大震災のただ中にあって

 

 20113111446分、M9.0.東北地方、太平洋沖大地震発生。

 

 この日、この時刻は、日本人にとって長く忘れられない日になるでしょう。
それぞれの人たちに複雑な運命の傷跡をつけ、今もその混乱の真っ只中におかれています。

被災された方々、お亡くなりになられ方々、孤立されて救援を待っている方々、ご家族が、お知り合いが、その渦中に置かれている方々に衷心よりお見舞いを申し上げます。

どんなに口先でお慰めを伝えようと、言葉が何の助けになるのか、・・行動が伴わない自分が、被災されている皆様に申し訳なさでいっぱいです。

節電、義援金、心を寄せること、買占めをしないこと、自己の生活をつましくすること、流言飛語に惑わされないこと、そんなことがいま私にできる精一杯のことです。あまりに小さなことばかりで、申し訳ないと思いますが。

 

ラジオで次のような放送をしていました。

“私もひとこと”・・などの放送だったと思いますが、あるリスナーのご意見でした。
その方は、パン、カップ麺など食料が、店頭から売れきれるという話を聞き、コンビニへ調達にと出かけたそうです。
案の定、長い列が出来、人々が買占めをしていました。
列の前に、小学校低学年とおもわれる男の子が、ポテトチップスなどお菓子をたくさん抱えて並んでいました。
その子の順番が来たとき、“やっぱり買うのをやめます”、といって買おうとしたものを全部返したそうです。そして、ポケットから1,000円札を取り出すと、募金箱にいれ、何も買わずに返ったそうです。

 小学校低学年の子どもの
1,000円といえば、大変な額だろうと思われます。それを自分のために用いることなく、全てを被災された人に使っていただくために募金箱へ入れたというのです。
周りにいた大人が恥ずかしくなった、・・とその方が意見を述べていました。
この子を育てた親も、いつも立派な生活をしているから咄嗟の場合に子どもがそれを思い出したのでしょうね。
 私も、聞いていて、日々の自分が恥ずかしくなりました。
そして、随分昔に読んだ本のある言葉が鮮やかによみがえってきました。
 
 精神科医の神谷美恵子さんが書いた「人間を見つめて」という本で、人間に対する深い愛情を次のような言葉で表していました。
それは、
【なぜ、私でなく、あなたがこの病を担ってくださったのですか?】

という問いかけでした。

 神谷さんは学生の頃、牧師の叔父さんについてハンセン氏病の人たちが住む四国の小島に渡りました。そこで人間を深く見つめたときに、
【病気に襲われたのがなぜ自分ではないのだろう。私が病気になることだってありうることだ。でも、なぜ私でなく、貴方が私の代わりに担ってくださったのですか?】そう、自分に問い続けました。
そしてそれは、私には神への問いかけのように響いたのです。
 人間を見詰めた時、あらがうことのできない不幸はなぜ、突然襲ってくるのか、何故、幸運な人がいて、不運な人が存在するのか。

人間には、見詰めることの許されない問いなのかもしれませんが、深く考えさせられました。

 そして、自分もまた、ずっと後で、生死の境をさまようことになろうとは、その時は想像すらしないで、傍観者的にしか理解できない愚か者でしたが。

 でも、あの本を読んでからというもの、いまでも、心に深く焼きついている言葉になりました。

 1週間がたちましたが、大震災の全貌はまだ明らかではありません。原発事故も終わりさえ見えません。
私たちのすぐ近くにも、浜岡原発があります。
東海沖地震が叫ばれて、すでに長い時間がたっています。
人事ではないのです。
人の痛みを、わが身のこととして捉えなければならないでしょう。

被災された方々の悲しみ、苦しみをなんとか一緒に負っていかねばならない運命共同体の中にあるのでしょう、同じ日本人なのですから。
 
 これからの時代を支える、若い人たちに、未来がいっぱいの子どもたちに、私が出来ることは何なのか。
未来を担う人たちのために出来ることは何か、探し続けていこうと思います。何の力にもなれないかもしれませんが。

日本人は素晴らしいと思います。
まず、他人のために何が出来るかを落ち着いて、潔く、目立たずに、黙々と行う民族です。

その一人に、末席に加えていただけるように私も一隅でうごめき続けたいと思います。
希望を持ち、一緒に歩ませていただきたいと切に思います。
お身体に十分ご注意ください。
お一人お一人の上に、笑顔が一日でも早く戻られますように。

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