旧暦を楽しむ小さな旅(その1)

 

 今、旧暦が静かなブームだそうです。
神社に行くと、旧暦(○○神社歴)が、昔ながらの何やら難しそうな本になって売られています。普通の本屋さんにも、○○易断等の運勢を書いたものとして、年末からお正月にかけて置かれていることがありますよね。

 そこには、旧暦による月日や二十四節気、六曜、干支、九星、十二直、二十八宿などが書かれていて、強烈な占い的要素が漂っています。実際には、二十四節気、六曜、干支などが入っている暦を普段私達も使っていることが多いのですが、月日が、約1ヶ月くらい違うことや、表示が異なることが、何か別の世界に入り込むような気がするだけなのかもしれません。
もちろん、六曜がその日の吉凶を占うように、日や月、年の吉凶を見るために使われるのですが、私達には、さっぱりわからないことだらけです。
科学的根拠があるわけでもなく、また暦を管理する文部科学省の国立天文台でも、旧暦は計算していないということですので、公的には使用されていないものですね。

 でも、制作が○○神宮歴をはじめとした、吉凶の項目が併記された旧暦は、私達日本人の生活の中に、様々な形で、深く根づいています。
 例えば、旧正月、小正月、立春、節分、三ヶ月、十五夜、大寒、啓蟄、大安、仏滅、など、普段何気なく使っているものが、旧暦において使われていたものだと知ると、ほんとに身近に感じますね。
 
 では、そもそも旧暦って何ですか? って聞かれると、「昔使っていた古い暦でしょ」と答えられますが、新暦にいつ変わったのか、古い暦の単位や言葉の意味は何か、など細かいことは良く判りません。 人間、知らないこと、不思議なことに出会うと、何となく知りたくなるのが常ですね。
そこで、旧暦について、少しばかり探検の旅に出ることにしました。一緒に行かれますか?
何処か、迷路にはいってしまうかもしれませんが、ご一緒に旅に、いざ出発です。

    1、  旧暦ってなに?

私達が使っているのが、西暦ですね。

西暦が基準としているのが、太陽です。地球が太陽をぐるっと1周すると1年です。日数に直すと正確には、365.2422日です。これを365日としますので、すこし差が出ます。この為、閏月(うるうづき)を4年に1度設け、229日を作ります。ですから、閏年は、366日ありますね。

 これに対し、旧暦は月の満ち欠けを単位にし、朔(さく、新月)をその月の1日(ついたち)にします。1朔望月は平均29.53059日となります。だから、3日目の月を、三日月(みかづき)、満月となる15日を十五夜と呼ぶのですね。十五夜お月さんは毎月ありますが、やはり、秋になって芒(すすき)をかざって、お団子を供える行事だけが、今に伝わっているものです。
 さて、これを元に、大の月は30日、小の月は29日として1年354日としたのが太陰歴となります。

大の月30日×6ヶ月+小の月29日×6ヶ月=354

354日÷12ケ月=29.5日で、月の満ち欠けの、1朔望月の平均29.53059日にほぼ同じとなります。

でもこれでは、太陽暦の365日に対して、1年で11日も差が出ますので、何年もたつと、差が大きくなり、夏に大寒が来るような事も起きます。

そこで、太陽暦に合わせるため、19年間に7回の割合で、閏月(うるうづき)を設けていました。

ですから1年13カ月という年が数年に1度現れることになります。

太陰太陽暦と呼ばれるものです。これが和歴として、明治5年まで使われていたもので、今私達が「旧暦」と呼ぶものです。

試しに、計算をしてみましょう。

【(354日×12年+384日×7年)÷19年=365.0563日となり、ピッタリ19年に1度修正され正しくなります。】

 昔の人の天文学から学んだ知恵は素晴らしいですね。
なんだか複雑になってきましたね。でも、日本人は、この暦に、節気や六曜、干支を組み合わせて、大切に守ってきたのです。だんだん魅力的に見えませんか?
では、旧暦と併記され用いられた、いくつかの項目についてみてみましょうか。


2、  六曜(ろくよう・りくよう)ってなに?

今、あなたが何気なく使っているカレンダーにも六曜が入っているかもしれません。そう、生活に結びついて、その曜に従って行動しているのが普通です。
六曜とは、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種類を言います。
 結婚式は大安がいい、とか、お葬式は友引きは避ける、など冠婚葬祭に今に生きているのです。
六曜は中国で生れ、暦に活用されたらしいですが、はっきりしたことは判らないようです。
どうも30日を一月の単位とした時に、5等分して6日を一定の周期としてそれぞれの日を星毎に区別するための単位として使われたようです。
 鎌倉時代あたりに日本に伝わったと考えられていますが、赤口以外は、全て名称も並び方も変わり日本の形になってきました。
幕末頃から、民間の暦にこっそり現れ始めたと言います。
明治になり、吉凶付きの歴注は迷信であるとし、政府が禁止しましたが、六曜は迷信ではないとされ引き続き用いられ、第2次世界大戦以降大人気となり、今に至っています。比較的庶民に生きたのは新しいのですね。

ではそれぞれの意味を調べてみましょうか。

 

先勝(せんしょう・せんかち・さきがけ・さきかち):「先んずれば、即ち勝つ」の意味。万事に急ぐことが良いとされる。

 

友引(ともびき):「凶事に友を引く」という意味です。昔は、「勝負なき日と知るべし」と言われ、勝負事で何事も引き分けになる日、つまり「共引」でした。ですから、今のように「凶事に友を引く」という意味ではありませんでした。
ですが「陰陽道」に、「ある日ある方向に事を行うと、災いが友に及ぶとされる「友引日」というものがあるそうですが、これが六曜の友引と混同された、との説が有力です。
この日に葬式や法事を行うと、友が冥土に引き寄せられる、即ち死ぬということから、火葬場も休み、葬儀も行わないようになりました。
しかし、あくまでも迷信であり、いまでは友引にも火葬を行う火葬場もあるそうです。
 また、六曜は仏教とは関係がないため(神道)、友引でも葬儀を行う宗派もあります。浄土真宗です。
 神仏混淆の日本のならわし、の面白さでしょうか。不思議さでしょうか。いくつもの宗教を、そうとは明確に知らないまま受け入れ、生活に生かしている日本人の特徴かもしれませんね。

 

先負(せんぶ・せんぷ・せんまけ・さきまけ):「先んずれば、即ち負ける」の意味。万事に平静であることが良いとされ、勝負事や、急用は避けるのが良いとされている。
普段の生活では、まったく意識なぞしないのが普通の日本人ですね。

 

仏滅(ぶつめつ):「仏も滅するような大凶日」の意味。元は「空亡」あるいは「虚亡」と言い、全てが虚しいと解釈し、「物滅」と呼ぶようになった。

しかし、近年になり、「物」の代わりに、同じ音の「仏」が当て字として用いられ「仏滅」と書くようになりました。
この日は、六曜の中でも最も凶の日とされ、結婚式とか、婚礼の祝儀を出すのには良くない日とされています。
勿論迷信ですから今では結婚式をすることもあり、式場では割引などで、対応するところもあると言います。
商売に、迷信は関係ない、というところでしょうか。
字面通りに解釈すれば、〈仏陀が入滅(亡くなった)した日〉、と誰でも思うでしょう。
しかし、上述の通り当て字でそうなったのであり、仏陀の入滅とは無関係であります。
「何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい」とも言われます。
 これは新発見ですが、『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる」とされ、「物事を始めるのには、大安よりも良い日」との解釈があるそうです。
仏滅が、物事によっては大安よりも良い日ということを初めて知りました。

 

大安(たいあん・だいあん):「大いに安し」の意味であり、誰しもが知っている吉日であります。六曜の中で最も吉の日とされますね。

何事も吉、成功しない事はないとされ、結婚式などは特にこの日に行われることが多いですね。
内閣の組閣も大安に行われるとのことですが、検証したことはありません。
国家の最重要事項さえも、吉凶を気にするほどに日本人には平然と用いられている話ではないかと思います。

 

赤口(しゃっこう・しゃっく・じゃっく・じゃっこう・せきぐち):陰陽道の「赤舌日」に由来するという。中国から伝わった六曜の中で、唯一名称が変わっていないものであるといいます。普段私達は、この日がどんな日であるか、誰も気にしないのではないでしょうか。
しかし、旧暦を見て、その日の吉凶を見る人には次のような解釈が与えられているようです。
 「赤という字がつくために、火の元、刃物に気をつけなさい。すなわち、死を連想させるものに注意せよ。万事に用いない悪日、ただし法事には良い。また、正午だけは良い」という日であるそうです。
これは迷信ではない、とした明治政府の真意は判りませんが、よくよく意味を眺めると、迷信が生活の中に、今も生きているんだな、とつくづく思います。

       どうですか?あなたはいくつ知っていましたか?

3、   閏月って面白そう。もう少し詳しくみてみましょう。

旧暦は19年に7回、閏月をもち、その年は13カ月になる、と言いましたが、恥ずかしながら、私はこの事実を始めて知りました。新暦(西暦、グレゴリオ歴)でも365日では太陽をまわる地球の周期が同期しないので、4年に1度、閏年を作り、229日が設けられますが、旧暦ではどのように表示したのでしょう。
小説などで、時代物を読んでも、12月の次は13月、なんて言葉に出会った事はありません。
ですが、間違いなく天保歴では23年ごとに、〈1年は13カ月〉という月がめぐってきたのです。
月の満ち欠けを基準とした太陰歴では、1年が354日ですから太陽暦とは11日のずれが生じます。11日×3年=33日ですから、どうしても約1ヶ月30日の月を作り調整しなければなりませんでした。
23年で調整しておかないと、差が大きくなりすぎるからです。そして、閏月は、必ず30日の大の月で設定され、小の月、即ち29日の月はありませんでした。
 閏月を庶民の生活で考えるとどんなふうに思えたでしょう。
武士の給料は年俸ですし、お百姓さんは年貢、町人は日銭ですから、表面的な経済に問題は生じなかったのかもしれません。
でも支払う方は年俸でも、貰う方は、年俸では困ったでしょうね。
例えばですが、昨年は米12俵の年俸で、12か月の年だったので1月1俵で暮らせばよかった。
しかし今年は閏月があり、13カ月なので月1俵使ったら、12か月で食べつくし、13ヶ月目は、1ヶ月何も食べずにいなければ、・・・なんてことが起こった訳ですね。
しかし、それにしても閏月を何処に挟んで、なんと呼んだか、面白いですね。
調べてみるとこんなことが判りました。
結論だけ申し上げますと、例えば7月の後に閏月を設けたとしましょう。
そうすると、閏月は頭に閏をつけた「閏7月」と呼んだそうです。1月、2月・・・・7月、閏7月、8月、9月・・・12月。で、合計13ヶ月となるわけです。成る程、うまい工夫ですね。
閏を挟むのは天文学に寄ったのでしょうが面白いではないですか。
 月が2回もあり、もし寺子屋があったら夏休みはどうなっていたんでしょうね。七夕はどちらになったのでしょうね。77日に関係なく、設定されていたのでしょうか。想像もふくらみなすね。
明治政府ができても、まだ旧暦が使われました。
政府は月俸制(月給)を採用していたということですので、1年に13回月給を支払わなければならない年がありました。
収入の税金は年12け月分ですから、お金に困っていた政府にとっては大変だったのでしょね。
でも、このように季節を正確に表さない旧暦の月日は、自然を相手にする人々にとっては、甚だ頼りないものになってきます。
こうなると、農業、漁業等自然を相手にする仕事には、季節の指標としては、節気が一番のよりどころとして必要だった訳も判りますね。
その季節を正確に表すのが節気だったからです。
例えば、私達がよく知っている、春分、夏至、秋分、冬至などは、月日に関係なく、正確に1年の季節を表していたからです。
閏月は面白いけど、生活面では、実態に合わなかった、と言えるかもしれません。
一方で、今度時代劇で、〈閏7月〉なんて言葉が出てくるか? がぜん興味がわいてきました。

 

4、   新暦にいつ、どんな理由で変わったんだろう。

明治511月突然、新暦(西暦、グレゴリオ歴)を採用する旨、明治政府が公布しました。

123日が新暦による11日でしたので、11月公布の翌月は明治6年になります。
明治5年は実質的に11カ月しかないことになりました。
近代化を急ぐ新政府としては、いつまでも旧暦で1年を354日や、閏月を設けた、384日の年がくるようなことは早く捨て、暦上もヨーロッパやアメリカと同じにして、肩を並べることが必要でした。
しかしあまりに唐突でしたから暦などは、もう旧暦でできていました。
庶民は混乱したに違いありません。
なぜ、こんなに唐突に変えなければならなかったか。
そこには、明治政府の台所事情があったと言われております。
政府の役人は月給制にしました。入ってくる税金は1年単位です。お金がない政府は、新暦を採用することで、明治5年の月給を11カ月とし、支出を抑えることにしたというのです。
歳入の税金は12カ月分だが、歳出は11カ月で抑えられるという苦肉の策を考えだし、新暦導入をいち早く実施したというわけです。
この時に、新暦での迷信排除が行われたのは前に申し上げた通りです。

いや、なかなか面白い話ですね。

 

                 (その2に続く)

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