競わない豊かさ

 

 深夜放送がたえず囁きかけてくる。いつものように真っ暗な中で、ぼんやりと眠れぬ時をすごしていた。対談が静かにすすんでいる。聞き覚えのある男性歌手が落ち着いた、優しげな声で、幾分低めの調子の受け答えをしていた。

 「僕はね。ある時思ったんですよね。たしか、小学校の5年生か、6年生の頃ですね。競争をして、それが何になるのだろう、ってね。順番がつく、それだけのことじゃないかってね。・・・」

「それから、競争するのは止めようと思ったんです。努力はする。だけど勝ったり負けたりの競争は意味がないと思ってきたんです。・・今でもそうです。
・・だから、ただ順番を上げようとして勉強したり、何かするということがないんです。・・・」こんな意味のことをゆっくりと話していた。

 暫くしてアナウンサーとのやり取りの後、音楽に変った。
競争がない男の社会なんて本当に成り立つんだろうか?
たしかに彼の歌には優しさがある。勝利をたたえたり、逆に敗者の悲しさも見られない。人生の喜びだけが、歌われている気もする。
しかし、彼には一流歌手として得意そうに振舞う姿も見え隠れするようにも思える。だが、よく考えるとあの傲慢に見える姿勢も、もしかしたら人と争わず素直に自分を表現しているものが、ストレートに出ているだけかもしれないとも思えてくる。
もう還暦に近い年のはずだ。
芸能界という激しい競争社会の中に身を置き、競争しないで本当に生き残ってきたのだろうか?
本当に競争をしないで生きてきたとしたら、どんなに人間としての心の豊かに祝福されて暮らしてこれたか、想像するだけで平安に包まれてくる。
素晴らしい生き方があることを、私が知らないだけだったのかも知れない。

 小さなころから世の中は比較の世界だった。あの子と比べてこの子の方が素直だけれど、駆けっこは遅い。誰誰のほうが美人だけれど、お家が貧しい。この子は算数が得意だけど、音楽はあの子のほうが得意。今度の通信簿は上がった、下がった、そんな比較をされ皆、大きくなっていった。
行きつくところが、〈良い学校に入り、良い会社に入り、良い生活をすること、・・その為には勉強を人より頑張ること、受験戦争で少しでも良い成績をとり、そして勝つこと〉、が人生の目標のように言われ始めた。
多くの子どもが塾通いを始めた。そこには、〈学ぶこと、その為の努力〉よりも、〈成績を上げること、その為には、詰め込んで押し込んで覚えること〉が目的となった。
ほんの小さな頃から、自然に競争の社会に身を置き、競争に明け暮れる生活が当たり前だと思い始めたのだ。

 社会に出てからも当然のように競争に明け暮れた。
高度成長の時代、日本は他国に負けない〈もっと強く、もっと大きく、もっと多く〉の競争だった。国内では、競争相手の他社に、そして社内ではよその部署に、同じ部署では同僚と先を争っていた。何処にいても朝から晩まで、競争という物差しがおかれていた。
 低成長の時代に入り世の中が忙しくなり、富という判断基準が強まると、今度は〈生き残り〉という美名のもとに勝ち組、負け組という区分分けが始まった。
だれも、かれも、勝ち組になりたい一心で競争に明け暮れた。
国と国がぶっつかり合った。国際競争は当然個人の競争にまで行き着く。
格差社会に取り残されないためにも、時には正義の戦い、という仮面をかぶって闘争するのが男だと思われていた。
 しかし、結果的にそれが幸せへの道だったのだろうか。
個人の、人間としての平安を満たしてくれたのだろうか。
そんな反省や、感傷に浸れないほどに世界規模で、秒単位で激しい競争の渦に巻き込まれてゆく。

 いつのころからだったろうか、「生存競争」という言葉を体中に植え付けられ、それが生物の自然の姿なのだと覚えこんだのは。
小さなものは大きいものに飲み込まれ、大きいものはもっと大きなものに飲みこまれる。大きなものも仲間同士食い合い、他の生物をも食い、または餌食となる。
平和に見える海の魚も、空の鳥も、草原の草食動物も、皆冷徹な弱肉強食の世界の中に生きている。人間とて例外ではない。かってはマンモスと戦い、部族と戦い、飢えと戦い、長い歴史を経て、生き残ったものが今の繁栄を享受しているにすぎない。

 その原点は、たったこの今、という時点でも変わりはしないのだ。
生きてゆくこと、それは戦いなのだ。生存競争という法則の中で残れるかどうかというだけのことなのだと。
 この考えは真理のように思えた。いや、真理だと信じてきたのだ。そして、現代社会では、生存競争に負ければ命まではとられないにしても、繁栄という大きな枠から弾き飛ばされてゆく。
競争が社会の進歩を促し、発展の原動力になっている。
男はいやでも、どうあがいてもこの事実からは逃げられないのだ。
 競争のない男の社会、そんなものが本当に存在するのだろうか?
暗闇の中で、じっと眼を凝らしても答えは見つからなかった。

 次の日、遅い夕食をとり終えて、家内に昨夜の歌手のことを持ちだしてみた。
素早い反応が帰ってきた。同年代だからであろう、彼の優しさについてもよく知っていた。
「あの人、たしか40歳を過ぎてから結婚したはずよ。優しい人だけどそれが結婚して愛娘ができて、もっと優しくなったって言ってたわ。でも、競争しないって考えたのが小学校の5年か6年なんてすごいわね。競争しない人って割といるものよ。お父さんには、判らないかもしれないわね。サラリーマンの激しい競争の中に身を置いてきた人だから。自分は自分、って考えて努力はするけど、人と競争はしない。強い人なのかもしれないわね。」

 話をしながらも、家内はマッサージの手を休めなかった。
しびれ、痛む私の身体を毎日、1時間でも2時間でもマッサージをしてくれる。
突然の病気はそれまでの人生を一変させた。自己中心的な身勝手さは、幾分影をひそめた。そして、自分で動けることの少なくなった分、人の話をよく聞くようになった気もする。素直に物事を考えるようになってきたようにも思える。
その日の会話もそうだった。身体のしびれや、痛みが和らぐように、言葉が優しく体にしみ込んできた。

 競争しない人がいる。そうか、そんな素敵な人生を歩んでいる人もいるのだ。
〈一番身近にいる人がそうではないか〉、と今初めて気がついたように反省をし、過ぎた日々を振り返ってみた。
自分中心の私とは正反対のところがあった。
よく考えてみると、競争して何かするということがなかった。物を人より多く持つということも、よりきれいに自分を飾り立てることも、人前に出てリードすることもなかった。
子どもたちの教育についてもそうだった。
「勉強をしなさい」、「頑張りなさいね、負けちゃだめ勝たなきゃだめよ」、などということを言ったためしがなかった。
だが、子どもが自分で言い出したことを実現するために努力は惜しまなかった。
出来る限りのことをした。何もかも投げ出すようにして、陰で応援をしていた。

 なぜか突然、織田有楽斎(うらくさい)のことをふいと想い出した。男で競争をしないと言えば、有楽斎が歴史上では一番ぴったりするかもしれないと、ふとそんな気がしたのである。
誰の小説で読んだのかはっきりしないし、人物像も明確なわけでもない。頭のどこかに、粋人として生きた人物として記憶があるだけである。

 たしか、織田有楽斎は当初織田長益(ながます)と名乗っていたはずである。織田信長とはかなり歳が離れてはいたが、信長の実弟であり本能寺の変の時は、信長の長男、信忠の旗下にあった。信長討たれる、の報に接すると信忠に自害を進言し、切腹させ自分は逃げてしまった武将である。当然、世間からはもの笑いの種とされた。だが信長の実弟として天下を取ろう等と、奮起する気配は一向に見えなかった。その後、いくつかの戦いを経験するが生き伸び、信長の後継者となることを捨て、僅か3000石の大名となり、政治向きから遠ざかり織田有楽斎と名乗り、野心を捨てた茶人として豊臣、徳川に仕え、75歳の天寿を全うした人である。

 昔小説で読んだ頃は私も若かったし、本もそんな書き方であったろうが、潔い生き方だとは考えなかった。花は桜木 人は武士、と言われるように、潔(いさぎよ)い生き方こそ、男に求められるものだと思っていた。
それが、なぜか今日は有楽斎がごく自然な生き方をした自由人に思えてきた。

 秀吉や家康と競争し、天下人となることもできた人である。
だが、そんな生き方は有楽斎の望むものではなかった。
「信長は信長、有楽斎は有楽斎の生き方があってもよいはずだ。
天下が豊臣に移り、また徳川に移ろうとも自分は自分でよいではないか。世間が何を言おうと、それがなんだと言うのか。言いたいやつにはいわせておけばよい。自分の思うように生きるだけさ。」
そんな声に素直に耳を傾けられる自分を感じた。

 やっぱり、昨夜の歌手は競争をしない人なんだ、と思った。

身近にもそんな生き方をしている人がもっと沢山いるかもしれない。
競わない優しさ、強さ、心の豊かさこそ本当に人間が求めるべきものなのかもしれない。とにかく、他人と比較をしないことだ。
そうすれば優劣をつけようとの足掻きから解放される。
目指すべきは競わない心の豊かさだとしみじみ思った。

 
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