18歳の決断

 

「人生には、いくつもの、道があり、曲がり角がある。
もしも、あの時に別の道を選んでいれば、もしも、あの角を曲がっていたら、もっと違う人生を歩んでいただろうに、と思うことが幾度もある。
しかし選べる道はたった一つだけであり、事実その時には、その道を選び、その道しか歩んで来れなかった。今から後戻りして、別の人生など歩むことは出来ないのだ。夥しい「もしも、もしも・・・」の幻想の積み重ねの上に、今の私達の人生は成り立っているのである。」
三浦朱門さんの「箱庭」という小説の中に、こんな意味の言葉があったように記憶している。もう30年も昔に読んだ本のことである。
言葉も正確でないし、言い回しも不正確極まりないが、なぜか意識の底にこびりついたように、べったりと張り付いて、「もしも、・・」という思考回路が、私の分身のように体の中から離れないでいる。

 これは何も私に限った、別に特別な事ではない。
誰しも、人生において重大な決断を迫られ、いくつもの道のたったひとつを選んで歩んでいる。
進学、就職、結婚、定年、等、重大な節目もあれば、日々の生活の中でさえ、意識する、しないは別にして、自分の歩むべきいくつもの道から、たった一つの道を選んでいるのである。

 毎日歩いている、いつもと少しだけ違った道を歩いて、思わぬ事故にあったり、いつもと、ちょっとの時間の差が、幸運の女神と出会う機会となったり、あの角を曲がったからこその、思わぬ出会いにめぐり合ったりと、私たちは毎日、いや瞬間、瞬間に決断を迫られ、その結果の積み重ねの中にいるとも言える。
私たちは、夥しい選択の中に置かれ、誰とも違う、二つとない今日を迎えているのである。

 「もしも、あの時にああしていれば」、「あんな決断をせず、もう一つの道を選んでさえいたら」などと、一度も思わぬ人生など、存在しないであろう。
だって、人間とは、迷いの中にうごめいている、取るに足らない小さな存在に過ぎないのだから。

 しかし、その選択が時に、深く周りの人々に影響を与えることが、しばしばある。
人間とは、人生とは、生きるって何だろう?・・・・と。
突然、そんな問題を投げかけられることに出会うことがある。

 ある、18歳の少女の決断も、悲しみと共に、人間の存在を問いかけて、短い人生を駆け抜けていった重いものであった。
少女の決断とは、ある意味で、「生かすだけの医学」への抵抗であり、「人間らしくありたい」という、ささやかな願いではあったが。

『延命治療の拒否』、これが僅か18歳の少女の出した結論であった。

 急速に進歩し続ける医学。人間の命を本人の意思とは無関係に、まるでベッドに縛り付けるかのように、高度な医術と最新の医薬によって1分でも1秒でも長くこの世に留めようと悪戦苦闘し、犠牲的精神で立ち向かう医療関係者達。
 ある意味では、「崇高な精神」に支えられた現代医学で、人間はこの世における生命を、限界にまで伸ばすことが許されるようになったのである。
 だが、人間にとって、これらの行為が限りない命への畏敬、尊厳からくるものであることは理解していても、【自らを患者の立場に置いた時】、〈これが、自分の本当に望んでいることだろうか?〉、と疑問を持つこともあるであろう。
 そうした疑問に立ち向かい、表面的には「笑顔」で「冷静」に、自らの延命治療の拒否という結論を少女は出したのである。

 生き続ける事を説得し懇願する父親に、そして、悩み困惑する医師に〈自分で決めたことだから〉、と筆談で自らの意思を貫きとおした。
そして、決断して、約1年半の後、20109月、笑顔を失わず、18歳の生涯をとじた。

 延命治療とは、医学的にいくつかの定義と、治療方法があるという。
「人工呼吸」、「人工栄養」、など、の本人の意識が無くても肉体だけを生かす、機械による治療がその代表例であるという。
治療は疾病の根治ではなく、延命を目的とした治療であるため、患者はその治療の間、余計に苦しむことになりかねないとも言う。
また、患者本人に意識が無く、延命治療を続けた時に、それを見ている家族や、友人に苦痛を与えることすら有り得ると言われている。

 延命治療を拒否した少女の、本当の心の内側は、他人には決して判らない事である。
だが私には、18歳という若さで、この世との決別の決断をした少女には、表面的に見せた笑顔とは別に、多くの悲しみを抱えていたように思えてならないのである。
 しかし、一方で、自分の苦しみや、悲しみを、決して親や他人に見せず、笑顔でこたえる生き方を選んだ強さに、人間としての凛とした姿をも見るのである。

 生きるとは、明確な覚悟をもって、どんなにささやかでもよい、取るに足らないものであってもよい、明るさだけを残すものであるようにも思わされるものであった。
出来ることなら、自分も、「そうありたい」、と思うのである。

 生まれつき心臓に欠陥のあった少女は、辛い手術に何回も耐えてきた。
15歳になった時、気管に痰が詰まるため、喉に穴を開け、その穴にチューブを通し、毎日何回も、痰の吸入を自宅で、自分でできるように手術を受けた。
その結果、言葉を失った。
意思疎通は筆談に頼る以外に無くなった。

 少女は書く。『自分は、辛い手術を何回も乗り越えてきました。よく頑張ってきたつもりです。これからも精一杯生きます。でも、病院での生活でなく、自分の家で生きたいのです。だから、入院しての延命治療は受けません。自分で決めたのです。』・・・・と。

 担当の医師は苦悩の表情を浮かべながら言う。
“どうしようか?”と聞かれれば、迷わず“治療を受けて、生き続けてください。と答えるでしょう。しかし、彼女はもう18歳です。彼女の人生は、彼女と両親がお決めになることです。私には、他人の人生を決める事は出来ないのです。”・・・と。

 父親はどんな形であれ、生き続けてほしいと願い、母親は娘の考えを尊重しながらも、迷い、涙を流した。

 長寿時代を迎え、「命とはどうあるべきか」が、より身近に問われる時代となった。
若い命を散らす問題だけでなく、老年期を迎えた全ての人への問いかけの時代となった、と言ってよいのではないだろうか。
少女の決断から、われわれは何を学ぶべきであろうか?
 人間とはいったい【何処から】、この世にやってきた存在なのであろうか?
一体、この世で、【何を為す】ように、創られたのであろうか?
そして、【何処へ】去ってゆく、と言うのであろうか?

 等しく死んでゆく人間。
つかの間のこの世での生活。
還暦を過ぎ、自分を振り返れば、過去という遥か彼方から恥多き生き方が、延々と山のようにうず高く積み上がっている。
もうこれ以上、誰にも迷惑をかけたくないと思わざるを得ないほどに、間違いも犯してきた。それも、これも人間である以上、仕方のないことには違いはないが・・・・・・・・。

 今では、医学の倫理も変わり、延命治療に関しても、患者本人が希望しない旨、文書で要求すれば、医療機関で認められる時代になったという。
自分も、正常な判断ができるうちに、準備すべきものはしておこうと思う。
そして、なによりも、18歳の少女のように、人間らしく生を全うすることを、日々の生き方の中で、真剣に見つめ直す必要がありそうだ。
1日、1日を再び迎えることのできない大切なものとして過ごすためにも。
そのようにすることが、やがて、いつかは来るこの世との決別に際して、後悔のない日にすることが出来るのではないかと、少女が教えてくれたのかも知れないのだから。

 そうだ、想い出した。私には少なくとも、末期治療に関してのみ言えば、先輩とすべき人がいたことを。
“ガハハおじさん“と呼ばれた、わだべん、事、和田勉さんだ。
演出家、映画監督、タレントなどで有名だったが、20111月、この世との永遠の決別をされた。80歳だった。
がんと診断されたが、手術や、延命治療を一切行わず、3年間の闘病生活を送り、終焉の地は、老人福祉施設だったという。
もう、「十分生きたから」、が、手術や、延命治療を拒否した理由だと聞いている。
「人生は長さではない、質なのだ。」・・そんな言葉が似合いそうな人だった。
質を生きることとは、自分と向き合うことでもある。
今からでも遅くない。肩の力を抜いて、自然体で、自分に真正面から向き合い、日々笑顔を絶やさないようにしょうと思う。
わだべんさんのように、豪快なガハハ笑いではない、静かな笑みであるが。・・

 


友の部屋」目次 トップページ