ある寓話

 

テレビがあまり普及していな時代、講談をラジオでよくやっていたことを思い出す。講談は大衆演劇の一つであり、古くからの話芸だそうだが、浪曲とはどう違うのか、詳しいことは良くわからない。新しいものがもてはやされ、古いものは色褪せ、忘れ去られてゆく時代、見向きされることは、滅多になくなってしまった。

“講釈師、見てきたような、うそを言い”講談は、よくこんな風にも、言われたほどの、迫真の語り口だった。

講談師が語る時代物の話は講談師が実際に見たわけでも、聞いたわけでもない、作り話であることはわかっていたが、その臨場感あふれる真に迫った話の仕方は、内容をよく理解できないままに、ただ、少年の胸をとどろかせた。

現代の講談師は昔とは違って、時代に合った話もされるらしい。
臨済宗が編纂した本がある。若手の禅僧を教育するために、同門の高位の僧の法話や、各界の著名人を招いて講和をしてもらった講義録である。
その中に宝井馬琴さんという講談師の、こんな話が載っていた。

「馬琴さんが、ある時、某会社の社員の教育講演会に招かれた時の話である。
講師は馬琴さんを含め、お二人が招かれた。も一人は、他仏教の、ある宗派の老僧であった。
この老僧は、馬琴さんの前にお話をされたが、誰の心にも、しみいる素晴らしい法話をされた。
“生きとし、生けるもの、皆命がある。蚊をみても、ぴしゃりとやらない。
命を大切にするようにと、殺生を戒めた。万物は同根である。思いやりは身の周りの些細なことに対して実行してこそ、初めて人生の奥に近づける。生きとし生けるものに対する慈悲の心こそが大切である”というような話をされた。
出家した仏教徒は殺生をしない。食事も菜食主義で、肉や魚は食べない。もっともな話であるが、老僧の話は日ごろの生活そのもの、生き方それ自体を話されておられるのだと思うと、余計に心に響いた。

講演が終わりお昼になった。講師二人は特別に会社の社長さんと、別室で会食をすることになった。海から離れた地域であったので、山国の珍味が出された。真中に大きなお皿が出され、お皿の中央に小さな丸い醤油皿が置かれていた。大きな丸いお皿には水が張られ、小さな川海老が、生きたまま何匹も泳いでいた、川海老の踊り食いという滅多に食することのできないご馳走であった。
午前中の不殺生の素晴らしい話もあり、きっと講師の僧は、「これでは食べられないだろう」と馬琴さんは、心配をした。しかし、かの僧は“これは、私の好物です”と言って談笑しながら食べはじめた。そして自分の分だけでなく、馬琴さんの分まで食べてしまった。
一緒にいた社長さんは、“いやあ、ご老師、口は重宝でございますなあ”と言って、二度とこの僧の言うことを信じなくなったという。」

この話はじつに上手く出来ている。出来過ぎているといえます。

馬琴さんは、架空の話を若い禅僧たちにし、本当はもっと別なこと読みとってほしかったのでは、という気もする。
“講釈師、見てきたような、うそを言い”―――こう言われるのを百も承知で、いもしない老僧を作り出し、申し訳ないと思いつつ、面白おかしく創作話をしたように思える。
大勢の若手の禅僧を前に、「姿、形にとらわれたり、自分を何か偉いものように見せようと、恰好をつけたり、そんな偽りをすべてかなぐり捨てて、ただ正直に生きなさい。あるがままに生きなさい。嘘や偽りは、いくら自分でごまかしても、すぐに見破られてしまうものだよ」
そんなふうに、言いたかったのかもしれない。

イソップ物語にこんな話があった。

【ライオンの皮を着たロバとキツネ】

『ロバがライオンの皮をかぶって歩きまわり、動物たちをおどかしていました。
  そのうちに、キツネが来たので、
「あいつも、おどかしてやろう」と、考えました。
ところがキツネは声を聞いて、すぐにロバの声だとわかりました。
「おあいにくさま。ぼくだって、お前の鳴き声を聞いた事がなければ、震えあがっただろうけどね」

 (これは、 頭が空っぽの人でも、きれいに着飾ってふんぞりかえっていると偉そうに見えますが、いったん話をし始めると、たちまち正体がばれてしまうものです、というおはなしです)』

【ライオンに化けたロバ】

『ロバが、ライオンの皮をかぶりました。
だれが見てもライオンに見えたので、人間も、けだものも、こわがって逃げました。 ところが、そこに風がさっと吹いてきて、ライオンの皮をはぎとってしまい、ロバの姿がむきだしになりました。すると、みんなはいっせいにロバにおそいかかって、さんざんにたたきのめしました。

 (これは、名前も知られていない人が、有名人のまねをするのはやめよう。笑い物にされ、ひどい目にあうにきまっていますし、人からの借りものは、自分の身につかないものですからね。というお話です。)』

〈他人に褒めてもらおう。〉
〈上手に話をしよう。〉
〈感動されるような立派な態度で振舞おう。〉

ほんの一瞬、そんな気持ちに揺れ動くのも、また人間である。
だが、自分では気がつかなくても、自分の本当の姿は、すぐに見破られるものである。
百獣の王、ライオンのようになりたいという気持が、まったくない、と言えば嘘になるかもしれない。
しかし、誰もがみんな百獣の王になれはしないのだ。
自分は、残念だが、愚図で、のろまで、臆病なロバである。
だが、だれも傷つけずに、黙々と働き、文句も言わず、自分の仕事をこなすロバで良いではないか。
神様がそうあるようにと作られたなら。

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