《 始めに 》

 

大震災の影響で、桜祭りも、地方祭も、凧揚げ祭りのイベントなど、次々に自粛され、被災者の方々への配慮が日本国中に広がっています。

 

苦しみの只中にある方々を尻目に、お酒を飲んだり、嬌声をあげたり、と賑やかに自分たちだけが楽しみ、騒ぐのを止めようとするのは、ごく自然な感情であり、連帯を損なうものを避けたいとするのは誰しもおなじでしょう。

 

一方、その中に悲しみを乗り越え、力づよく復興に取り組み始めた姿も報道し始められました。

 

私達も、連帯意識を持ち続けながらも少しずつ、日常性を取り戻す事が被災された方々への応援にもなるのではないかと思います。

 

自分ができる小さな事を実施しながら、日常性を私も取り戻そうと思います。

 

そんな思いでエッセイ、「旧暦を楽しむ小さな旅」(その2)をお届けしたいと思います。

 

もし、気分がのった時でもあったら、お読みいただけたらと思います。

 

 

 

 

旧暦を楽しむ小さな旅(その2)

(その1に続く)

 

5、      二十四節気が今も生きている。

二十四節気は、太陰歴(月の満ち欠けを基準)を使用していた時代、季節を正確に表すために考え出されたもので、1年(太陰歴ではなく太陽暦の周期、即ち365日ベース)を24等分にして名前を付けたものです。

季節ごとに節目、節目にこれを示す言葉で表しています。

例えば、「春分」の日、は昼の長さと夜の長さが同じであり、翌日から昼が長く、夜が短くなります。そして「夏至」になると、昼が一番長くなり、夜が一番短くなります。そしてこの日を境に、昼がだんだん短くなり、夜が伸びてゆきます。そして昼と夜がおなじ長さになった日を

「秋分」の日、として迎えます。同様にして「冬至」となりぐるっと回るのです。

 

旧暦は黄道上、立春を11日として、0度におき、前日を節分と呼びました。同様、立夏、立秋、立冬がそれぞれ90度、180度、270度上に置かれ、各々前日を節分と呼びました。(太陽視黄径上は、春分が0度、夏至、秋分、冬至がそれぞれ90度、180度、270度上に置かれていますが、難しくて違いが良く判りませんでした。参考までに各節気に加えておきました。間違いなどありましたら教えてください)

 

ただ、今残る節分の行事は立春の前の節分行事だけが残ったのでそれを節分と呼び、豆まきが残っている訳です。

 

立春から88日目を八十八夜と呼んだわけです。(八十八夜は雑節とよばれる)

ですから、旧暦上、毎年月日が変わることが当たり前でしたが、季節を大切にする漁業や農業には、正確に季節を表示する二十四節気は無くてはならないものでした。

 

そこで季節を分けた、節気の名前だけを、まず見てみましょう。

 

《 春 》

立春、雨水(うすい)、啓蟄(けいちつ)、春分、清明(せいめい)穀雨(こくう)

 

《 夏 》

立夏、小満(しょうまん)、芒種(ぼうしゅ)、夏至、小暑(しょうしょ)、大暑(たいしょ)

 

《 秋 》

立夏、処暑(しょしょ)、白露(はくろ)、秋分、寒露(かんろ)、霜降(そうこう)

 

《 冬 》

立冬、小雪(しょうせつ)、大雪(たいせつ)、冬至、小寒、大寒(たいかん)

 

どうですか。聞いたことがある言葉が多いでしょう。これがみんな365日の1年を24等分にした、季節を正確にあらわすものなのです。

それぞれ、どんな意味を持ち、何故このような名前になったのか、その由来を見に行きましょう。

さあ、旧暦を補う、二十四節気への旅ですよ。

 

《 春 》

立春(新暦2/4頃、太陽視黄径315度):「春の気たつを以て也(暦便覧)」からこう呼ばれた。旧暦の11日、前日が節分。ただし、理論的には、19年に1年しか立春にお正月は回ってこないことになりますが、実態はどうだったのでしょう。興味がわいてきますね。また、前日の節分に豆をまくのはいつごろから始まったのでしょう。季節の変わり目には邪気(鬼)が経つと言い、宮中では平安時代ごろから邪気を追い払う行事が行われていたようです。庶民の行事として、炒った豆で、鬼を追い払い、福を招く「鬼外福内」が唱えられたのは、室町時代だと言われております。

この日から、立夏までの前日が春。寒さ厳しき時期だが、日脚は次第に伸び九州あたりでは早咲きの桜が咲く季節でもあると言われますが、桜には少し早いような気もしますね。

 

雨水(新暦2/19頃、太陽視黄径330度):「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり(暦便覧)」からこう呼ばれた。空から降るものが雪から雨に変わる頃、春一番が吹き、九州南部では鶯が鳴きはじめるという。

 

啓蟄(新暦3/6頃、太陽視黄径345度):「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也(暦便覧)」からこう呼ばれた。啓蟄は冬眠していた穴から這い出てくる事を言う。しかし、まだ寒く、実際に虫がで始めるのはもう少し先になります

 

春分(新暦3/21頃、太陽視黄径0度):「日天の中を行って、昼夜等分の時なり(暦便覧)」とあるように、春の昼夜等分である事はご存じのとおりです。この日を挟んで前後7日間がお彼岸ですね。これから先、夏至を目指し、昼間の長さがどんどん長くなります。

 

清明(新暦4/5頃、太陽視黄径15度):「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也(暦便覧)」からこう呼ばれた。清々しい季節を迎えたこと、新しい命が芽生え、花咲く、喜びの季節ですね。

 

穀雨新暦4/20頃、太陽視黄径30度):「春雨降りて百穀を生化すれば也(暦便覧)」からこう呼ばれた。田や畑の準備を整え、柔らかな、穀物の為の雨が降る季節の到来を告げています。お百姓さんが待ちに待った、春の雨ですね。

 

《 夏 》

立夏新暦5/6頃、太陽視黄径45度):「夏の立つがゆへ也(暦便覧)」そのものズバリですね。この日から立秋の前日までが夏になります。

 

小満新暦5/21頃、太陽視黄径60度):「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る(暦便覧)」陽気がよくなり、草木など生物が成長し、生い茂るという意味です。満ちるという意味は判りますが、なんで小なのかは、判りませんでした。

 

芒種(新暦6/5頃、太陽視黄径75度):「(のぎ)ある穀類、稼種する時也(暦便覧)」からこう呼ばれた。

稲の穂先のように芒(とげのようなもの)のある穀物の種まきをする頃という意味ですが、現在の種まきは大分早まっていますね。

 

夏至新暦6/21頃、太陽視黄径90度):陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以て也(暦便覧)」

一年中で一番昼が長い時期であるが、日本の大部分は梅雨の時期であり、あまり実感されない のが実態のようです。それよりも名称から来るイメージは夏の最盛期と勘違いする方が多いかもしれません。

 

小暑(新暦7/7頃、太陽視黄径105度):大暑来れる前なれば也(暦便覧)」なるほどですね。大の前は、小で表す。当たり前の事が、妙に納得してしまいます。節気とは関係ありませんが、77日は七夕です。

これも中国から伝わったものと言われております。織姫、牽牛の二人の服装も中国風ですよね。もともと、織姫、牽牛のお話しは中国から伝わったと教わりました。天の川という、星の川も中国の考え方なのでしょうね。子どもの頃、本当に夜空に織姫、牽牛がいて、天の川があって、1年に1度だけ会える話を聞いて夜空を眺めたものでしたね。懐かしい〜。

さあ、梅雨明けがまじかです。いよいよ、本格的な夏の到来です。

 

大暑新暦7/23頃、太陽視黄径120度):「暑気いたりつまりたるゆえんなれば也(暦便覧)」最も暑い頃という意味ですね。今は8月のほうが暑いですが、昔はこんなふうに感じたのでしょうか。

暦の上では夏の最後です。次はもう秋の言葉に変わってゆきます。

 

《 秋 》

立秋新暦8/8頃、太陽視黄径135度):「初めて秋の気立つがゆへなれば也(暦便覧)」からこう呼ばれた。春分とおなじですね。でもまだ8月の上旬です。夏真っ盛りという感じでしたが、昔の人はもう秋の気配を感じたのですね。

暑中見舞いはこの前日まで、この日以降は残暑見舞いという風習が今に伝わっています。

 

処暑(新暦8/23頃、太陽視黄径150度):「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也(暦便覧)」 とあります。処暑は暑さが止むと言う意味です。夏も終わりですね。

“秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかりぬる”(藤原敏行)という和歌がありますが、こんな和歌がぴったりするような季節ですね。

 

白露新暦9/8頃、太陽視黄径165度):「陰気ようやく重なりて露こごりて白色となれば也(暦便覧)」からこう呼ばれた。普段、私達は口にすることもない言葉です。しかし、旧暦では、きっとごく自然に“ああ、もう白露になったんだ”・・と秋の到来を感じ、農作業や、漁業の役に立てたんでしょうね。いい言葉ですね。

 

秋分新暦9/23頃、太陽視黄径180度):「陰陽の中分となれば也(暦便覧)」からこう呼ばれた。昼と夜の長さが同じ日です。この日は秋彼岸の中日と呼ばれます。この日を境に、夜がだんだん長くなり、冬至にいたります。秋の七草が咲きそろう頃でもあります。

ちなみに秋の七草をあげておきましょう。

「芹(せり)、薺(なずな:ペンペン草のこと)、母子草、はこべ、仏の座、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)」です。七草粥は17日にたべる行事ですよね。この秋の七草と呼ばれるものとおなじだとおもいますがペンペン草を食べました?

ところで秋の七草のひとつ、「仏の座」という草をご存知ですか?

普段私達は、雑草としてしか見ていませんが、良くみると本当に自然の不思議さを感じます。

小さな花ですが、薄紫の仏様が蓮の葉の上に立っているような、形です。

自然の造形ってなんて美しいのでしょう。

いつも、そんな美に気づくこともなく、ただ急ぎ足で歩く自分がなんだか急に矮小に思えますよね。

 

寒露新暦10/8頃、太陽視黄径195度):「陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすれば也(暦便覧)」からこう呼ばれた。冷たい露を結ぶ頃だと昔の人は言いました。地球の温暖化でしょうか。今はまだ、それほど冷え込みませんが、菊の盛りで秋本番というところでしょう。

山々は、紅葉の準備に入りつつある頃です。稲刈りも終え、昔の人もほっとする季節だったのでしょうね。

 

 霜降新暦10/23頃、太陽視黄径195度):「つゆが陰気に結ばれて、霜となりて降るゆへ也(暦便覧)」からこう呼ばれた。

北国や山間部では、霜が降りる頃と言ってもいいのでしょうか。

もう、言葉からは秋が終わり、冬に入った感じです。

紅葉が始まります。行楽もさかんですね。

霜が降りる季節ですよ!と旧暦が呼んでいるようです。

 

《 冬 》

立冬(新暦11/7頃、太陽視黄径225度):「冬の気立ち初めていよいよ冷ゆれば也(暦便覧)」からこう呼ばれた。この日から立春(新暦2/4頃)の前日までが冬です。前述したとおりの計算で、旧暦では19年に1度、立春が11日、になるようになっていたはずです。そうすると、立冬は9月上旬のはずですね。

季節感が暦の月日だけでは、判らなくなりそうです。やっぱり、自然相手の(農業、漁業等)庶民には節気は強い味方だったんだな、ってつくづく思いますね。

 

小雪(新暦11/22頃、太陽視黄径240度):「冷ゆるが故に雨も雪となりてくだるがゆへ也(暦便覧)」と、あります。寒くなり、雨も雪となって、降ってくる、と昔の人は言います。地方によってはそんな季節かもしれません。紅葉を見る最後ですね。

そろそろ、本格的な冬に入ります。

 

大雪新暦12/7頃、太陽視黄径255度):「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也(暦便覧)」と、あります。霜柱がそろそろ見つかるころでしょうか。今でいうならそろそろスキー場などは、雪が降って欲しいという頃でしょうか。寒い地方では、氷が張るかもしれませんね。

 

冬至新暦12/22頃、太陽視黄径270度):「日南の限りを行て日の短きの至りなれば也(暦便覧)」と、あります。昼の最も短い日、ですから逆に見れば、一年中で最も夜の長い日ですね。冬至南瓜や、お風呂に柚子を入れてはいる、柚子湯等が歳時記として今も残っていますね。

ここで、ちょっと寄り道をしてみましょうか?

なぜ、冬至に南瓜(かぼちゃ)を食べたり、柚子湯に入ったりしたのでしょう。普通私達は「風邪をひかないため」と教わりましたよね。

でも、本当はもっと深い意味もあったんです。

こんな寄り道も楽しいですよ。

@  先ず、冬至をどんなふうにとらえていたかです。:中国や日本では、冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力が甦ってくることから、陰が極まり再び陽にかえる日という意の「一陽来復(いちようらいふく)」といって、冬至を境に運が向いてくるとしていました。つまり、みんなが上昇運に転じる日なのですね。

A  冬至は運盛りの日でした。だから、食べ物に縁起を担ぎました。:冬至には「ん」のつくものを食べると「運」が呼びこめるといわれています。にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん……など「ん」のつくものを「運盛り」 といって縁起をかついでいたのです。運盛りは縁起かつぎだけでなく、栄養をつけて寒い冬を乗りきるための知恵でもあり、土用の丑の日に「う」のつくものを食べて夏を乗りきるのに似ていますね。

B  なんで南瓜(かぼちゃ)なの?“ん”がつきませんね。「かぼちゃ」と「ん」の関係は何?:かぼちゃを漢字で書くと「南瓜(なんきん)」。つまり、運盛りのひとつなのですって。特にかぼちゃはビタミンAやカロチンが豊富なので、風邪の予防に効果的なんですって。本来かぼちゃの旬は夏ですが、長期保存が効くことから、冬に栄養をとるための賢人の知恵でもあるというのが冬至に南瓜を食べる理由だったのです。

C  さて、もう少し横道に入って、柚子湯になぜ入るか?を調べましょうか。:柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」。こうした語呂合せから柚子湯に入ると思われていますが、もともとは運を呼びこむ前に厄払いするための禊(みそぎ)です。昔は毎日入浴しませんから「一陽来復」のために身を清めるのも道理ですし、現代でも新年や大切な儀式に際して入浴する風習がありますね。冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りのもとには邪気がおこらないという考えもありました。端午の節句の菖蒲湯も同じです。

なるほど、面白い先人の生活習慣ですね。

少し、横道にそれ過ぎましたね。次に移りましょう。

 

小寒新暦1/5頃、太陽視黄径285度):「冬至より一陽起るが故に陰気に逆らう故益々冷る也(暦便覧)」この日は寒の入り、これから節分(

立春の前日が節分です)までの期間が「寒」と言います。寒さがいよいよ厳しくなる季節です。

 

大寒新暦1/20頃、太陽視黄径300度):「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也(暦便覧)」と、あります。“今日は冷えると思ったら、大寒だからだね“ なんて、言いませんか?

暦上はあと15日もすると、春です。

♪春は名のみの風の寒さや〜♪がもうすぐですね。

 

6、干支について

干支(えと・かんし)程、私達に身近なものはないかもしれません。

十干と十二支を組み合わせて、60を周期とするものですね。

これは、暦をはじめとし、時間、方位、等に用いられ、深く私達の生活にかかわっています。

例えば、丙午(ひのえうま)の生れとか、甲子園球場とは甲子(きのえね)の歳に完成したから名づけられたとか、誰でも知っている事ですね。

江戸時代の時計等の時刻は文字盤に干支で表示されたり、と本当に様々に使われているものです

 

十二支は私達の誕生日の歳が、子(ね・ネズミ)歳、とか、丑(うし)歳とかいいますし、年賀状にその歳の十二支を用いたりします。

 

厳密には、干支は60周期の事を言い、十二支は、干支とは言わないようですが、そんなことはお構いなしに使っていますね。

 

ご存じのように干支は中国から伝わったものですが、起源はとても古く、

殷代(紀元前10世紀〜紀元前17世紀の中国王朝。商とも言う)にまでさかのぼるそうです。

ですから、日本に伝わっただけでなく、アジアの漢字文化圏において、年・月・日・時間や、方位、角度、事柄の順位を表わすのに用いられました。

そして「陰陽五行説」と結びついて、さまざまな占いに用いられました。

さらに干支は、漢字文化圏だけでなく、ベトナム、ロシア、東欧などにもつたわったそうです。ロシアにまで、干支が伝わっているなんて初めて知りました。

どんなふうに使われているのでしょう。興味しんしんですね。

 

それでは、十干(じゅつかん)のそれぞれと、読み方等をみてみましょう。

 

《 十干 》音読み、訓読み、意味、本義の順です。

甲:こう・きのえ・木の兄・草木の芽生え、鱗芽のかいわれの象意

乙:おつ・きのと・木の弟・陽気のまだ伸びない、かがまっているところ

丙:へい・ひのえ・火の兄・陽気の発揚

丁:てい・ひのと・火の弟・陽気の充溢

戊:ぼ・つちのえ・土の兄・に通じ、陽気による分化繁栄

己:き・つちのと・土の弟・紀に通じ、分散を防ぐ統制作用

庚:こう・かのえ・金の兄・結実、形成、陰化の段階

辛:しん・かのと・金の弟・陰による統制の強化

壬:じん・みずのえ・水の兄・に通じ、陽気を下に姙む意

癸:き ・みずのと・水の弟・に同じく生命のない残物を清算して地

ならしを行い、新たな生長を行う待機の状態

 

紀元前の中国の思想でしょうか、【世の中は、木・火・土・金・水、の5つの要素で出来ている】、と言いたいのではないでしょうか。

それぞれに、こんな本当の意味があったことも始めて知りました。

 

《 十二支 》音読み、訓読み、本義の順です。

子:し ・ね ・で、陽気が色々に発現しようとする動き

丑:ちゅう・うし・で、生命エネルギーの様々な結合

寅:いん・とら・で、形をとっての発生

卯:ぼう・う ・同音に通じ、開発の意

辰:しん・たつ・、同音に同じ、生の活動

巳:し ・み ・に通じ、陽盛の極、漸く陰に移ろうとする所

午:ご ・うま・(さからう)”に通じ、上昇する陰と下退する陽との抵触

未:び・ひつじ・で、陰気の支配

申:しん・さる・陰気の支配

酉:ゆう・とり・酒熟して気の漏れる象。陰気の熟する所

戌:じゅつ・いぬ・同音であり、である。統一退蔵

亥:がい・い ・で、生命の完全な収蔵含蓄

 

なるほど、本義を知れば、これはもってこいの占いの材料だろうなと思いますね。

この十干と十二支を組み合わせて、吉凶を占うことを紀元前千年以上前から考えていたなんて、誠に驚きです。日本では日本なりに解釈が加わり変化したでしょう。それにしても、それらを暦との関連で、生活に生かしてきたんですね。

干支は今も生きているって、実感ですね。

 

 

7、小さな旧暦の旅の終わりに。

旧暦に関連する、いくつかの項目を旅してきました。

いかがでしたか?

旧暦と密接に結びついた、吉凶を占う項目は、もっと奥が深いでしょう。

迷信だと言われても、何となく信じてみたい、知っておきたい、という気持ちが、旧暦の静かなブームを呼んでいるのかもしれません。

 

あまりに変化が大きく、頼るものがいったい何なのか? 判らなくなってしまった時代に放り出されているのが私達一人一人なのでしょうね。

『確かなもの、変わらないもの、真理』を求めて、旅しているのもまた私たちでしょう。

 

今回の旧暦の小さな旅、は昔の日本人の心の旅に、ほんの少しだけ触れてみました。

信ずるとか、信じないとかは、全く別にして「知らないこと」に沢山出会いました。

お付き合いをいただきまして、本当にありがとうございました。

また、機会がありましたら、今度はもっと違う旅にご一緒いただけますか?

それでは

“また、お会いしましょう。ありがとうございました。どうぞ、お元気でお過ごしください。”

 



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