〈大人の童話:絵のない絵本〉

        流れ星と、木彫りの男

 

真っ暗な、狭い檻の中で、長い尻尾の動物が金網を伝わり、木に飛び移り、フクロウ達を追いかけています。

バタバタと、騒々しい羽音や、フクロウの鳴き声が暫く聞えていましたが、「バサッ」っと、何かが落ちる音がして、あたりは元のような、静けさに包まれました。

時折、“カリカリ”と、かじる音や、“ぴちゃぴちゃ”と物を食べる音がしていましたがやがて、長い尻尾の動物が走り去ると、シーンと、元の静けさに戻りました。地面には、一羽のフクロウの仲間が、血を流し、羽をあちこちにバラバラに舞い落とし、横に倒れたまま、ピクリとも動かぬままでおりました。

 

震えながら、逃げまどい、一部始終を見ていた若いフクロウは、近くの木に停まり、初めて目にした光景を、ただ、じっと考えておりました。

 

若いフクロウの一段上の枝に、「物知り博士」と仲間から呼ばれる年老いたフクロウがおりましたが、若いフクロウに教え、諭すように語りはじめました・

 

「よく見ておおき。あれが私達を襲う敵にやられた姿なんじゃよ。

いつも安全な動物園の中にいるから、お前はびっくりしたかもしれないな。

でも、大自然の中では、ごく普通の出来事なのさ。少しでも油断したり、のんびりしたり、ちょっとでも怪我でもして、逃げることが下手になったりしたら、たちまち食べられてしまうのさ。

さっき逃げて行った敵は、「テン」という動物じゃが、敵は他にもたくさんいる。時には夕暮れに、空から襲われる時もある。それは、恐ろしい鷹、なんかに狙われたら、もう最後さ。

生きていたかったら、昼間はじっと身を隠し、暗くなったら動きだすこと。

いつでも、あたりを警戒していること。「油断大敵」と覚えているがいい。

だがな、不思議なことじゃ。これは、われわれフクロウに限ったことではないんじゃ。我々が生きてゆくためには、他の動物を見つけて、殺して食べなければならん。この動物園で生れ、育ち、安全だけしか知らないお前には、判らないことだろうな。飼育係が餌をくれ、巣穴を用意し、わしらを襲う敵からいつでも守ってくれているんじゃからな。

だが、大自然は違う。こんな狭い、窮屈で、退屈な時間が流れる所とは大違いじゃ。

それは、雄大で、自由で、夢があって、素晴らしいのが大自然じゃ。

その代りに、過酷で、それは、厳しいものなんじゃ。生きること、毎日が、その戦いなんじゃから。

果てしない広い世界で、餌を見つけ、食べ続けねばならんのじゃ。毎晩、毎晩、餌を捜し続けなければならんのじゃ。

わしが育った森でもそうじゃった。誰も餌をくれるものはおらん。自分で探し、捕え、時には、子供の分まで餌が必要じゃった。

ほら、見てごらん、動物園の中には、安心して、油断だらけの餌が動いている。ネズミというんじゃ。きっとわしらの食べ物のおこぼれを安心して狙っているんじゃろうな。

どれ、若い時に森でやったように、一つ狩でもしてみようか。よく見ているがいい。そうじゃ、一つだけお前が覚えておく大切なことがある。

良いかな、自分の腹がへって、食べることが必要な時にだけ、他の動物の命を奪うんじゃ。間違っても、面白半分に余分な命を奪ってはいけないよ。

“命をつなぐためにだけ、命を頂く”、それがな、たまたま運よく、動物同士が生き残ってゆく為に、大切な約束事なんじゃ。」

 

そういうと、「物知り博士」の老フクロウは、音もなくそろそろと動き始めたのです。

そして、至近距離に近づくと、さっと飛びかかり、両足でネズミを捕まえ、檻の隅へ運んで行きました。

 

動物園と違う広い世界って、どんなところだろう?  

夜になると、若いフクロウは「物知り博士」に森の事、他の動物の事、餌をとること、敵から身を守ること、などを聞いては、想像の世界を膨らませるのでした。

 

何度か、外の世界に出てみたいと、テンが檻に入り込んだ金網の破れに近づいては見ましたが、やっと通れるかどうか、の小さな穴は、外の世界へ出る事を拒否し続けたままでした。

そこで、身体を無理やり押し付けたりしましたが、羽が引っかかりどうにもうまくいかないのです。

ある晩のことでした。飼育係が出入りする扉が、僅かに開いているのに気付いた若いフクロウが、扉に身体を押し付けてみました。すると、扉は身体が通れるくらいだけ、そっと開いたのです。飼育係が鍵をかけ忘れていたのです。

 

「若いのよ。いよいよ行くかい。何もしないで後悔するよりも、自分の思うことをして後悔する方が、どれだけいい事か知れない。広い世界で羽ばたいてみるんじゃな、それじゃあ、元気でな。」

「物知り博士」の声が背中に聞こえました。

 

闇が何処までも広がっていました。若いフクロウは嬉しくてたまりませんでした。

これが自由というものか、と思いました。

空には、星が瞬いています。ずっと先のほうには、光がいっぱい散りばめたように広がっていました。

あれが、「物知り博士」の老フクロウが教えてくれた街の明かりだ、と見当をつけ、一目散に飛んで行きました。

 

見るもの、聞くもの、何もかも驚くことばかりでした。昼間は、森の中や、教会の尖塔の穴や、椎の木にじっと身をひそめていましたが、あたりが暗くなると隠れ家から飛び出すと、あちこち見て回りました。

街の中は、一晩中灯りに包まれています。

たえず自動車のライトや、ビルの明かりで、自分の姿を隠すところが何処にもないように、少し恐怖を感じました。

 

「油断大敵」・・「物知り博士」の老フクロウの言葉を思い出しては、何処にいるか知れない「見えない敵」にも注意しました。

 

動物園から逃げ出した頃は、まだ暖かかた春でした。森の中には、夜になると、闇の中でツグミやシジュウカラの小鳥たちや、ネズミ、トカゲ、蛇、昆虫等がじっと眠っていました。

でも、小さな動物達が時折、動き回る事があります。その動きで餌になるかどうか判断するのですが、最初はなかなかうまく捕えることができません。夜になると、まず空腹を満たすための狩りをしてみるのですが、なかなか餌を手に入れることができませんでした。

ほんの小さな昆虫だけを23匹食べられれば良いときもありました。

夜行性の他の動物たちとの、餌を争う競争も熾烈でした。一晩中餌をとることと格闘をしました。

「生きることは、戦いだ」・・その意味が骨身に染みて分かりました。

動物園がどんなに恵まれた場所だったか、改めて懐かしく思いだされました。

「自由で、美しい自然に囲まれて、楽しい毎日を送るなどということは、架空の世界なのだ。現実にはありえないからこそ、憧れる幻なのだ。」

「物知り博士」の言った意味がようやくわかりました。

でも、動物園へ帰る気はありませんでした。黙っていても、餌が与えられる世界なんて、飾り物の冠を被った、裸の王様みたいなものだと思いました。

 

餌をもとめ、街の灯を眺め、キツネや鷹から命からがら逃げながら、暑い夏を過ごし、秋を迎えていました。

つややかだった羽毛は汚れ、所々羽根もぬけ落ちてきました。

 

ある夕暮れ、空腹を抱えながら、次第に暗くなる夜空を見上げていると、雨が降り、風がだんだん強まってきました。

 

その中を、蝙蝠達が激しい鳴き声で、叫ぶように乱舞しています。蚊やアブを追っているのです。今晩の狩りに一斉にでてきたのです。

空腹の、若いフクロウは激しく飛び交う蝙蝠を捕えようと、必死になって追いかけました。

雨も風も強くなり、とうとう嵐になりました。蝙蝠達は洞窟に逃げ込んで行きます。

洞窟の入口に一匹のお母さん蝙蝠と、子供の蝙蝠が、さかさまになってぶら下がっていました。

きっと、嵐がどんなものかお母さんが教えていたのでしょう。

 

やっとチャンスが来た、と思いました。若いフクロウは子供がまだ満足に飛べないのを、見逃しませんでした。子供の蝙蝠をめがけて急降下すると、さっと足で捕まえました。柔らかな肉の感触と、暖かな体温が足の裏から感じられました。

若いフクロウのお腹が、くうくう、と喜んでなっています。

 

我が子をとられ、びっくりしたお母さん蝙蝠が、鋭い声で叫びながら、フクロウに跳びかかっては、はねのけられ、それでも子供を取り返そうと又、体当たりしてきます。

 

“助けて、私の子供よ。どうか食べないで。どうしても食べたいなら、子供でなく、私を代りに食べて。お願いよ。子供だけは助けて。”

嵐の中を必死になって追ってくるお母さん蝙蝠を、鋭い嘴でつつき返しては、蝙蝠が追いかけてこれない教会の高い尖塔の巣へと逃げ去りました。

 

久しぶりのご馳走でした。

“強いものが勝ち、弱いものは負けて餌になる。これが自然の掟なんだ。

油断をするものが悪いのさ”・・若いフクロウは勝ち誇ったようにゆっくりと食事を楽しみました。

 

それからは、子供を餌にすることを覚えました。動きが鈍く、捕まえやすいのです。すばしこいネズミも、子供なら近づくまで気づきません。子供を襲う時、いつも母親の悲鳴が聞こえます。始めの頃は少し可愛そうな気がしましたが、次第に慣れっこになってゆきました。季節はいつか冬になっていました。

餌もだんだん少なくなってゆきました。

食べられるものなら、どんな小さな虫でも食べました。

「生きてゆくとは、食べること、食べることは戦うこと。戦いに負ければ、自分の命が滅ぶこと、これが自由という正義の本質だ」、と思いました。

 

“僕はフクロウだ。絶対に負けない。体だって大きい。暗い所なら自由自在だ。鋭い嘴がある。強い爪もある。知恵もある。怖いものなしの鳥なのだ。”・・厳しい自然の中でしたが、若いフクロウは、自信に溢れていました。

 

ある時、空腹で目がまわりそうになりました。夜通し餌を捜したのですが、何も食べることができません。

そんなとき、教会の屋根裏にいた雀の子供を偶然見つけました。柔らかくてとても美味しそうです。なぜかわかりませんが、親がいない為、ピーチク、パーチク鳴く子供ばかり3匹もいました。骨も柔らかく羽毛も簡単に抜けました。満足な食事でした。

 

でも、あの時に誰かがじっとこちらを見ていたような不思議な錯覚に駆られました。じっと見詰めている目には涙がこぼれているようでした。

幾ら、若いフクロウが目を凝らしても誰もいません。

カトリックの教会の中には、十字架と、痩せこけて、あばら骨が浮き出た磔刑の惨めな姿の木彫りの男の像が、静かにこちらを見ているだけでした。

男の像は、骨ばかりで肉なんかありません。食べてもちっとも美味しそうではありません。なぜ、人間はあんな男に祈りをささげるのだろう?若いフクロウには不思議でなりませんでした。

 

久しぶりの食事に満足すると、森の巣に帰ろうと思いました。

途中の湖のそばまで来ると、うっそうとした雑木林の中で一休みです。じっと闇の中を見詰めると、夜行性の動物達が餌をもとめて必死になって匂いを嗅ぎ、獲物を捜していました。

 

すると、あの誰かに見られている、という不思議な感覚に襲われました。

涙でぬれた目で、誰かが自分を見ている。そう思うと、背中がゾッとしました。

誰かが見ている。静かにあたりを見回しましたが誰もいませんでした。

 

それからです。食事をするたびに、暗闇の中で誰かが見ているような感覚がするのです。小さな餌の、生暖かな肉や新鮮な血が、あの教会の木彫りの男の固い肉や、涙のように感ずることもありました。フクロウは寂しさから逃げるように街の灯りが見える大きな樫の木にねぐらを変えました。

 

寒い夜でした。突然、バサッと何か落ちる音がしました。

血の匂いもします。注意深くあたりを見回し、音のした方角へ若いフクロウは近づいてゆきました。

樫の木の下には、鴉が息絶え絶えになって、倒れていました。

そばに近づいて見ました。“I AM  A  BIRD”(私は鳥です)・・・確かに、そういったのです。闇の中で、真っ黒な鴉が、羽もぼろぼろになるほど突かれて、血まみれになっていました。

“I AM  A  BIRD”(私は鳥です)、もう一度微かに叫ぶと、息絶えてしまいました。

若いフクロウは、我を忘れてその場にじっとしていました。血の匂いを嗅ぎつけて、キツネやテンが、足音を忍ばせてやってくるのも気がつきません。

“I AM  A  BIRD”(私は鳥です)・・という言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡っています。

突然、何かに襲いかかられました。羽根に鋭い痛みを感じました。慌てて飛びたとうとすると、片足に噛みつかれました。バタバタと、必死で羽ばたきましたが逃げることができません。

「油断大敵」・・「物知り博士」の老フクロウの声が聞えたような気がしました。僕も終わりだな、と思いました。いつも狩りをし、食事にありついていたように、今晩は逆に自分が餌になる番がまわってきたのだ、と思いました。ほんの少しの油断が、たちまち、食べる側と、食べられる側の立場を逆転させたのです。

その時、急に、足に噛みついていた牙が外れました。噛みついていたのはテンでした。しかし、キツネも若いフクロウを餌にしようと、同時に襲ってきたため、おもわずテンが獲物を離したようでした。

その一瞬の隙に、若いフクロウは木の上に飛び移りました。

 

朝になりました。若いフクロウは木の枝に、やっとの思いでつかまっていました。ひどい怪我をしていましたが、まだ、生きています。

鴉が森から街へ、今日の餌を捜しに、集団で飛んでゆきました。

あの鴉たちに聞けば、昨晩の不思議な言葉の謎が解けるかもしれない。

そう考えた若いフクロウは昼間なのに、傷ついた身体で鴉たちをゆっくりと追いかけはじめました。

 

やがて、鴉たちが集団でとまっている大きな木を見つけました。木は沢山の鴉で、ギャー、ギャー、それは賑やかでした。

若いフクロウは、誰彼かまわず聞いてみました。昨晩出会った鴉がなぜあんな死に方をしたのか?“I AM  A  BIRD”(私は鳥です)・・とはどんな意味なのか。

でも、誰も答えてくれません。餌を捜しては飛びたち、見つけると木に戻り食べ、食べては、また餌を捜しにと忙しく動いてばかりです。

若いフクロウは必死でした。一日中訪ね回りました。もう自分も最後かも知れない、そんな思いが余計に若いフクロウを駆り立てました。でも、どんなに必死になっても、鴉たちは無視するように、一言も質問には答えてくれません。

とうとう夕暮れが迫り、鴉たちは森を目指し帰ってゆきました。

駄目だった。誰も相手にしてくれなかった。若いフクロウは、力なく木にもたれました。

その時です。

“お前さんは、何故あいつの事を知りたいんだね”、という声が聞えました。

振り向くと一羽の鴉が、じっとこちらを向いて、始めて口を聞いてくれました。

 

若いフクロウは昨晩の出来事を丁寧に話しました。そして、誰が、鴉を殺したのか、“I AM  A  BIRD”(私は鳥です)とはどんな意味なのか、を知りたいと聞きました。

 

“それを聞いて、お前さんにとって何になるのかね。どうやら大分傷ついて、もう一晩、もつかどうかの瀬戸際ではないか。そんなことを知るよりも、森へ帰って、自分の傷を癒す方が大切だと思うがね。「所詮、鴉は鴉さ」。誰も友達がいない孤独な存在なのさ。”

そういうと、残った最後の鴉も森を目指して帰って行ってしまいました。

 

若いフクロウも仕方なく、巣へ戻ろうとしました。

ところが、その時に薄暗い空に一つの流れ星が、大きく輝き、教会のほうへ向かって行き、教会の真上にとどまるようにして、消えていったのです。

何か、不思議な力に引っ張られるように、若いフクロウは、流れ星が消えた教会の尖塔にある巣へ、最後の力を振り絞り、戻ってゆくことにしました。

しかし、力尽きて、何度も地上へ落ちそうになりました。また、不思議なことが起こりました。落ちそうになるたびに暗闇の中から、ふわりと、風船が飛んできて若いフクロウをのせてくれ、自分で飛べるようになると消えてしまうのです。教会の高い尖塔の巣にのぼる時もそうでした。もうあの高い塔へは飛べない、そう思った時、ふわりと風船が近づき尖塔の巣まで運んでくれたのです。

巣にたどりついたとき、もう風船は消えて無くなっていました。代りに、あの

涙でぬれた目で、誰かが自分を見ている感覚だけが残りました。

でも、今晩の目は優しく、暖かな涙でぬれている、そう感じられてなりませんでした。

 

教会にはその晩、大勢の人が集まっていました。教会の鐘が鳴り、歌声が流れてきました。窓から中を眺めると、木彫りの痩せこけた十字架の上の男の前に、肌の色の白い人、黒い人、黄色い人が大勢いるのが見えました。

“クリスマスイブですね。おめでとうございます“・・そんな挨拶の声も聞えました。

 

夜中になると、教会の中には誰もいなくなりました。若いフクロウは静かに身を横たえました。真っ暗な空に、きらきらと星が瞬いています。

ふと、気がつくと、夜中なのに雀が一羽、そばでじっと佇んでいました。

以前、餌にした3羽の小雀のお母さんかもしれません。

でも、母雀は、そんなことは、おくびにも出さず、若いフクロウの心にしみとおるように、ゆっくりと話しかけてきました。

 

“もしもし、若いフクロウさん。鴉と、お話ができましたか? 貴方の疑問には答えてくれましたか? 安全の囲いの中と、危険な自由、のどちらが貴方の望んでいたものでしたか? もし、よかったら、私が聞いたこと、そしてこの目で見たことをお話しましょうか?

そして、続けて話しはじめるのでした。

“I AM  A  BIRD”(私は鳥です)・・とあの鴉が最後に語ったのは、『私達を黒いまま、普通の鳥として認めてください。』という叫びだったのですよ。

真っ黒な鴉は何処へ行っても、ただ黒いというだけで、他の鳥達から仲間はずれでした。鳩の群れに遊びに行っても“お前なんか仲間じゃない”って相手にされません。燕も、鳶も、カモメも、鷺にも誰にも遊んでもらえません。

口さえ聞いてもらえないのです。鳥なのに鳥として仲間にされない。どんなにさびしかったでしょう。

お父さんに聞いても、お母さんに聞いても、皆同じ答えが返ってくるだけでした。

“どうせ仲間にしてくれないんだ。無駄なことさ。鴉は、いつも真っ黒で、白くもなれないし、ましてや美しい羽根も持てないんだ。鳥なのに、鳥じゃないんだ。諦めるんだね。”・・・そう言うばかりでした。

でもね、ちょうど一年前の事でした。クリスマスイブにお爺さん鴉が、若い鴉に話していました。窓から中をのぞきながらこんなふうにね。

 

母雀が教会堂をのぞき込みました。若いフクロウもつられてのぞき込みました。

その時に気がついたのです。母雀の羽と両足に、何かで射し貫かれた、痛々しい穴があいていました。でも、若いフクロウは、何も聞くことができないまま、黙って教会の中を覗きました。

コトリ、とも音がしませんが、十字架だけが月の明かりに浮かびあがっていました。でも、不思議なことに、木彫りの痩せこけた十字架上の男の姿が見えません。何度も何度も、捜しましたが、木彫りの痩せこけた磔刑の男の姿は、ありません。若いフクロウは、目も霞んできたほど体が、弱ったのだと思いました。

 

それでも、母雀は話つづけました。

 

お爺さん鴉はね、あの死んだ鴉に、こう話して聞かせたのですよ。

 

“今日はクリスマスイブだ。人間が大勢いるだろう。ほら、見て御覧。

白い肌の人間も、黒い肌の人間も、仲良く椅子に座っているだろう。

でもね、ほんの40年ほど前はこんなじゃなかった。

我々と同じように黒い肌の人間は、人間として扱われなかった。教会は白人用と黒人用は別々だった。学校も、レストランも、トイレさえも、黒人用と白人用とは別々だった。バスに乗っても、黒人は後ろにある黒人用の席にしか座れなかった。

間違えて白人用のレストランに入っただけでも、叩きだされたんだ。

ゴミ掃除、それが黒人の仕事だったのさ。肌の色が黒い、たったそれだけの理由で同じ人間なのに、人間として認めてもらえなかったのさ。挙句の果てに大人でも、老人でも名前も呼ばれず、こう言われたのさ。“HEY  BOY !(おい、鼻たれ小僧)・・侮蔑され、軽蔑され、同じ人間として認めてもらない。

まるで、いまの俺達、鴉とそっくりじゃないか。

そこで、一人の勇気ある黒人がこの矛盾を解決しようとしたんだ。非暴力でね。彼は牧師だった。黒人達に自由の行進を指導したんだ。清掃夫の仕事をストライキで止め、皆、同じ言葉を書いたプラカードを首から下げ、行進をつづけたんだ。プラカードには、こう書いてあった。

I  AM  A  MAN(私は人間です)・・とね。”

 

母雀の声が、若いフクロウの心にしみとおるように伝わります。

”もう判ったでしょう。昨晩死んだ鴉が、何故“I AM  A  BIRD”(私は鳥です)・・と言って死んだわけが。“

 

“なぜ、誰が、鴉を殺したのか、それを知りたいのでしたね?

40年前の牧師も殺されました。行進の途中にね。

誰が牧師を殺したのか、それも知りたいかもしれません。でも、誰が?ということよりも、もっと大切なことがあるのです。

あの牧師を殺した男の名前はジェイムス・アール・レイというのですが、レイが殺さなくても第2、第3、のレイがきっと出てきていたでしょう。

誰かが殺され、誰かが殺す。人間が持つ罪は永遠に消えないのです。

「問題は、誰が? でなく、何が殺したのか? 」でしょうね。

鴉を殺したのは鷹でも、鷲でも、鳩や、キツツキでもありません。

確かにあの鴉は仲間を求めて、どんな鳥のところへでも行きました。

お爺さん鴉に教わったように非暴力でね。でも、どの鳥も相手にしてくれなかった。

突き、蹴飛ばし、羽を抜き、ありとあらゆる意地悪で虐めたのです。

黒いから、それだけの理由でね。

 

「差別と無視」、それがあの鴉を殺したものの本当の、正体なのです。

いま、この現在も「差別と無視」は、世の中に蔓延しているのです。

自分を偉いもののように見せようとするエゴイズム、それが自分より劣ったもの、低いものとして他人を見下す差別です。黒いから、自分たちとは違っているから、だから鴉は、劣っている、そう思い込んで差別が生れるのです。

「愛すること」って、判りますね?

では、「愛する」の反対はなんだか判りますか?

「愛さない」事、と思いますか?

それよりも、もっと大きな罪が実はあるのです。

それが「無視」なのです。

『どうしたら、「差別と無視」をなくせるか? それが知りたいのですか?』

 その答えを知っている人がいます。ほら、教会の中の十字架上の痩せこけた木彫りの男がいたでしょう。彼だけが、その答えを知っています。世界中のだれもが、悪の本質である「差別と無視」の事を知らなければならないのです。「差別と無視」をこの世からなくすために、あの十字架の上に痩せこけてあばら骨が浮き出た木彫りの男が磔刑にかかったのですから。“

 

そこまで話をすると、母雀はふいと消えました。

 

次第に朝が近くなってきていました。

明るくなってゆく空を見上げながら若いフクロウは身を乗り出し、身体をすぐに他の鳥たちに見えるようにさらけ出しました。

「今度は僕の番だ。誰かが命をつなぐために、僕を食べる。食べられた僕はこの世から消えてなくなる。だが確実に食べたものの命となって、つながってゆくのだ。

〈生きる。〉この事の本質がやっと判ったような気がするんだ。

〈死んでも、生きる〉という言葉が意味する本当の事がね。短い生涯だったけど、僕はこれで満足さ。生きるのは長さじゃない。どう生きたかなんだから」・・若いフクロウはそう呟きました。

 

窓からのぞくと、教会の中には、あの痩せこけた男が十字架上に戻っているのがみえました。

 

今日はクリスマスです。

“クリスマスのご馳走になれるなんて、僕は幸せさ。鷹か、鷲等がもうすぐ、飛んでくるだろう。その子供達のクリスマスのご馳走に僕はなるんだ”

若いフクロウはにっこりと笑うと、じっとその時が来るのを待ちました。

 

母雀は何処へいったのだろう。

40年前に殺されたという黒人牧師が、昨日殺された鴉とダブって想い出されました。

まるで、歌声のように演説が耳の奥に響きました。仲間の黒人達に偶然にも、殺される前日、話したという、あの有名な演説でした。母雀が教えてくれた言葉が、あの暖かい目と涙と一緒に若いフクロウの心に響き渡りました。

 

…前途に困難な日々が待っています。

でも、もうどうでもよいのです。

私は山の頂上に登ってきたのだから。

皆さんと同じように、私も長生きがしたい。

長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。

神の意志を実現したいだけです。

神は私が山に登るのを許され、

私は頂上から約束の地を見たのです。

私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、

ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。

今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。

神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。

(キング牧師)

 

 

クリスマスの教会の鐘が鳴りはじめました。空には餌をもとめて、鳥たちが舞い始めています。

 




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