クリスマスのトナカイ

 

こどもの頃の楽しいことばかりの毎日が戻ってきた。

“たねちゃん、あそぼ!”、友達が遊びに来る。

かくれんぼをやった。今日は、チャンバラごっこでは勝ったり負けたりした。

夕暮れになり、さっちゃんも、五郎も、ちー坊、も皆帰って行った。

楽しかったな、と沈んでゆく夕陽にさよならをした。

誰もいない狭いトタン屋根の家の中は、し〜ん、として隙間風が冷たい。

裸電球に明かりをつける。

お腹がすいたな、でも母ちゃんもすいているんだろうな、僕男の子だもの、我慢しな

くっちゃ、と思った。

せんべい布団に潜り込むと、間もなく、すやすやと寝息がもれた。

 

「たねさん、夕ご飯食べましょうね。」老人ホームの介護士さんが半分寝たままの茂

一の車椅子を押しながら、食堂へ連れていってくれる。

しわくちゃな、真っ黒い顔に、胡麻塩頭。不自由な右半身をかばうように、体が左側

に傾いている。うっすらと、目を開けた。

「きょ・う・は・ク・リ・ス・マ・ス・イ・ブ・よ!

た・ね・さ・ん・に・も・きっ・と・素・適・な・プ・レ・ゼ・ン・ト・が・来・る

・と・い・い・わ・ね。」

噛んで含めるように介護士さんがスプーンを口に運びながら微笑んでくれる。

食後の歯磨きになると、また眠ってしまった。

〈種田茂一、24号室〉と書かれた、うがいのコップが滑り落ちた。

「たねさん、お部屋へ行きましょうね。」遠くで声がする。

クリスマス、サンタクロース、プレゼント、ローソクの火、歌声、ジングルベルの鈴

の音がごっちゃになってぐるぐる、ぐるぐる頭の中でまわっている。 

雪が降ってきた、夢の中はホワイトクリスマスになっている。

早く母ちゃん帰ってこないかな、お腹ぺこぺこだろうな、僕も我慢、我慢、茂一はひ

たすら母ちゃんのぬくもりを待っていた。

「きっと、たねさんの記憶はもう、こちら側の汚れた世界を卒業したんだろうな。神

様が、”もういいよ、ごくろうさま“って、お休みをくれたんだろうな」・・・・話

し声が、とぎれとぎれに聞える。

リンリンリン、リン・リン・リン、しだいに鈴の音が大きくなった。

リンリンリン、しゃんしゃんしゃん、リン・リン・リン、しゃん・しゃん・しゃん。

がたがた、がたがた、たてつけの悪い入口の硝子戸を開ける音もする。

母ちゃんが帰ってきた。

安心感は、空腹よりも一層深い眠りへと誘ってゆく。

夜中に、母親は自分の晩御飯代わりの焼き芋を紙でくるむと茂一の靴下にそっといれ

た。

 

クリスマスイブの日は、サンタさんは朝から大忙しだった。

沢山の荷物を橇に詰め込むと、赤い帽子に赤い服を着てサンタさんと、数頭のトナカ

イは雪道に鈴を鳴らして走り去ってゆく。

全世界の大勢の子どもたちがクリスマスのプレゼントをまちわびている。

あとには、一頭のトナカイだけがぽつんと、とり残された。

昨年まで、あんなに立派だった角は折れて傷だらけになった。

足は前も後ろも片方ずつ、ぎこちなく動かせるだけだった。

“とても橇を引っ張ることはできないな。サンタさんのお手伝いもできないし、子供

たちの顔も見ることも出来なくなった”、年をとったトナカイは元気だったころを懐

かしく、おもいだした。

大きなお屋敷に住んでいた女の子には、素敵な縫いぐるみだった、沢山な兄弟がいた

家にはお菓子を、貧しい男の子にはビー玉を一つの時もあった。

沢山の道を走った。数え切れないこどもたちの寝顔に出会った。

クリスマスのプレゼントを配りきれないこどもたちの顔も次々浮かんできた。

橋の下にいるこどもたちの顔、雨漏りがする小屋にすむ子、幼い兄弟が街かどでふる

えていた。

靴下さえ無かったこどもたちには、クリスマスとも無縁だった。

ただ、通り過ぎてしまっただけのこどもたちは、いまどうしているのだろう。

もう、なにもできない。トナカイはさびしく夜の星を眺めた。

星の向こうで声がする。

その時、サンタさんのトナカイだけに与えられた、どんな遠くの声も聞くことができ

る不思議な耳を、まだ神様が残してくださっていることにふと気づいた。

 

「たねさん、聞える?しっかりして」、介護士さんの声がする。

つづいて、ピーポ、ピーポ、と救急車のサイレンの音が聞こえる。

トナカイは折れた角の頭を地面に近づけるとお爺さんの呟くようなかすかな声を必死

に聞こうとした。

とぎれとぎれな、小さな声が聞える。

『いいことなんて一度もなかった。

母さんは僕が小学生になると間もなく死んだ。

それからずっと一人だった。

晴れた空の下で笑ったことなど覚えてもいない。

いつでも曇り空だった。

晴れたと思うとすぐに冷たい雨がふり、肌を刺すような風が吹き抜けていった。

それが人生なんだと、思ってこの年まで生きてきた。

クリスマスに、たった一度だけプレゼントをもらったことがあったな。

あれは、冷えた焼き芋だった。

それからは、包んだ紙の切れ端を宝物のように持ち歩いた。

あの時にトナカイの首に下がった鈴の音を確かに聞いたっけ。

もう一度だけ、あの音を聞きたいな』

 

トナカイは、はるか遠くに住むお爺さんに心を寄せてみた。

一年でたった一晩だけ、橇を引く為にだけ役に立っているトナカイと似ているな、と

思った。

いまは、その橇さえ引けない。何もかも失った。

なにをすることもない。

誰にも必要とされていない自分とどこが違うのだろう。

しばらくじっと考えた後、トナカイは神様のところにいった。

そして、小さな金の鈴を首にひとつだけつけてもらいたい、とお願いした。

しゃん〜、ポコリ、リ〜ン、ポコリ、ゆっくりとした鈴の音と、トナカイの足音が聞

える。

しゃん〜、ポコリ、リ〜ン、ポコり、しゃん〜、しゃん〜、リ〜ン、リン。

クリスマスイブの夜になって、たった一頭のトナカイは足を引きずりながらゆっくり

歩き始めた。

プレゼントは何もないけど、鈴の音だけでも待っているこどもが、きっとたくさんい

る。

子供の心に帰って待っている人がいるかもしれない。

クリスマスイブが、いつかもわからないで、いつでも耳をひそめている人もいる。

鳴らすのを、おわる時は神様が決めてくださる。

しゃんしゃん、金の鈴は、格別美しく人々の胸に響いていった。

 

「たねさんは、なにを聞いたのだろう。何時も無口で、何もしゃべらない人が本当

にしゃべったんだよ。“聞える、聞える”って最後にいったんだ。

笑っているようにも見えたよ。」

 

病院のホールにはクリスマスツリーが飾られている。二人の介護士さんはそこをぐる

っと回ると〈夜間出入り口〉と書かれたドアを開け、外に出た。

星がきらめいていた。

たねさんも星になったんだ。そう、心につぶやいた。

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