背中合わせの長寿国

 

 またまた平均寿命は伸び、女性は86歳で世界一、男性は79歳で世界第5位になったという。これで、4年連続で伸び続けており、今後ともまだまだ伸びるという。
日本は世界に冠たる長寿国になった。
寿命が伸びているのは日本だけでなく、韓国も中国も長寿国に突入したという。
  一体何歳まで人は生きるのか。
よくいう平均寿命は前述のとおりであるが、平均寿命とは何か、から考えてみよう。
人が生れ、そして死ぬまでに平均すると何歳まで生きるかを、統計的に処理したものが平均寿命である。
平均であるから、チョットしたからくりめいた数字でもある。
例えば早死にする人が多いと長生きする人がいても平均寿命は短くなる。
昔は戦争で若い命を数多く失った。したがって平均寿命は短く見えることになる。だが、生き残った人々は平均寿命以上に長生き出来る計算になる。
 だから、ある程度まで生きてきたとすれば、こんな見方ができる。「年金の歳になった。これから後、何年年金で、楽しい人生がおくれるだろう。
男性の平均寿命が79歳だから65歳を引くと残り14年か、チョット残り少ないな・・・・」と。
でもご安心を。もっともっと残りの人生は長いのである。
平均余命という考え方があり、残りの人生は平均寿命で考えるのではなく、平均余命で考えた方が実態に近く、平均寿命で計算したよりも、もっと長いのである。
平均余命とは、ある年齢の人々が、その後何年生きられるかという期待値をさすものである。
例えば男性65歳なら現時点で平均余命19年くらいあることになる。女性はもっと長いので、86歳―65歳=21歳でなく、24年くらいあることになっている。
簡単にいえば65歳まで生きたら残りの期間(平均余命)を計算すると、平均して男性84歳、女性89歳くらいまで生きられますよ、ということになる。
少し面倒な計算だが、長生きすれば、するだけ平均余命は延びることになるのである。90歳まで長生きすると平均余命は男性4歳、女性6歳となりそれぞれ男性94歳、女性96歳が平均して生きることになる。

 すごいものである。喜ばしいことだ。
世界一の長寿国になったのである。
では、日本という国はなぜこんなに長寿の国になったのか、そして長生きは本当に幸せと考えてよいだろうか。
 ある医師の長寿に関するコメントが印象的であった。
「日本人の三大死因は1位、癌、2位、心臓病、3位、脳卒中の順である。
近代医学はこれらの病気の治療に対しても長足の進歩を遂げ、死亡率がグーンと低くなった。したがって医学の進歩が確実に長生きにつながっている。
長寿は本来喜ばしいことである。
しかし、肉体的な長生きに対し、インフラ整備が追いついていかないことも事実である。これからは、この整備が問われることになるであろう」と、いうのだ。
表現はオブラートにくるんだ言いかたであるが、長生きに対する、問題点をズバリ言い得た医師ならではの発言であった。

 ちょうど同じころ日本の国家予算が盛んにニュースで論じられていた。今後、ますます老齢化が進む日本の社会福祉費はますます増え続ける。
年金、介護保険、健康保険など毎年13000億円ずつ増え続ける。国家予算の10年分の赤字国債を抱えている現在、5%も消費税を上げても、社会福祉費の増額をやっと何年かぶんカバーするしか増えないという。赤字国債を減らすどころか、明日の財政の健全化解決方法が見つからないまま、ずるずると高齢化社会に突入しているのである。
それまでは、福祉充実を掲げ、〈高福祉、高負担〉と言葉で叫んできた政府もここにきて増税と絡め〈中福祉、中負担〉と言わざるを得なくなってきた。
財政面一つとっても、世界一高齢化の社会を支え切れなくなってきているのである。

 この高齢化のさらなる進展に対し、コメントした医師は財政とは別の面から問題点を指摘したと捉えられる。
「医療技術の進歩=寿命の延長=世界一の高齢化社会の実現=長生きは喜び(肉体的)=老人の生きがいの充実(精神的)」という図式にはなっていないのではないか、というのである。
 ある話が思い出された。
老人ホームや、特別養護老人ホームなどに対する人手不足を少しでも解消しようとフィリピンなどから介護士の資格取得をも目指し、高学歴の若者が日本にやってくる話である。
日本の若者には人気のない、低賃金、重労働の職場へあえて飛び込んできてくれるのだ。彼らの話によると、彼らの国には老人福祉施設などはないそうである。
平均寿命は短く、また長生きしても家庭で一緒に暮らし、大家族で過ごし、生涯を終え、施設に暮らすことはないという。
慣れない国で、老人相手に懸命に尽くす彼らに、しだいに日本の老人たちも心を開いてゆくという。

 老人ばかりが増え、家庭で面倒は見切れない社会構造を生み出し、時代的には老人施設は人手不足の日本。
彼らが見たものは、医療技術の進歩で肉体的寿命は延びたが心(精神的長寿)がついてゆかない、すなわち生きがいが見いだせない老人が増えているという日本の社会であろうか。
肉体的には長寿社会は実現がしたがさらに進むという。しかし長寿は精神的には生きがいの喜びが見いだせないのである。
 老人の自殺が増えている。後期高齢者医療制度は老人医療費を少しでも抑えようとする財政面からの必要性が生んだ制度である。
ある期間が過ぎたら、法律上退院を余儀なくされる。
病気になっても施設に行き場所もなく、自宅に帰れば老々介護が待っている。
 いまでは認々介護という言葉さえも生み出した。
認知症同士の夫婦が、または子どもが認知症になり、認知症の親を自宅で見ざるを得ない時代となったのである。介護疲れによる家庭崩壊もまた問題となっている。

 社会的負担が増え、かつ、環境は確実に悲観的方向に流れているのである。
長寿のコメントをした医師は、自分たちの医療技術だけでは長寿の喜びを手放しで喜べないと言いたかったのである。

 深沢七郎の小説、「楢山節考」のように、自分の親は1日でも長生きしてほしいと願うのが人情であろう。それが人間として当然である。しかし、自分のこととなると考え込んでしまうのもまた事実であろう。
人為的に何が何でも命だけは救う、という医療の考え方に反論の余地はない。
親や、他人の命はどうしても救ってほしいと思う。それが正義であり、それ以外の考えは悪である。

 だが、自分のことは、自分で結論を出したい気持ちがある。肉体的長寿は精神的長寿とならないことがあるからである。長寿が幸せの増大とはならない場合もあるのではないか。それは、自分で結論を出すべき問題であるのではないかと思うのである。

 平均寿命が伸びることの喜び、そしてその陰に隠れ、表だって、けして声高に叫ばれることのない、負の面の数々の問題。まさに禍福は糾える縄のごとし社会に突入しているのである。

 中国では一人っ子政策が採用され30年たった。
それでも人口は増加の一途をたどっているが、老人社会にも問題点がおき始めているという。大家族主義が崩壊し、老人世帯が増え、一日公園で過ごす独居老人も数多くなったという。
やがて、日本と同じように老人問題が深刻になるであろう。

 若者たちが生き生きと過ごせる社会の実現こそ活力ある社会である。われわれは、若者に頼るのではなく、自立を目指さねばならないように思う。自立した、老人社会のためにわれわれとして、何をすべきなのであろうか。明るい未来は老人にかかっているようだが、為すすべもなく手をこまねいているようにみえる。
われわれ一人一人の自立こそ、若者に明るい未来を届けられる方法なのだが。世界中どこも経験したことがない、新しい社会が待っているのだから。

 

 

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