小さな一歩ですが共に

 

 東北・関東大震災が発生から、3週間目に入りました。混乱は収まらず、先行きすら見えません。両親を失い、祖父母と避難所に住む小学生の話に涙します。
また、小、中学生の犠牲者は1,000名近い死亡確認者、それ以上の行方不明者と、あまりにむごい状況も少しずつ新たに判りはじめてきました。
これから未来があるはずの子供達。さぞ無念でありましたでしょう。

 共に、涙を流し合うことしかできませんが、闇に閉ざされているだけではありません。時間とともに、光もさしこんできています。
未来に向かって額をあげ、歩きはじめる姿も報道されはじめました。

 自らも、船も、家も、家族をも失いながら、避難所で皆の為に黙々と食事を作る漁師の方、同じように住む家を失いながら、避難所で青空散髪を無料で始められた理容師の親子の方々。
また、思わぬ方々が、億にも及ぶ義援金を何のコメントもなく、黙って捧げられている話。
瓦礫の町に村に、少しずつ手をつけられるところから、整理も始まったようです。
あちらこちらで、自分の出来る範囲で善意を捧げる人々の話が、希望の光を与えてくれます。
国を挙げて、支援の輪が広がっている、そんな空気に包まれてもいます。

 また、諸外国のご支援も本当にありがたいと思います。
人口620万人のモンゴルのご支援などは、想像すらできなかった善意でした。
全公務員が、月給のうちから、1日分を義援金として拠出され、日本支援に賛同する市民の分をも合わせ、20数億円の義援金を送ってくださったとの事。

 また、困難な中にあり、何もかも失いながら、避難されている方々も、一歩一歩前に向かって歩み始めと報道されはじめました。
政府、警察、消防、自衛隊、電力会社等をはじめ、無名の一市民として、献身的に黙々と、それこそ不眠不休で事にあたっておられる方々にも、改めてお礼を申し上げます。ボランティアの方々も活躍されはじめました。

 ああ、人間って素晴らしいな、と思わせてくれる事が一杯です。
本当にありがとうございます。
自分もそのはしくれに加わらせていただこうと思います。

 ラジオで被災者の方がおっしゃっていた言葉が耳について離れません。
こんなふうにおっしゃっていました。悲痛な叫びでした。

“頑張ってください。なにもできませんけど、などという言葉はもう結構です。
何をがんばれというのですか?何もかも失い、今を精いっぱい私達は頑張っているのです。〈何もできない〉、とは謙遜かもそれませんが、どんな小さなことでも良いですが、〈私にはこれができますから、・・・〉と他の被災者に声を掛けてやってくださいますか。勇気づけてやっていただけますか?・・・と。“

 耳が痛い言葉でした。しかし、その通りだと思いました。
〈頑張ってください〉、とは被災された方々への言葉でなく、たまたま、被災された方々を支援させていただく側に回ったものに向かって、〈頑張って出来ることを一緒にやりましょう〉という呼びかけであろうと思います。
また、〈何もできませんが〉とは、あくまでも謙遜の言葉であり、他人に知られぬよう、黙々と自分の分を尽くそう、ということだと思いますし、TPOをわきまえて使用すべき言葉かもしれません。

 では、そういうお前は、一体どうするのだ、と聞かれたら何と答えられるのでしょう。
口に出して言えるような事ではありませんが、自分でできることを、黙々とやります。モンゴルの公務員の善意に感謝をしつつ、その好意に負けないようにしなければ。なぜなら、自分は同じ日本人のはしくれですもの、当然のことを一所懸命にしなければと。

 聖書には「右の手でしたことを、左の手に知らせてはならない」、とあります。
なすべき事は、自分にも告げることなく、淡々とすべきでしょうね。
ラジオで聞いた言葉を胸に、一緒に歩ませてもらいましょう。
小さな、僅かな、目に見えないような歩みですが、ともに皆の後ろについてゆきたいと思います。
左手に知られないように黙々と。

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