テネシーのおばはんや

 

 関東に育った人はどうも関西弁が苦手なことが多いように感ずるが、どうだろうか。

“もうかりまっか”とか“ぼちぼちでんな”とか、ごくありきたりの挨拶も突然口にされると、何となく背中がむずがゆくなる。
京都弁の優雅さとはまた異なる関西弁は、庶民の垣根を取り払った親愛の情に溢れているがゆえに、かえって個人主義的なやや冷たい標準語とは一線を画するのかもしれない。
標準語に慣れ親しんだ私たちには、どうも正式な講演会や、重要な会議では違和感がある言葉であるように感じてしまう。

 私のサラリーマン時代、重要な全国会議で各地から大勢の社員が集まったおり、やんわりと、関西弁での議論の応酬をなるべくしないように、と注意した主催者側の上司がいたが、彼は生粋の江戸っ子であった。
“なにゆうてるねん”、“あほとちゃうか”、“そんなんでけしめへん”等と大声で、しかも平気で言う猛者がいたからであった。
しかし、もしかしたら標準語こそ正しい日本語である、そんな物差しが関東人には身についていたのかも知れなかった。

 この関西弁にまつわるこんなことが最近あった。
ほのぼのと、心が温まる出来事であった。

 いつものように、眠りにつけず、何となくテレビをつけた。
この頃人気の出てきたジャズーシンガーの綾戸智恵さんが出演していた。
ごてごての関西弁である。正確には関西弁でどう発言したのか覚えていないが母親が、旅に出発する娘である綾戸智恵さんに、“食べるものが無くなったら、犬小屋を見つけなさい。ドックフードがあるだろうからそれでも食べたら、飢え死にしないだろうと言った”というようなことを話していた。
途中からの視聴なので、なんのことかさっぱりわからなかったが、屈託のない笑顔で語る関西弁はいつものようにチャンネルを切り替えさせるほどの抵抗を与えなかった。

 暫く番組を眺めていた。そして、ジャズなぞさっぱりわからないが、聞いていて、その圧倒的な歌唱力と、独特のリズム、日本人離れした曲の展開、即興でのピアノと歌に驚いた。
ライブの中継だからであろうか、英語で歌う間に、関西弁が入り、お客と同化し、ピアノが語るのである。
ど素人の私みたいなものにも、「綾戸さんは、ただものではない」と思わせる。
若い女性も、おじさんも、おばさんも、颯爽とした若い男の人もいる。
沢山のトークと歌が聴衆を魅了していた。
 テネシーワルツを歌った。ああ、これが本場のジャズというものかと思った。
会場の人が涙を流している。
魂(SOUL)の歌だ。
黒人霊歌の原点もこのような魂の歌かもしれないと思った。

 テネシーワルツは昔から知っている曲である。
あれは江利チエミさんの十八番だった。
あれが正当のテネシーワルツだと思っていた。
しかし、綾戸さんのテネシーワルツはこれとは大きく異なっていた。ピアノも澄んだ音色で、自由に会場を駆け巡っていた。
心を揺さぶった。
活気ある、力強い時間がたちまち過ぎていった。

 綾戸さんの生い立ちや、音楽への情熱や、生き方にも触れていた。
最初の「ドックフード」の話も、ようやくなんとなく理解できた。
高校を卒業すると、綾戸さんは単身アメリカに渡った。
ジャズで身を立てるためである。
その時に綾戸さんの母親が、“人間、どんなことをしてでも生きて行ける”、と教えた言葉が「ドックフード」の話だったのだ。

 腰が低い人である。関西弁独特のイントネーションで“ありがとう”を盛んに口にする。
「自分の歌を聞いてくれてありがとう」、
「一緒に歌ってくれてありがとう」、

「番組に出演し、自分のためにお話をありがとう」、
「元気をもらってありがとう」、
その都度、軽妙なトークと共に“ありがとう”である。
しかし、ものすごくパワフルである。明るく前向きな人柄である。

 1957年生れであるからもう50代の半ばになる。
トークの端々ににじみ出てくるのは、まっすぐに、一所懸命に生きる力強さである。声が出なくなり、歌が唄えなくなった時に悲観的にならず、“次は何をしようか”・・と考える前向きさ。

狭くなった音域をカバーするためにピアノの演奏でその音域をカバーする独特の手法を考え出し、ごく自然な歌いかたをあみだし、今でもその手法を用いている。
レッスン用のピアノを自宅に置かないという。
理由を尋ねられるとこう答えた。
「この両手は、家事をし、病にある母親の介護をし、子どもを躾、ありとあらゆる仕事をする手。家ではこの仕事をすることで、手が生きる。そして、だからこそ生きた手だからこそ会場で、生きた音、をつぐむことが出来る。ライブが主体の自分の音楽はだから即興でも会場で初めて生きるのだ。」と。

 生易しい道を歩んだ人ではない。楽よりもむしろ苦の方が多い人生を歩んでいるように見える。
単身渡米、ロスアンゼルスのライブハウス、プロテスタント教会などで、ゴスペルを歌ったり、ピアノの演奏をしていた。
やがて、アフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャンと結婚。一児をもうけるが夫のDV(家庭内暴力)で離婚。乳がんにも罹り手術をする。
34歳の時に母子で帰国。神戸市を中心にライブ活動を始める。
1998年、41歳にして初めて音楽家としてメジャーデビューと同じ形で認められる。CDを大手の音楽出版社から発売をすると同じように認められたのだ。
2003年には紅白歌合戦に出場する。
その後、母親が脳疾患で倒れると介護のためになんと、演奏活動を中止。
 しかし、母親の介護疲れで死を考える程に苦しみ、ふたたび音楽活動に自分を見出す。
今、忙しい時間の合間に、施設訪問などの社会奉仕にも熱心に取り組むという。
最近は、音楽だけでなく、女優、コメンテーター等その強烈な個性で芸域を広げている。

 街で子どもにあったときに“この人しってるわ〜。テネシーのおばはんや〜”と言ってもらうことが楽しみだという。
平たんでないデコボコ道を、勇敢に歩む人。
いつも笑顔を忘れないで、自分にも他人にも一所懸命なクリスチャン。
ごてごての関西弁、強烈な個性の裏側に垣間見える誠実な人柄。
魅力的な人である。

 江利チエミさんが歌った日本語の歌詞を思い出した。
『去りにし夢、あのテネシー・ワルツ なつかし愛の歌 面影しのんで今宵も歌う、うるわしテネシー・ワルツ』
勿論、綾戸さんも歌うのは英語である。英語の意味はさっぱりと判らないが原文は失恋の歌だという。私は英語ができないので、せめて日本語で今宵口ずさんで見ようと思う。日本語に意訳されたあの素敵な歌を。
そうだ、テレビを観ている間中、綾戸さんはずっと、ごてごての関西弁を話していたのだった。だが、まったく気にならなかった。
普段着のようにあけすけの人間性が、窮屈な言葉への変なこだわりを遥かに超えていたのだ。
四角四面な自分が、恥ずかしくなった。関西弁も素敵じゃないか、そう思った。
〈テネシーのおばはん〉に少しでも近づいてみようか。そう思って、関西弁ならぬ、英語でテネシーワルツを、わけもわからないまま歌いだした。
まるででたらめな発音で、しかもチンプンカンプンのままに。

 

Tennessee waltz

 

I was dancin' with my darlin'
To the Tennessee waltz,
When an old friend I happened to see.
Introduced her to my loved one,
And while they were dancin',
My friend stole my sweetheart from me.

 

I remember the night,
And the Tennessee waltz,
Now I know just how much I've lost,
Yes I lost my little darlin',
The night they were playin',
To the beautiful Tennessee waltz
 

 

 

・・・・・闇の中に、ポッと、灯りがついたように感じた。


 
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