翁がわらって応えた。
「人生とは、そんなものさ。」
廬生はしばらく考えて、呂翁にこう言った。

「栄誉も、富も、死生も、人の世の全てを経験することができました。これは道士が、私の欲望をふさいでくださったものと思います。よく判りました。ありがとうございました」
呂翁にねんごろにお礼を言うと廬生は帰って行った』

 「一炊の夢」は辞書を引けば、「この世の栄華の儚いことのたとえ」とあり栄耀を極めた一生を過ごしても、それは粥が一煮立ちする時間にすぎない儚いものであるという。
私たち人間の一生とは常に【まどろんでいる状態】にあり、夢のそのまた夢の中で、真性の自分と向き合うことのないままに終わってしまうものであるかもしれない。
まどろみの中にあるとは、おぼろげな、はっきりとしないままにある仮の姿をさしているかもしれない。
では、【目覚めた人】とは、どんな状態にある人をさすのであろうか。秀吉は栄耀栄華を極めたがそれもまた儚いことだと悟ったうえで、自ら目覚めることを知ったのだろうか。廬生のその後の人生のことは何も語られてはいない。
【夢から覚めること、そのことだけを教えてあげるから、あとは自ら悟りなさい】と言う東洋の奥ふかい思想なのか。
廬生は真実の人間をみつめ、真理をさとり真の人間として生きることができたのだろうか。
その、あとの物語を唐の賢人には書けたのであろうか。
考えただけで胸の高鳴りを覚える。
しかし、浅学非才の身では到底真実に近づけないことを承知している。だがなんとかして、呂翁が夢の続きで語りたかった真実に触れてみたいと思った。

 ところで最近、禅の本に触れることが多いが仏教書物は難しい言い回しや、難解な字句が目立ち、判らないことだらけである。だから平易な表現だけの、上から舐めるようにしての勝手な解釈になり、著者の考えから離れることが多いと思っている。したがって自己流の禅の思想になる。
曹洞宗も臨済宗もごちゃ混ぜである。そんな読み方であるが興味深い一つの考え方と出会った。

 突き詰めて言えば、“私はこういう人間なのだ”という凝り固まった仮の姿から真の人間、“自分に目覚めること”が仏教の本質である、という思想である。
【目覚めた人】とは、仏をいうのである。
そして人間は皆この【目覚めた人】としての性質を持ち合わせていると説いている。「衆生本来仏なり」と言う言葉で仏典にあるそうである。であるから、禅の修行により【目覚めた人】に近づくこと、すなわち仮の姿に右往左往している自分から抜け出して、本当の自分に出会えると言う。凝り固まった自分について、水で表せばどんなふうに言えるであろうか。

【水はどんな形か】と、問われたら何と答えるであろうか。
〈形はない、融通無碍である〉としてしか答えられないかもしれない。水は方円の器に従うと言われ、丸いコップの中では丸くなり、四角い器の中では四角となる。どんな形の中でも、複雑に姿を変えられる。さらに、容れ物から解き放たれれば形を作らずに自由に流れてゆく。
それだけではない。水と言う液体の形さえ変えて、個体の氷になることもある。時には水蒸気と言う気体になりその姿さえ眼からは見えなくなってしまう。
その時々の状況に応じて、意図せず身を任せて自由に変化して行くのが水である。

 人間も状況に応じた様々な生き方の中に置かれる。
男であったり、女に生れたりする。学生となり、サラリーマンとなったり、商人となったり、主婦となったり、政治家になったり、指導者になれば、従うものとなったりする。
しかし、人間はその置かれた環境の中で〈より自分の満足の大きくあることを求めて、もっと、もっとと言う心に捉われてしまう。〉
【もの足りよう】とするおもいに凝り固まってしまうのが凡夫だと言う。

【目覚めた人】はこれらから解き放たれ、融通無碍な心に到達し、なんのとらわれもなく自由に生きるのだと言う。
水に形がないように、本来自由に形にとらわれず融通無碍に人も生きるものであるという。
弱い人間は、これを悟ってもすぐに忘れ、悟ったという考えに凝り固まった状態に置かれてしまうのだともいう。
禅僧が常に坐禅し、清貧に生き、人間とは何か、を捜し、求めることだけを自分に課した厳しい修行の中に身を置いていることがおぼろげながら通じてくる気がした。

 栄華の頂点に立った豊臣秀吉にも満足の実感はなく、【もの足りよう】の煩悩が渦巻いていたのかもしれない。
栄耀栄華も「一炊の夢」である、と知った廬生と同じように、庶民のわれわれに向かって、現代の呂翁は現れるのであろうか。
それとも、“中国民話のことも、命をつないでいる現代世界のことも、何もかも、夢のまた夢”と悟って破顔一笑し、眼を閉ずるべきなのか。まどろみの中から抜け出せない凡夫のたわごとが、かすかに聞えてくる。




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